有田伸『就業機会と報酬格差の社会学』

 日本では正規雇用非正規雇用の格差が問題になっており、いたるところで非正規雇用の境遇の悲惨さや、正規雇用との格差の理不尽さなどが語られています。そして、そうした声に応えるため、現在の安倍政権も「同一労働同一賃金」の掲げることなどによってこの格差に対策をとろうとしてます(「同一労働同一賃金」をどう定義づけるかという難問がありますが)。
 

 どうして非正規雇用の賃金は正規雇用よりも低いのでしょうか?
 労働時間や、正規雇用非正規雇用の責任の違い、個人の能力(一般的に能力が高い人が正規雇用に能力の低い人が非正規雇用になっており、賃金差は個人の能力差の現れ)など、この差についての説明はさまざまなのがあります。


 これに対して、この本では、韓国をはじめとする諸外国との比較などを通じて、「日本では非正規雇用の待遇は低いのもだという人々の認識や想定があって、それが正規雇用非正規雇用の格差を生み出している」という議論を行っています。
 専門的な計量分析などを駆使しつつも、社会学ならではの概念そのものを疑うような刺激的な分析がなされているのです。


 目次は以下の通り。

序章 日本の格差問題を理解するために、いまいかなる視角が必要か?
1章 ポジションに基づく報酬格差への視座
2章 所得と主観的地位評価の格差
3章 雇用形態・企業規模間の賃金格差
4章 日本と韓国における「非正規雇用」とは何か?
5章 正規雇用/非正規雇用の区分と報酬格差
6章 ポジションにもとづく報酬格差の説明枠組み
終章 日本社会の格差問題の理解と解決に向けて


 序章において、著者はまず、格差社会はしばしば「椅子取りゲーム」に例えられるけれども、経済学ではしばしば賃金の格差は原因は本人の能力(人的資本)に帰されていることを問題として指摘しています。
 一方、社会学では階層についての分析などを通じて、「機会の格差」について研究を進めてきましたが、格差の原因、つまりあるポジションの賃金が高い理由などについては少数の例外を除いて十分に言及してこなかったといいます。
 著者はこの両者の欠けた部分を埋めていこうとします。つまり、「日本において、個人の能力だけではなくポジションによって賃金格差が生まれているのであれば、その格差が生まれる原因は何なのか?」という問いに答えようとしているのです。



 この「ポジション」として、現在の日本で広く認知されているのが「正規雇用」と「非正規雇用」です。
 「雇用が増えたと言っても正規雇用が増えなければ意味がない」とか「非正規雇用だから結婚できない」とか、この区分は広く使われています。
 一般的に「無期雇用」、「直接雇用」、「フルタイム雇用」の3つの条件をみたすものが「正規雇用」で、それ以外が「非正規雇用」だというのがその分け方となていますが、現実には「フルタイムで働くパート」のようなこの分け方ではうまく分類できない存在もあります(フルタイムのパートは「無期雇用」、「直接雇用」、「フルタイム雇用」の3つの条件を全て満たしているが、多くの人は「非正規雇用」だと考えるでしょう)。
 また、やや先取りになりますが、この本の第6章ではパートとアルバイトの区分についてもとり上げています。パートとアルバイトという区分もわれわれが当たり前のように使っている区分ですが、「では、それを区分する定義は?」と聞かれると、パートは主婦中心で、バイトは学生中心といった漠然とした答えしかでてこないのではないでしょうか。


 実際、以前から日本の研究者たちは階層や格差をどう扱うかということに頭を悩ませてきました。
 日本の「SSM総合職業分類」においては職種だけでなく、企業規模も基準として用いられています(35-37p)。「同一労働同一賃金」の原則が強い欧米社会では、職種が特定されればその賃金などもある程度特定されるわけですが、職種別に採用されるわけではない日本では企業規模が賃金に大きな影響を与えています。つまり大手企業に勤めているのか、中小企業に務めているかということが、一種の階層を生み出しているのです。


 この企業規模による賃金への影響が強いのはおとなりの韓国も同じです。韓国は企業規模が賃金に与える影響が日本以上に強く、特に男性に関してはこの影響が目立っています(第2章の分析)。
 一方、正規雇用非正規雇用かという雇用形態が賃金に与える影響は日本よりも小さくなっています。日本と似た部分の多い韓国社会ですが、正規雇用非正規雇用かという雇用形態の違いは、日本ほど大きな格差を生み出していない可能性があるのです。


 韓国の労働に関する統計は日本のものを参考につくられたという歴史があり(108ー112p)、「非正規雇用」という言葉も存在するのですが、その把握のされ方は日本とは異なったものになっています。
 1997年末に生じた通貨危機以降、韓国でも「非正規雇用」が増大します。しかし、「常雇/臨時雇/日雇」という当時の調査の分類では、多様な雇用形態を捉えることはできず、政府もこうした実態を把握するために新たな分類の導入に乗り出しますが、そもそも韓国では書面を通じて明確な雇用契約を交わす被雇用者が少ないことなどもあり、分類を巡っては論争も起こりました。


 一方、日本でも先ほど述べたように、「無期雇用」、「直接雇用」、「フルタイム雇用」という条件だけでは正規雇用とパートタイムを区別することは難しく、「勤め先において「パートタイマー」と呼ばれている従業員をパートタイム労働者とみなす、という「呼称」に基づく補足」(125ー126p)が行われるようになっていきます。
 つまり、「ひとびとが『パート』と呼んでいるものをパートタイム労働者として捉える」(128p)という循環的な定義がなされているのです。著者はこれについて、「パートタイム労働者に対する「社会構築主義的アプローチ」とも呼び得るものであろう」(128p)と述べています。


 この本の第5章では、そうした日韓の違いを踏まえた上で、韓国と日本の非正規雇用と賃金の関係について分析しています。
 韓国には先ほど述べたように、零細企業に勤め、明確な雇用契約を交わしていない「実質非正規雇用」のような人々が数多くいます。一方、1980年代末の激しい労働争議以降、工場の現場では社内下請工が使われるようになり、請負労働を行なう非正規雇用が増えています。さらに、90年代以降は金融業などで派遣や有期雇用(その多くは女性)の利用が一般化しました。
 賃金に関しては、男性ブルーカラーでは正規から非正規(先程述べた社内請負工が中心)になると賃金は下落します。一方、ホワイトカラーの男性では、時間制雇用の大学教員や塾講師も入ってくるために時間制雇用に関しては正規雇用よりもむしろ賃金が高くなります。そして、女性のホワイトカラーでは特に大きな賃金の格差は見られません。


 つまり、韓国では「非正規だから賃金が安い」という単純な関係が成り立っているわけではなく、それぞれの個別の事情に応じて非正規雇用の賃金が決まっているのです。 
 それに対して、日本では直接雇用の正規雇用非正規雇用の賃金格差は、性別や年齢を問わずに、非正規雇用は「正規雇用と比べて賃金水準が20ー30%下落する、というのがほぼ共通した傾向」(182p)となっています。


 こうした分析を踏まえ、第6章では、「どうして日本では非正規の待遇が低いことが受け入れられているのか?」という問題に切り込んでいきます。
 例えば、濱口桂一郎『新しい労働社会』をはじめとする一連の著作では、日本型雇用の特徴として企業に対するメンバーシップを持つ正社員とそれ以外の従業員という形で、この格差を説明しています。
 しかし、著者はそのロジックを認めた上で次のように述べます。

 しかし韓国との比較の視点に立てば、なぜ日本では、同じ企業に直接雇用された従業員の間にメンバーシップ(やシチズンシップ)を有する従業員とそうでない従業員の区別が存在し、なぜそれが許容されるのか、という点こそが問題となる。この点については、もう少し踏み込んだ説明が必要であろう。(201p)


 まず、正社員とパートタイマーの格差を正当化するのがジェンダーと生活給の考えです。
 日本の年功賃金の本質は、「年齢別の生活費保障」だと分析されることがありますが、このような賃金体系は主に男性を念頭に置いたものであり、大沢真理に言わせれば「”妻子を養う”男の生活費にみあう賃金に、女をあずからせるということ自体が論外」(202p)となります。
 そのために「妻子を養う」必要のない女性はパートというカテゴリーに押し込められ、正社員との賃金格差は正当化されるのです。
 また、前にパートとアルバイトの区別の難しさについて言及しましたが、結局、労働者側の人的特性で判断するしかないのが現状です。そして、アルバイトもまた「学生がするもの」と想定されているので、生活給の思想のもとでは賃金格差が正当化されるのです。
 

 ただ、日本で生活給の考えが根強いとしても、「なぜ個々の従業員が直面している実際の家計支持の必要性に直接応じた形で生活給を支払うのではなく、その必要性をきわめて大雑把にしか反映しない従業員カテゴリーの違いに従って報酬の差異化を行なうのか、という問い」(207p)は残ります。


 まず、正規雇用非正規雇用の賃金格差を正当化するためのロジックとして、「正規雇用非正規雇用では期待される義務や責任が違う」というものがあります。最近は、今野晴貴『ブラックバイト』が紹介するような過酷な責任を背負わされたバイトというのも存在しますが、この義務や責任の違いというのは比較的受け入れやすいロジックでしょう。


 さらに、著者は格差を正当化するロジックとして正規雇用非正規雇用の採用基準の違いにも注目します。

 日本では、正社員とそれ以外の非正社員との間で採用枠が異なっており、概して正社員の方が非正社員よりも採用が難しく、採用基準も高い。したがってエバンスが指摘したように「正規雇用に就いているのは、より高い基準の選抜を通過した、より能力の高い従業員である」と想定することは十分に可能であり、また実際に、こんにちの日本社会ではそのような想定が広く流通しているといえよう。このため、正規的な従業員カテゴリーと非正規的なカテゴリーの間では「採用時の選抜度と採用基準」が異なることによって、それぞれのカテゴリーに就いている就業者の能力自体も異なる〜それが事実であるかどうかはひとまず別にして〜と想定され、さらにそれが正規雇用非正規雇用の報酬の違いを正当化している、と考えられることになる。(209ー210p)


 これは日本の学歴に対する考えなどを思い起こすと納得できるロジックではないでしょうか。就活において一定以上の偏差値の大学からしか採用しない「学歴フィルター」というものが存在すると言われていますが、当然ながら偏差値の低い大学の中にも社会人として優秀な資質をもった学生はいるはずです。ただ、採用する側はその資質が簡単にはわからない、だから学歴に頼ることになるわけです。
 さらにこの学歴というものはしぶといもので、採用時だけではなく、入社後の選抜でも参照されるケースもあるでしょう。「学歴が高いから優秀なはずだ」という便宜的な想定が人々の頭のなかに残り続けることもあると思うのです。


 このようにこの本では正規雇用非正規雇用の格差を正当化するロジックがえぐり出されているわけですが、著者は「日本における正規雇用非正規雇用の区別、ならびにその間の報酬格差の正当化は、明文化されていない「想定」に基づくものであるために、その分問題の解決が難しくなっている、といえるのかもしれない」(231p)と述べています。 
 実際、終章では格差を是正する方策が検討されていますが、どれもなかなか難しいといった印象を受けます。
 ただ、終章で紹介されている韓国の金融業での非正規雇用正規雇用への転換の例は一つの参考になるでしょう。その背景には通貨危機後の公的資金注入の結果、金融機関の大株主が政府系期間になっていたという特殊な要因があったりするのですが、見方を変えれば、政府がイニシアチブをとることで非正規の待遇改善が可能になってくるかもしれません(日本の場合は、上林陽治『非正規公務員』に見られるように、まず公的機関が非正規の問題を解決すべきという感じですが)。


 しっかりとした専門書のため硬い部分もありますし、第3章で行われている分析の是非などは正直分からない部分もありますが、非常に刺激的で面白い本だと思います。
 雇用問題を扱うアプローチとしては、経済学と法学がやはり強いと思いますが、本書は社会学の特性を十分に活かしながら、今まで見過ごされてきた部分にスポットライトを当てた有意義な本です。


就業機会と報酬格差の社会学: 非正規雇用・社会階層の日韓比較
有田 伸
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