『怪物』

 良かったですが、これはどこまで語るべきなのか難しい映画かもしれませんね。

 カンヌでクィア・パルム賞を受賞したことに対して、是枝監督からのコメントの歯切れが悪い感じはありましたが、見るとそれも納得できます。

 

 映画としては、まずは小学5年生の我が子・湊の様子がおかしいことに気づいたシングルマザーの母親である安藤サクラの視点から始まります。担任から体罰を受けたらしいことをしった安藤サクラは学校に乗り込みますが、校長や教頭は官僚的な答弁を繰り返し、担任は真面目に仕事をしているとは思えません。

 

 次に、担任の永山瑛太の視点で語り直されます。彼は本の誤植を発見することを趣味にしている変な人間ではありますが、安藤サクラ目線で描かれたような「教師失格」といった人間ではありません。

 子どもたちに対してもきちんと向き合おうとしていますが、それでも湊と依里(より)、特に依里がいじめられていることをきちんと把握できていませんし、依里がどんな子どもかもよくわかっていません。

 

 この前半の2つのパートでは同じ出来事が語られていますが、その印象はまったく違います。芥川龍之介の「藪の中」のような感じです。

 

 ところが、この作品には何が真実だったのかということについての答えがあります。

 それが描かれているのは子ども視点からの3つ目のパートになります。ここで子どもたちが抱えていた孤独が明らかになってくるわけです。

 

 永山瑛太や田中裕子といった坂元裕二脚本のドラマにおなじみの面々が出ていることもありますが、ストーリーとしては坂元裕二色が強いものになっていると思います。

 リアルな描写から始まっていって、最終的には寓話的な形に持っていくスタイルも坂元裕二っぽいです。

 

 一方、大雨の中で泥だらけの車両の窓をふいて中を見ようとするシーンを内側から撮った画の美しさはさすが是枝裕和という感じでしたし、子どもの撮り方は相変わらず上手いです。

 

 というわけで、良い映画だと思いますが、以下、ネタバレをしながらいくつか気になったことを書きたいと思います。

 

 

 

 まず、この映画は「藪の中」的なミステリーなので、やはりクィア映画だというネタバレは制作陣のとっては痛し痒しみたいなところがあったと思います。

 安藤サクラの「湊が結婚して幸せな家庭を作ってくれたらそれで十分」というセリフに対して、湊は衝動的に車から飛び降りるのですが、クィア映画であるという事前告知があれば、その理由は容易に推察できます。

 

 この母親の素朴で無邪気な呪いに関しては、映画のラスト近くの校長を演じる田中裕子の「特定の人にしかなれないものを幸せとは言わない」(セリフはうろ覚え)で解かれることになります。

 このあたりは脚本的には上手いと思いますが、そうなると今度はラストが少し気になります。

 

 ラストについては観客の解釈に委ねる方式を取っていますが、けっこうな割合の観客は「子どもたちは死んでしまった」と解釈するでしょう。僕もそう解釈しました。

 そうなると話は「悲劇」としてうまくまとまりますが、せっかく呪いを解く言葉を聞いたのに、それが生かされないままに終わることになります。

 1つの話の終わりとしては十分かもしれませんが、是枝裕和の『誰も知らない』や『万引き家族』は中途半端なところで切りながら、「それでもまだ」という部分があり、それが良かったと思ってます。

 

 難しいですが、もうちょっと不格好に終わっても良かったのかな?という印象はありますね。