小羽俊士『境界性パーソナリティ障害』読了

 あとがきに「想定した読者対象は、境界性パーソナリティ障害の治療、とくに精神療法に実際にたずさわっている専門家である」(200p)と書かれているように、決して一般向けに書かれたわかりやすい本(例えば、境界性パーソナリティ障害とは何か?そういった人とはどうつき合えばいいのか?といったことを書いた本)ではないですが、これはいい本だと思います。
 治療者向けということで、内容も非常に実践的ですし、また少し言いづらいこともストレートに書いています。例えば、境界性パーソナリティ障害に関して遺伝の影響を指摘していますが、このあたりは、日本のこうした本では今まであまり語られなかったことだと思います。


 そして、ます注目したいのは境界性パーソナリティ障害の捉え方。
 「境界例」などともいわれるこのタイプの患者に関して、今まで「衝動的」、「情緒不安定」、「病理的な二者関係にはまりやすい」、「心理学的な解釈を先取りする」などの特徴があげられてきましたが、著者がまず注目するのはそれとは違った「漠然としたコミュニケーション」という特徴です。

 しかし境界性パーソナリティ障害には、より目立たない形ではあるが、より根源的であろうと思われるいくつかの思考・感情・コミュニケーション上の特徴がある。これを一言でいうと、「主観的な体験を漠然ととらえ、漠然としたまま反応し、漠然としたままコミュニケーションしてしまう傾向」と表現できるであろう。 <中略> たとえば、対人関係においてはその体験を漠然としか認知しないため、そこに主観的な意味付けが入り込みやすくなり、ときには妄想的と言えるほどまで対人関係の認知が歪むことにつながる。 <中略> また体験が漠然としているため、患者自身が自分の感情や気持に気づきにくく、言葉で表現しにくく、体験がしっかりとした一貫性のある記憶として残ることも難しくなってしまうであろう。これが境界性パーソナリティ障害の患者に独特の空虚感や「自分がない感覚」、自己感覚の希薄さにつながってしまうと考えられる。さらに、主観的な体験を漠然としたまま相手にコミュニケーションしてしまうため、相手にも理解されにくく、誤解されやすく、共感されにくい結果を招きやすい。こうしたコミュニケーションの不全感、共感不全感は慢性的に続くことになり、持続的な孤独感の中で生きて行くことになるのであろう。こうした状況でたまに患者の内面を少しでも理解してくれる相手ができると、患者はしばしばその相手を理想化することになり、強く依存するようになる。この時点で、その理想化された相手は患者にとっては世界そのものになるので、その相手を失うことは世界を失うことに等しい体験になる。それゆえ強い「見捨てられ不安」を持つようになるのであろう。患者にとっての「見捨てられ」は普通の意味での「見捨てられ」ではないわけである。まさに世界が崩壊してしまうのと同じ体験になるのだ。(8ー9p)

 
 著者は、この本でこのような患者に対する精神療法をとり上げるわけですが、その精神療法の特徴は、治療における患者のさまざまな連想を、つねに患者と治療者の二者関係の中に置き換え、その中で消化しようとするもです。

 「解釈」は基本的にほとんどすべて、治療者・患者関係の中で、患者が治療者との「今ここで」の対人関係についてどんな思いを持っているかということへの共感的な理解を進めるものとしてなされるべきである。このため、患者が両親などの生育歴上の重要人物との過去の体験を語っているときでも、その話は無意識的に治療者との関係をどのようにとらえているかを象徴する話となっていると考えていくのが原則である。(132p)

 精神分析・精神療法の本を何冊か読んだ人ならわかると思いますが、このやり方は例えば患者の抑圧された記憶を探るような治療とは全く違いますし、患者の反応をすべて「転移」として解釈して解釈し、まるで「転移」を誘発するようなやり方に感じるかもしれません。
 僕も最初にこの本に載っている臨床例を読み進めていた時、「ここまで二者関係に落とし込んで解釈していいものか?」と疑問にも思いましたが、境界性パーソナリティ障害の「漠然とした感覚」というものを考えると納得のいくものです。常に患者の行動を二者関係の間のものに落とし込むことで、確かに患者の体験というものはよりはっきりとしてきます。


 また、108p以下の沈黙についての考察も興味深い。ここでは別の面接で消耗し治療者が治療に集中できないことについて患者がそれに気づいて指摘し、治療者が謝るという臨床例が紹介されているのですが、これについて著者は謝るのは間違いで、沈黙をつづけるべきであったと説きます。
 臨床例では患者が「問題を打ち明けてくれて嬉しい」と言っているので、一見すると面接がうなく言っているようにも思えますが、その後、この患者は「自分が迷惑がれらているのではないか?」と不安を持つようになります。
 このあたりが境界性パーソナリティ障害の難しいところなのでしょうが、ここでもコミュニケーションに対して主観的な意味付けをしてしまう境界性パーソナリティ障害患者の特徴と、常に患者から反応を引き出し、その意味をはっきりさせるという著者の治療戦略が窺えます。
 ここ最近の精神療法に関する本の中でも、なかなかオリジナリティを感じさせる本ですし、境界性パーソナリティ障害の治療において有力な指針を与える本でしょう。


 ちなみに、この本はhttp://d.hatena.ne.jp/morningrain/20080808/p1でとり上げた細澤仁『解離性障害の治療技法』と同じくみすず書房の出版で、さらに編集者も同じ田所俊介という人物なんですよね。今まで中井久夫木村敏などのビッグネームの本を数多く出して来たみすず書房の中では、両著とも比較的無名の著者だと思うのですが、両著とも非常にいい本。きっと編集者もよいのでしょう。
 あと、「自殺と遺伝」に関する気になる記述もあるのですが、それはまた時間のある時にでも書きます。


境界性パーソナリティ障害―疾患の全体像と精神療法の基礎知識
小羽 俊士
4622074451