ケヴィン・ブロックマイヤー『第七階層からの眺め』

 『終わりの街の終わり』がなかなか面白かったケヴィン・ブッロクマイヤーの短篇集。『終わりの街の終わり』は「生きている者に記憶されている間だけ滞在できる」という死者の世界の描いたお話で、何よりもその設定が秀逸でしたが、この『第七階層からの眺め』でもなかなか面白い設定のお話が楽しめる。
 ただ、ケヴィン・ブロックマイヤーの作品はSF的な設定を借りつつも必ずしもSFっぽくないのが特徴で、この『第七階層からの眺め』でも、最後の方はほぼ純文学とも言っていいような作品が多いいです。また、いかにも短篇SFに有りそうなネタ(特に河出の「奇想コレクション」とかにありそう)を使いながら、「オチ」がない作品も多く、その点が最後に見事にオトシてみせる奇想系の作品とは違います。


 例えば、「静寂の年」という作品。
 あるとき、ある都市に不意に完全な静寂が訪れます。その静寂は何日か起きにおこり、少しずつ長くなっていきます。人びとは次第にその静寂を楽しむようになり、その静寂が訪れるのを渇望するようになるのです。
 やがて人びとは静寂に価値を見出し、都市から騒音を追放する運動を推し進めます。静寂に慣れた人びとは蛍光灯のブーンという音、トイレのタンクに水を補充する音までもが気になるようになり、人びとは完全な静寂を求めてさらなる努力を続けていくことになるのです。
 ここまで説明すると、最後の「オチ」が色々と頭に浮かぶ人もいるでしょう。いかにも最後に何かブラックな「オチ」があるはずだと感じさせる話です。
 ところが、この話は「オチ」ません。最後まで不思議な印象を残したまま、このお話は終わります。


 この「オチ」のない不思議な感じは、ラストを飾る「ポケットからあふれてくる白い紙切れの物語」でもそうです。
 ある日「神のコート」を買った男は、知らない間にポケットの中にメモが入っていることに気づきます。そのメモには「今日の午後、臆病風に吹かれたりしませんように」とか「昔の喜びをどうか返してください」とか書いてあって、男はやがてそれが人びとの祈りであることに気づきます。人びとの集まる場所に行くといつのまにかたくさんの祈りを描いたメモがポケットの中に入っているのです。
 このお話には、一応ささやかな「オチ」があります。けれども、それは「神のコート」という思い切ったアイディアに比べると本当にささやかな「オチ」です。


 そういった意味でこのブロックマイヤーの作品は、SFというよりも普通のアメリカの短編小説として読むのがいいのでしょう。
 ゲームブックのスタイルを取った「<アドベンチャーゲームブック>ルーブ・ゴールドバーグ・マシンである人間の魂」やチェーホフの「犬を連れた奥さん」のアレンジである「トリブルを連れた奥さん」など、メタフィクション的な変わった作品もありますが、基本的には「人間」と「ちょっと不思議な出来事」を描いた、オーソドックスな短篇集だと思いました。


第七階層からの眺め
ケヴィン ブロックマイヤー 金子 ゆき子
4270006773