永井均『私・今・そして神』読了

 永井均『私・今・そして神』を読了。新書とは思えない密度の濃さ。おなじ講談社現代新書の『<子ども>のための哲学』なんかと比べてもはるかに読みづらいです。『<子ども>のための哲学』がある程度著者にとって答えの出ている問題を取り上げているのに対して、こちらはまだまだ考えている途中のような問題が取り上げられています。
 個人的に興味深かったのは第3章の「私的言語の可能性」を扱った部分。ウィトゲンシュタインが否定したと思われる私的言語を、同じくウィトゲンシュタインの言葉から復活させようという試みは、個人的に納得はできなかったけど面白かった。特に、永井均のさまざまな懐疑は、ウィトゲンシュタインの『確実性の問題』の理論を使えば、疑い得ないものとして否定されるのではないか?と思っていたのですが(だからちくま新書の『ウィトゲンシュタイン入門』でも、『確実性の問題』にあまり触れていないのかと思ってた)、ここでは、『確実性の問題』の理論を使って私的言語が「誤り得ないこと」を示そうとしています。このあたりは、暇がある時にもう一度ゆっくり読んでみたい。
 永井均『私・今・そして神―開闢の哲学』


晩ご飯は野菜炒めと冷や奴