松木邦裕『摂食障害の治療技法』読了

 最近感じるのは、摂食障害を治療していくには私は歳をとりすぎたということである。何事にも旬の時期があることを感じる。私のそれは終った。(210p)

 これは「あとがき」に書かれている言葉ですが、この時、著者の松木邦裕は47歳。
 その歳でこの言葉を言わしめてしまうほど、摂食障害とは強烈なものであり、またこの本で紹介されている閉鎖病棟を使っての治療技法というものもまた強い作用を持つものです。
 実は、http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20080808/p1で紹介した細澤仁『解離性障害の治療技法』のあとがきにこの言葉が同意とともに引かれていて、それで興味を持って読んでみました。(ちなみに細澤仁はこのとき45歳)


 それほどの消耗を強いる摂食障害の様子は例えば次の症例の一場面に現われています。

 盗みを咎めるスタッフの前で、Aは服を脱いで、その服を首に巻きつけ、両手で力いっぱい引き絞って自分の首を絞めたのである。制止を振り切って、吐きながら首を絞め続けた。止めようとする私に『私が悪いんです。死にます。死ぬ!』とほとんど悲鳴に近い叫びをあげて、彼女は首を絞め続けた。それはものすごく悲惨であるとともに、言いようのない奇妙な光景だった。彼女は首を絞めて死のうとしていた。ただそれと同時に、この機会に吐こうとしていた。彼女は自分自身を激しく責めて痛めていた。またそれと同時に、私を激しく責めて痛めていた。そして快感があった。(42p)

 このような摂食障害患者の病理の中心を著者はナルシシズムに見ています。

 彼女らが拒食を始め、やせはじめるとき、「ブタと言われた」とか「好きな男の子がやせた女の子がいいと言った」などのきっかけが語られることも多い。しかしながら、彼女らをきちんと観察し続けてきた治療者なら、これらのことがきっかけであるとしても、それはその一部分に過ぎないか、言い訳であることは見通している。彼女らはやせていくと、そうした外界対象との関係に関心を向けなくなっていく。極度にやせた身体を作り上げることは、そのこと自体に没頭していく自己愛的な充足なのである。(28p)

 こうした自己愛的な充足は自らの身体を危機にさらしてもなかなか止まらず、時には「姉に脂っこい食事を作り、とらせ、太らせて、ますます軽蔑の対象とすることで自分のなかの羨望と抑うつを防衛する」(29p)といった形で周囲を巻き込み、家庭内での破壊行為などに至ります。

 
 その一面、摂食障害患者はときに非常に物わかりのいい患者であり、治療者に合わせて「治ったふり」をすることに長けている場合も少なくありません。
 そこで著者は打ち出すのが閉鎖病棟を使った入院治療。
 閉鎖病棟と聞くと反民主的で前時代的なものに感じますが、著者はそこであえて患者に治療者に対する陰性の転移を起こさせ、患者の憎しみを抱え込むことで、その憎しみをワークスルーしようとします。
 患者は要求し、脅し、自殺をほのめかし、家族やスタッフを巻き込もうとし、主治医をののしり、つかみかかり、蹴ったりもしますが、そこまでしないと患者は自らの病理に直面しないというのが著者の見立てです。
 とにかく、この本に載っている症例には圧倒されるといっていいでしょう。


 また、「摂食障害とは女性が自らの身体が女性になることを拒否するために起こるものである」との一種の俗説がありますが、この本では男子の症例もとり上げられており、必ずしもそれが当てはまらないことがわかります。
 一方で摂食障害患者において、多くの場合、「拠り所のなさ」から理想や潔癖を追求する母親と、存在感のない父親という組み合わせで起こりやすく、特に父親の存在感の希薄さが、ジェンダーアイデンティティの混乱をもたらしているのではないかという第5章と第6章での議論は興味深いです。
 

 強烈で、ある種、読んで疲れる本かもしれませんが、いい本だと思います。


摂食障害の治療技法―対象関係論からのアプローチ
松木 邦裕
4772405607