高橋源一郎『「悪」と戦う』

 「高橋源一郎舞城王太郎化」、この小説を一言で表すとしたらこの言葉になります。
 3歳のランちゃんと1歳半のキイちゃんの兄弟。
 この兄のランちゃんが時空を超えて、これからあるかもしれない、あるいはあったかもしれないパラレルワールドで「悪」と戦う、というのがこの本のストーリー。
 とにかく、この設定、そしてパラレルワールドでの描写とかが舞城王太郎なのです。『ディスコ探偵水曜日』とか『阿修羅ガール』とか『みんな元気。』とか、舞城王太郎が特異な展開です。
 しかも、ヒロインとも言うべきミアちゃんの完璧な美しさと醜さの両方を極を揺れ動く設定は、どう考えても『九十九十九』。
 第4章のイジメと「日本軍」の背後霊の描写なんかも舞城王太郎っぽいです。


 ただ、たんに高橋源一郎が年下の舞城王太郎の影響を受けたという単純なものではないでしょう。
 もともと、舞城王太郎自体も高橋源一郎の影響を受けていると思われる部分があります。例えば、舞城王太郎は「調布」とか身近な地名をよく使い、そこのパルコだとか固有名詞をよくだしますが、これは高橋源一郎の「石神井公園」に対応してるんだと思います。
 ですから、影響としては高橋源一郎舞城王太郎高橋源一郎という感じでしょうか。
 また、文体はもちろん違います。饒舌すぎる舞城王太郎に比べると、高橋源一郎はやはり詩的です。


 あと、この本を読んで思ったのが高橋源一郎村上春樹の「悪」に対する見方の違い。
 この『「悪」と戦う』では、「悪」がカッコに入っているように、「悪」を「純粋な悪」としては描いていません。この本に描かれる「悪」はある種の「弱さ」であり、人間の心が必然的に生み出してしまう何かです。
 一方、村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』の綿谷ノボルや、『海辺のカフカ』のジョニーウォーカーのような、「純粋な悪」のようなものの存在を信じているようにも思えます。
 で、両者から影響を受けた舞城王太郎は『ディスコ探偵水曜日』でこの問題に決着を付け損ねた印象があります。


「悪」と戦う
高橋 源一郎
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