クヴァーニス, パーロフ編『サリヴァンの精神科セミナー』読了

 『サリヴァンの精神科セミナー』を読了。前にも下記の日記で取り上げたけど、これはさすがの本。
 http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20060624
 http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20060626

 サリヴァンの本というのはかなり独自の造語とかを駆使した本で、彼の治療理論の全体像ってのはなかなかわかりにくい所もあるんだけど、このセミナーを読むと、理論とかよりも、まずサリヴァンの患者に対するきめ細やかな接し方に感心させれる。
 このセミナーを振り返っての座談会でライコフという精神科医が「患者に向かってのサリヴァンが実にデリケートでジェントルでということだ。」(178p)と述べているけど、まさにそう。意味もなく精神分析の用語を振り回す研修医たちに対してはかなり辛辣であっても、患者のおかれている立場や境遇を考え、患者の言葉や行動のはしばしを感じ取るサリヴァンの態度には脱帽させられるものがあります。

 セミナー自体は編者であるクヴァーニスが担当する男性患者について、クヴァーニスがサリヴァンやその他の研修医や精神科医の前で報告し、それに対してサリヴァンが中心になってコメントしていくというスタイルなんだけど、例えば、言葉遣いについての次の部分。

スタヴレン医師:(少年時代に)自分は自由だったといいうようなことを言う時に、たとえば、「無視されていたということだね」と言ってやるのは早すぎますか?

サリヴァン:よく聞いてくれた。この男の父母の折々の態度には非常に多くの要素があるから、無視されていたという考えににわかに同意するのは難しいと思う。この言葉は強すぎる。私ならそんなにぎょっとさせない、多少ユーモアの混じるものを言ってみる。「自由だった」と言われたならば、「きみの「自由」の意味は何?」と聞くのがよさそうな状況だと私は思うな。(115p)

 このあたりはまさにデリケートでセンシティヴ。
 さらにその流れで、

クヴァーニス:患者はよくこんなことも言ってました。「(病院から)家に連れて帰ってほしい」と母親に頼むと 〜よく頼んでいたのですが〜 母親の答えは「そうしてあげたらお利口さんにする?」でした。

サリヴァン;そんな言葉を聞くと私ならその人のほうを向いてじっと見つめるだろうな。その時の私は、きっと同情をこめて憤慨に耐えないという顔をしているだろうな。患者の見方の正しさを裏書きしてあげるのだ。こういう事態が起こればその圧力を利用して(後で)「お母様はいつもそんなふうに鈍いの?」と言うのがいい。この一言で秘密にしていた山ほどのことを一挙に解明できる。こういう非常にパンチの利いた言葉は[前にも言ったと思うが]すべて自然発生的ではなくてはならない。例外なしにだ。(115ー116p)

 このへんのサリヴァンの患者に対するジェントルさが出てて、それがなおかつ治療を進める手段としても活かされている。
 また、このこの部分の第二回のセミナーの前半にある

 人間に対して、してはいけないことが一つある。それは、その人の自己尊厳と正面から対決することだ。(96p)

 っていうのはまさに名言。
 あと、もう一つサリヴァンの患者に対する、素晴らしく優しい部分は次の自殺に関するくだり。

 私は今すぐ自殺せねばという考えにとりつかれて他のことは考えられなくなっている統合失調症の患者たちにずいぶん大胆なことを言ってきたんだ。「つまり、きみは一から始めたいんだ」と。そして完全に意識明晰な状態で彼らに私をみつめさせて「イエス」と言わせた。これで自殺問題は終止符だった。(176p)

 実はこの本は先行の訳があるにも関わらず、中井久夫が訳したものなんだけど、そこまでこだわって訳したというのも納得する本です。

サリヴァンの精神科セミナー
ロバート・G. クヴァーニス グロリア・H. パーロフ Robert G. Kvarnes
4622072173


晩ご飯はウナギとキュウリ