『それでも夜は明ける』という邦題(原題は『12 YEARS A SLAVE』で、アカデミー賞作品上受賞作!でしかも実話が元になっているというと、壮大なヒューマン・ドラマを想像しますが、この作品はそういった「ヒューマン・ドラマ」という語り口があまり似合わない作品かもしれません。見た人の多くはそう感じると思いますが、想像以上にこの映画は「ヘヴィー」なのです。
ストーリーとしては北部の自由国人でバイオリン奏者としても才能のあり、家族と幸せに暮らしていた主人公のソロモンが、ある日突然拉致され、奴隷として南部の綿花農園に売られてしまい、数々の酷い仕打ちを受けながらもあきらめずに生き抜き、そして奴隷身分から脱出するというものです。
このあらすじを聞けば「家族を信じて12年間希望を失わなかった男!」というようなキャッチフレーズが浮かんできますし、映画の予告編もそんな感じで作られていたと記憶しています。
ところが、この映画はそうした「希望」や「家族」の素晴らしさを謳いあげるというよりは、「希望」や「家族」といった言葉が通用しない「狂った世界」を描いた作品なのです。
主人公のソロモンは白人の二人組に飲みに誘われて潰されたあと、いきなり鎖に繋がれ、ムチで叩かれ、そして名前を奪われます。今までの積み重ねをすべて奪われて、「奴隷という商品」にされるのです。そして、「南部」という、奴隷が認められた「狂った世界」に連れてこられることになります。
この作品には、さまざまな白人が登場します。ポール・ダノ演じる卑小な差別主義者である大工(このポール・ダノはいかにもでいい感じ!)や、完全にいかれている感じの2番目の主人のエップス。彼は差別主義者でありながら、自らの女性奴隷に手を出すなど、奴隷を完全に「所有物」とみなしている人物です。そして、主人公にそれなりに理解を示し便宜を図ってやるベネディクト・カンバーバッチ演じる最初の主人のフォード。
「ヒューマン・ドラマ」であれば、あるいは白人の監督であれば、このフォードのような「黒人奴隷に友情を示す白人」をドラマのキーに持ってくるかもしれません(この映画でも後半出てくるブラッド・ピットが一応その役目を果たす)。
ところが、イギリス生まれの黒人監督であるスティーヴ・マックイーンは、最初に強烈な奴隷売買のシーンを見せることで、フォードもまた「狂った世界」の住人であることを観客に印象付けます。
また、白人男性と結婚したことによって黒人の召使を持つようになった黒人女性も登場しますし、その他のいたるところで「狂った」あるいは「歪んだ」部分が描かれています。
個人的にこの映画を見ていて思い出したのは、エドワード・P・ジョーンズの小説『地図になかった世界』(とり上げた記事 http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20120128/p1)。
黒人作家が、「黒人奴隷を所有する少数の黒人がいた」という歴史的事実からひとつの家族と地域の歴史を創り上げた小説なのですが、ここでも描かれていたのは奴隷制のもたらす「社会の歪み」のようなものでした。
けっこうグロいシーンもあって、軽い気持ちで見るには「重すぎる」映画かもしれませんが、かなりの「重み」と「強度」を持った映画で、アカデミー賞をとるのも納得の出来です。
地図になかった世界 (エクス・リブリス)
エドワード P ジョーンズ 小澤 英実