斎藤環『関係の化学としての文学』読了

 斎藤環、3冊目の文藝批評。1冊目の『文学の徴候』が作家論、2冊目の『文学の断層』が時評的な者だったのに対し、これは「表現論」だとあとがきに書いてありますが、読み終えた感想としては「表現論」と同時に「女性論」であったような気がします。

 
 「関係性」を描くことこそ文学の特徴である、この切り口をもとに桐野夏生鹿島田真希、マルグリッド・デュラス、金原ひとみ桜庭一樹谷崎潤一郎、川上美映子、中上健次の作品を俎上に載せて分析していくわけですが、一見してわかるように女性作家が多いです。
 斎藤環は「やおい」などの分析を通して、男性の欲望が「所有」に向かうのに対して女性の欲望は「関係性」へ向かうと言いました。また、『母は娘の人生を支配する』では母親と娘の関係について1次のような知見を示しました。

母親の価値規範の影響は、父親のそれに比べると、ずっと直接的なものです。母親は娘にさまざまな形で「こうあってほしい」というイメージを押しつけます。娘はしばしば、驚くほど素直にそのイメージを引受けます。この点が重要です。価値観なら反発したり論理的に否定したりもできるのですが、イメージは否定できません。それに素直に従っても逆らっても、結局はイメージによる支配を受け入れてしまうことになる。

http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20080612/p1参照

 こうした「女性」の見方を通じて、小説で描かれる「女性」を探求したのがこの本と言えるかもしれません。
 桐野夏生における「攻め」と「受け」の関係性から、金原ひとみの「アメーバとしての身体」などが、斎藤環のそしてラカンの「女性」への見方を通して分析されています。

 
 今までの本に比べるとかな「現代思想」っぽい、あるいは言葉を変えると「批評空間」っぽいところがあり、少し読みにくい点はあります。特に最後の中上健次論は、個人的に中上健次にピンと来なかったこともあっていまいちピンと来ませんでした。
 それでも、最初の桐野夏生論は非常に魅力的ですし、谷崎潤一郎についても『細雪』の雪子は「ひきこもり」である、といった面白い指摘もあり読ませます。
 個人的にはhttp://d.hatena.ne.jp/morningrain/20080803/p1で紹介した『文学の断層』が一番面白かったですが、これもなかなか読ませる本です。
 

関係の化学としての文学
斎藤 環
4103140518