短編「折りたたみ北京」や長編の『1984年に生まれて』で知られる郝景芳のデビュー作にして、本格的な火星SFとなっています。
裏表紙に書かれた紹介は次のようになっています。
22世紀、地球とその開発基地があった火星のあいだで独立戦争が起き、そして火星の独立で終結した。火星暦35年、友好のために、火星の少年少女たちが使節「水星団」として地球に送られる。彼らは地球での5年にわたる華やかで享楽的な日々を経て、厳粛でひそやかな火星へと帰還するが、どちらの星にも馴染めず、アイデンティティを見いだせずにいた。なかでも火星の総督ハンスを祖父に持つ“火星のプリンセス"ロレインは、その出自ゆえに苦悩していた……。ケン・リュウ激賞、短篇「折りたたみ北京」で2016年ヒューゴー賞を受賞した著者が贈る、繊細な感情が美しい筆致で描かれる火星SF。
主人公のロレインは火星に育ち、地球で5年間を過ごして火星に戻ってくるのですが、この小説が描くのは地球と火星という2つの世界の間で引き裂かれる若者たちの姿です。
火星の社会はある意味で「健全」です。多くの人から推された総督のもとで厳しい火星の環境で生き残るためにガラスを使った都市が建設され、人々は「スタジオ」と呼ばれる組織に属して働いています。
人々は強く管理されていますが、火星で生き残るために必要なことだと考えられていますし、何よりもそうした合理的なしくみが大きな科学技術の進歩を生み、地球を上回るテクノロジーをもっています。
若者は「コンテスト」と呼ばれる、自らのアイディアを披露する機会に優秀な成績をおさめて、よりよい「スタジオ」で働くことを夢見ています。
一方、地球には自由がありますが、それはコマーシャリズムに汚染された自由であり、金がものを言う世界です。
人々は社会全体のことよりも、金儲けのことを考えており、科学技術では火星に遅れを取っています。
火星の管理社会の様子だけを見ると、この小説はディストピア小説なのですが、単純にそうならないのは、主人公のロレインは火星の素晴らしい点も、地球のダメなところも受け止めている点です。
ロレインにとって火星は故郷であり、誇るべきものをもった場所なのですが、地球の自由を知ってしまったあとでは、やはり何かがおかしい社会でもあります。
地球にいった「水星団」のメンバーの中には、「火星のやり方は間違っている」と断じるものも出てくるのですが、ロレインはそこまでは割り切れないながらも、火星のやり方に疑念を持ち始めます。
ここで多くの人が、「火星=(理想的な)社会主義国会」、「地球=資本主義国家」という図式を思い浮かべると思います。
これは間違いではなく、おそらく作者もそのようにイメージしながら書いているのでしょうが、ポイントはこの小説の主眼が2つの世界の優劣を示すことではなく、2つの世界を知ってしまった人間の寄る辺のなさを描こうとしている点です。
この感覚は、おそらく欧米や日本に留学した中国人学生の一部などにも見られるものなのではないでしょうか?
本書は、この感覚を非常に丁寧に描き出しています。
小説としては、デビュー作ということもあって書きすぎな面もあります。2段組650ページ超というボリュームですが、おそらく100ページくらい減らしてもこの物語は描けたのではないかと思われます。
ただし、たびたびカミュが引用されるような饒舌さこそが、若者の特徴だとも言えるわけで、著者としては必要な長さだったのでしょう。
主人公たちとともに曲がりくねった道を行くというところに本書の面白さがあるのかもしれません。