村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』について

 先日、北陸に旅行にいたのですが、福井の丸岡というところの時計屋で「時計は女の心理です」という看板がありました。意味があるんだかないんだかわかりませんが、きっとないんでしょう。


 “今ごろ”ですが、村上春樹の『ねじ巻き鳥クロニクル』を読みました。大ざっぱな印象としては、第2部の井戸の底におりるところまでは文句なしに面白く、それ以降は面白かったり、そうでもなかったりという感じです。
 (村上春樹の小説は、「前半面白いけど、後半失速」、というのが多いと思います(特に『羊をめぐる冒険』!、例外は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』)。)


 全体的な評価としては「失敗していたり、書けてない部分も多いけど、大きな魅力を持った小説」というところでしょうか。


 『ねじ巻き鳥クロニクル』は今までの村上春樹の小説と同じような文体で書かれていて、相変わらず主人公の男は受け身で、相変わらず「壁を通り抜けたり」します。また、思わせぶりのまま解決されない謎、都合のいいオカルト的なストーリー展開など、文句を付けようと思えばいくらでもつけられます。


 けれども、それでもこの小説が面白いのは、作者が小説の中で多くの「問い」を示し、実際には満足には答えられてしないにしろ、その「問い」に答えようとしているからです。


 こうした「問い」すら持たず、それっぽい文体や描写をこねくり回す現在のいわゆる「純文学」に比べると、村上春樹の小説は明らかに「面白い」と言えるでしょう。


 この小説で執拗に繰り返されるモチーフは「自己の中の他者」というものです。加納クレタにおける痛みと無感覚、クミコを襲う性欲、バットをもった主人公の暴力衝動、笠原メイの悪?の衝動など、自分の中にあって自分ではコントロールできないものが何度も登場します。


 また、間宮中尉の話の中の皮剥の拷問や、北海道のバーで歌手の行う痛みについての実験など、「他人の痛みが自分の中に入ってくる」という感覚もうまく描かれています。


 もちろん、この「自己の中の他者」という謎は、解答のあるようなものではないのですが、小説全体を彩るこの謎は大きな魅力の一つです。


 ただ、この謎に対してオカルト的な説明しか与えられていないのは不満のあるところです。ナツメグの行う「治療」などは、やはり「オカルト」としか思えません。


 また、この小説の一番の不満は綿谷ノボルの描き方です。この小説の謎の中心的人物であり、根本的な「悪」ともいえるこの綿谷ノボルについても、あまりにオカルト的な描き方がされていると思います。


 間宮中尉の語るシベリアの収容所での皮剥ぎボリスの話が、「悪」の描写としてうまくいっているだけに、綿谷ノボルがけっきょくオカルト的能力の持ち主みたいに描かれるのは残念です。ここがきちんと書けていればもっとすごい小説だったと思うのですが…


ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)
村上 春樹
4101001413


ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)
村上 春樹
4101001421


ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)
村上 春樹
410100143X