『秒速5センチメートル』

 新海誠のアニメ『秒速5センチメートル』をDVDで見ました。DVDで見た映画の感想はあんまり書かないのですが、これはすごいというかなんというか、僕なんかも入る特定の世代に不思議な感覚を湧き上がらせる映画。
 3話の短編という形を取っていて、小学校時代のクラスメイトの遠野貴樹と篠原明里の15年間くらいを描いた物語になっています。
 以下ネタバレですが、ネタバレしてもその破壊力は維持できる映画だと思うので簡単にストーリーを紹介。

 
第1話 桜花抄(おうかしょう)
 遠野貴樹と篠原明里は小学校の仲良し。けれでも明里は栃木に転校してしまう(この栃木という微妙な距離感!)。中学に入り2人は手紙をやりとりするようになるが、貴樹の鹿児島・種子島への転校が決まる。会えなくなる前に貴樹は栃木の明里のもとへ向かうが、電車が遅れてなかなかつけず、ようやく到着した雪のふる駅には明里が待っていた。


第2話 コスモナウト
 貴樹は種子島へ。澄田花苗は転校してきた澄田花苗を好きになったが高3になっても告白できずにいた。花苗は意を決して貴樹に告白しようとするが、貴樹は自分とは全然違うと奥を見ていることに気づく。そんなとき種子島から太陽系の外を目指す人工衛星が打ち上げられる。


第3話 秒速5センチメートル
 貴樹は東京でIT企業かなんかに勤めていたが、会社を辞めた。3年間つき合っていた彼女には「1000回メールしても、心は1cmくらいしか近づけなかった」とメールで言われ別れる。一方、明里は誰かと結婚することになっていた。


 というお話です。
 こう書くと「第3話は何なんだ!?」という感じで、実際にこの第3話のあまり救いのない唐突な終り方を嫌う人も多いでしょう。重要な部分が描かれず、主人公のこれからもほとんど暗示されないようなラスト。多くの人が消化不良に感じて、このラストに「はあ?」って思って当然です。
 でも、ある一定以上の年齢の人は、この描かれなかった空白の部分を「勝手に補って」泣けちゃう。
 それが、この『秒速5センチメートル』の秘密なのではないでしょうか。


 初恋の思い出(実際に経験したかどうかは別として)とか、日本の全国一律的な学校文化が生み出す学校的な風景とか、中学高校時代というのはなんとなく共通の体験を持っているという幻想があります。それぞれの個人の経験は千差万別でも、「ああこの感じ!」という共通体験(の幻想)があるわけです。
 それを利用して数々の青春ドラマはつくられているわけですし、この『秒速5センチメートル』の第1話と第2話もそれを最大限に活かしてつくられています。
 ところが、大学、社会人となると共通の体験はなくなってきて(むかしは学生運動という共通体験がありましたが)、人それぞれの人生になっていきます。
 こうなるとドラマをつくるのはより難しくなり、登場人物の深みのようなものがないと、なかなか説得力のある話をつくれなくなります。
 ところが、この『秒速5センチメートル』では、それを「すべてすっとばす」という形でこの難題をクリアーしています。
 主人公の貴樹の具体的な夢だとか仕事だとか現在の彼女だとかをすべて描かないことで、見ている誰もが貴樹の立場に自分を投影できるというしくみになっています。しかも貴樹の人生があまり上手くいっていないということが、ますますこの投影を用意にしていると言っていいでしょう。


 そして、新海誠が学生時代の共通体験の代わりに差しだすのが東京、そして今までの思い出の地の風景です。
 新海誠の手によって現実以上にきれいにノスタルジックに味付けされた風景は人びとの記憶のトリガーをひきまくります。
 さらにバックに山崎まさよしの"One more time,One more chance"。
 ここで社会人とかの人は自らのいろんな思いを「勝手に補って」センチメンタルジャーニー状態でしょう(逆に若い人は消化不良なんだと思う)。
 

 そんなふうに考えると、この『秒速5センチメートル』こそ、東浩紀の提唱する「データベース消費」の格好の例かもしれません。
 物語は貧弱だが、風景というデータベースから持ってきた画を並べることによって観客の感情を喚起させる。まさに新しい時代の映画なのかもしれません。


秒速5センチメートル 通常版
新海誠
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