前田健太郎『市民を雇わない国家』

 それは、ある研究会での(城山英明)先生おご発言である。その日のテーマは、原子力政策だったと記憶している。詳しい文脈は覚えていないが、原子力安全規制に携わる人員は日本に比べてアメリカの方が圧倒的に多い。その意味でアメリカは案外大きな政府である、という先生のご指摘が筆者には大変印象的だった。気になって調べてみると、原子力行政に限らず、アメリカは日本よりも公務員が多い国だった。それまで筆者はアメリカの方が官僚制の権力が弱く、小さな政府なのではないかと思っていただけに、この事実は極めて反直観的であった。そして、なぜ日本では公務員がこれほど少ないのか、その理由が知りたくなった。(294p)

 これはこの本の「あとがき」に書かれている文章ですが、確かに「日本の公務員はアメリカよりも少ない」と聞くと、「えっ?」と思う人も多いでしょう。アメリカは「小さな政府」であり、それに比べると日本には肥大化した官僚機構があり、まだまだ「改革」の余地はあるという漠然としたイメージは政治家やマスコミの間にも根強くあります。
 

 しかし、データを見ると日本の公務員の数や労働人口に占める公務員の割合は他国に比べて圧倒的に少ないのです。
 労働力人口に占める公務員の割合は、この本の37pのグラフを見るとノルウェースウェーデンで30%近く、イギリスで20%近く、アメリカでも15%近くなのに対して、日本は5%ほど。他の先進国に比べて圧倒的に少ない割合になっています(韓国が日本とほぼ同じような割合だがそれでも韓国のほうが高い)。


 なぜ、日本の公務員は少ないのか?
 この謎を解き明かそうとしたのがこの本になります。
 そして、この公務員の少なさが女性の社会進出を妨げる大きな要因となってきたこともこの本は示しています。
 博論をもとにした本で、叙述も専門的ですし値段も高いのですが、非常に面白く重要なテーマを扱っている本と言えるでしょう。


 目次は以下の通り。

序論
第1章 日本の小さな政府
第2章 小さな政府への道
第3章 上からの改革
第4章 戦後改革と制度の選択
第5章 給与と定員
第6章 イギリスの転換
第7章 福祉国家行政改革
結論


 とは言っても、「国家公務員は少なくても地方公務員は多いのでは?」、「独立行政法人公益法人を入れればかなりの数になるんでしょ?」とかんがえる人もいるかもしれません。
 この本の第1章では、様々なデータを使い、地方公務員や独立行政法人公益法人の人数を含めたとしても、他国に比べて公務員の数が少ないことを示しています。
 また、この第1章では、最後に労働人口に占める公務員の割合と女性の労働参加率に明確な関連性があることを紹介しています。


 この日本の公務員の少なさについて、これを中曽根内閣における三公社民営化の成果、あるいは橋本内閣による行政改革の成果、小泉改革構造改革の成果と考える人もいるかもしれません。特に三公社民営化をもたらした第二臨調をきっかけとして公務員数の増加に歯止めがかかったとの認識は専門家にもある程度共有されています(73p)
 しかし、人口千人あたりの公務員数のデータを見ると、国家公務員数は1950年からほぼ横ばい、地方公務員や政府関係機関職員の伸びも1960年代なかばには止まっています。
 日本以外の先進各国の公務員数の伸びがストップするのは1980年代前後なのですが、日本ではそれが1960年代になります。そして、この伸びが止まった時期の早さこそが、日本の公務員が少ない要因なのです。


 では、なぜ60年代に伸びが止まったのか?ポイントとなるのは人事院です。
 御存知の通り、日本の公務員の給与は労使交渉ではなく内閣からある程度の独立性を持つ行政委員会の人事院の勧告に基づいて決められています。これは1947年にGHQによって出された政令201号によって公務員の団体交渉権と争議権が失われたためです(このあたりのいきさつは第4章に詳しく書いてある)。


 公務員の給与について勧告する人事院の存在と公務員の数にどのような関連性があるのか?この本の説明するロジックは次のようなものになります。
 まず、60年代後半までの日本には、好景気になると輸入が増えて外貨準備が減少し、経済を引き締めざるを得ない「国際収支の天井」が存在しました。当時のブレトン・ウッズ体制のもとでの固定相場制では多くの国が同じような問題に直面しています。
 経済を引き締めるためには財政も引き締めざるを得ません。この財政の引き締めのポイントのひとつが公務員の人件費なのですが、労使交渉によって公務員の給与を抑えることによって人件費を圧縮することが可能な国に比べ、基本的に人事院の勧告を受け入れざるを得ない日本では(もちろん、いろいろな理由で実施の時期を遅らせたりするのですが)、給与を抑えることができないので、代わりに公務員の定員を抑えることによって公務員の人件費の伸びを抑制しようとしたというのです。


 この本では、第6章でイギリスの事例を、第7章でその他の国々の事例をとり上げることで、このロジックを補強しています。


 イギリスも日本と同じように国際収支の問題に直面していましたが、1970年代後半まで公務員の増加は続きました。これは、イギリスの公務員の給与が日本と違って公務員の労組と政府の交渉で決まっていたためです。イギリスは公務員の給与の伸びを抑え、それによって民間の給与の伸びも抑える所得政策をとることができたのです。
 しかし、この路線も1974年に炭鉱労働者のストライキによってヒース政権が倒れると破綻します。そして、その後の労働党のキャラハン政権のときに公務員の伸びは止まることになるのです。
 イギリスの行政改革といえば、何と言ってもキャラハンの後に出てきた保守党のサッチャーなのですが、実はサッチャー以前に政策転換はなされていたのです。この本を読むと、サッチャー政権を誕生させたのが、その政策転換の流れを見誤った労働組合の「戦術ミス」だったことも見えてきます。


 第7章では、さまざまな「福祉国家理論」を検討しながら、福祉国家と公務員の数について分析を加えています。
 一般的に、福祉国家は公務員が多いわけですが(スウェーデンノルウェーフィンランドなど)、福祉国家とは言い切れないフランスも公務員の数では北欧諸国に匹敵するレベルです。
 ここで登場するのが著者の用いる政府の賃金交渉力が公務員の数に大きな影響を与えるというロジックです。実際、フランスは中央政府の公務員給与に対する決定力が強く、経済危機に対する取り組みにおいて公務員の賃金上昇が大きな制約要因とならなかったのです。
 また、他にもこの章では、同じように公務員の賃金抑制に成功したがゆえに公務員の増加が続いた国としてオーストリアを分析しています。
 この章は、ここからふくらませればもう1冊本が書けそうな内容で、非常に興味深いですね。


 そして結論では、2つの重要な点を指摘しています。
 1つは最初にも書いた女性の社会進出の問題です。。これについて、著者は次のように述べています。

 日本の公務員数が政治的に低い水準に抑制されたという本書の議論は、一見すると公務員が不利益を受けたという話のようにも思えるものの、人事院勧告が機能する限りにおいて公務員は特に金銭的不利益を被ったわけではない。むしろ、最も大きな不利益を被ったと考えられるのは、他の国であれば公務員になれたにもかかわらず、日本では公務員になることができなかった社会集団、すなわち女性である。(260p)

 「公共部門における雇用の拡大は女性の生活を保障すると同時に、その団結を助ける働きを持ち」(262p)ます。女性が労働組合などに組織されることによって、女性の政治へのアクセスも強化されます。このような経路が日本には乏しかったのです。
 そして、現在の安倍政権の「女性活用」においても、想定されるのは民間部門での「活用」であり、公共部門では「管理職比率の向上」です。


 もう1つの指摘は、「公務員数の削減によって公共部門の相対的な給与水準が上昇し、民間部門の不満をもたらすとういうもの」(263p)です。
 仕事量が減らないのに公務員の数が減れば、その仕事の比較的高度でない部分がは民間に委託されたり、あるいは非正規雇用によって手当されます。残った公務員は高度な仕事に取り組むわけですから、その給与は高くなります。
 ただ、給与が高くなると、当然、税金を払う立場の民間からは不満も出るわけで、「行政改革」が求められるわけですが、そこで行われるのはさらなる民間委託や非正規雇用の増員です。結果的に、一種の「二重構造」がますます強化されているのではないか?という懸念を著者は示しています。

 
 このように、この本は「日本の公務員の少なさ」を歴史や国際比較を通じて説明しています。
 この本の存在を教えてくれた砂原庸介氏のブログでも指摘されてるとように、「人事院の存在が大きいというけど、なぜ政府は人事院をコントロールできなかったのか?(例えば、最高裁は政府と矢口洪一の阿吽の呼吸で上手くコントロールされたのでは?)」という疑問を浮かびましたが、国際比較もあって全体的には納得できる議論がなされていると思います。


 また、個人的に日本の雇用を変えていくには(同時に男女平等を実現し、格差を是正していくためには)、国や地方公共団体等の公的セクターが年功賃金ではない「ジョブ型公務員」を生み出して行かないと思っていただけに非常にタイムリーな内容でした。
 高い本ですし、一般向けの本とは言えないですが、お勧めです。

市民を雇わない国家: 日本が公務員の少ない国へと至った道
前田 健太郎
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