昨日の昭和天皇の靖国に関するメモを受けて各社の社説でも分析しようと思ったんだけど、そこに福田康夫の総裁選不出馬のニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060721-00000186-kyodo-pol
福田氏は、周辺に「自分が出馬すれば、靖国問題が焦点になり、好ましくない。(70歳という)年齢的な問題もある」と述べたという。
いやあ、福田康夫は忠臣。ここで自分が出馬することで靖国問題が総裁選の争点になってしまったら、昭和天皇のこのメモが非常に重要な意味を持ち、昭和天皇の意向をめぐる解釈が政治問題になりかねない。そういった事情を察して身を引いたと見たけど、それは考えすぎかな?
一方、小泉首相は天皇に対して実はほぼ思い入れのないタイプ。女性天皇の論議でもそのことは感じられましたが、今回のメモを受けても、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060721-00000004-maip-pol
◆富田朝彦元宮内庁長官のメモに関する小泉純一郎首相と記者団とのやりとり
−−どう受け止めるか。
◇これは心の問題だから、陛下(昭和天皇)もさまざまな思いがおありだったと思う。
−−合祀後、天皇が参拝していないが。
◇それぞれ人の思いがあるから、私がどうこう言う問題じゃない。
−−天皇が参拝できる状況の方がいいのでは。
◇それぞれの心の問題だから。参拝されてもいいし、しなくてもいいし。自由ですから。
−−追悼施設としてどのようなものが理想的か。
◇なかなか結論が見えにくい。
−−首相自身の参拝に影響があるか。
◇これはありません。それぞれの人の思いですから。心の問題ですから。強制するものでもないし、あの人が、あの方が行かれたからとか、良いとか悪いとかいう問題でもないと思う。
−−これからも行くか。
◇心の問題ですから。行ってもいいし、行かなくてもいいし、誰でも自由ですね。
−−A級戦犯分祀に対する考えは。
◇一宗教法人に対して、あああるべきだ、こうあるべきだと政府としては言わないほうがいい。議論は結構です。
というやりとりですが、もし天皇に特別な感情を持っているなら「心の問題ですから。強制するものでもないし、あの人が、あの方が行かれたからとか、良いとか悪いとかいう問題でもないと思う。」とは言えないはず。
で、各社の社説なんだけど、まずは常識的で特につっこみどころもない読売
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060720ig90.htm
7月21日付・読売社説(1)
直截(ちょくせつ)的な表現に、驚いた人も多いのではないか。
昭和天皇が、「A級戦犯」の靖国神社合祀(ごうし)をめぐって、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と語っていた。宮内庁長官だった富田朝彦氏の手帳の1988年4月28日付メモに記されてあった。
極東国際軍事裁判(東京裁判)で「A級戦犯」に問われた東条英機元首相ら14人が、78年10月、「昭和殉難者」として靖国神社に合祀された。
昭和天皇は、戦後8回にわたり靖国神社を参拝されたが、75年11月の参拝が最後となった。今の陛下も、即位後は参拝されていない。
一方、三木首相による75年の靖国神社参拝を契機に、公人としての参拝か私人としてかが、政治問題化した。
昭和天皇が参拝されない理由は「A級戦犯合祀」なのか、「公人・私人」の政治問題を避けるためなのか。二説があったが、憶測の域を出なかった。メモの発見により、一つの区切りがついた。
富田メモには「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」とある。松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使を指したものだろう。2人は、日独伊三国同盟の締結を推進し、そのことが日米開戦の大きな要因ともなった。
90年に公表された「昭和天皇独白録」の中で、昭和天皇は松岡元外相について「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」と厳しく批判している。
昭和天皇は、一貫して戦争を回避することを望みながら、立憲君主としての立場を踏まえて積極的な発言は控えたとされる。その立場から、戦争責任を問われるべき指導者の合祀に納得できなかったということだろうか。
別の資料だと、同じ「A級戦犯」でも、木戸幸一元内大臣については、「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」と語ってもいる。
富田メモは、「A級戦犯」分祀論議にも一石を投じることになろう。
だが、靖国神社は教義上「分祀」は不可能としている。政治が宗教法人である靖国神社に分祀の圧力をかけることは、憲法の政教分離の原則に反する。麻生外相は、靖国神社を国の施設にすることを提案しているが、これも靖国側の意向を前提としない限り不可能だ。
靖国神社には、宗教法人としての自由な宗教活動を認める。他方で、国立追悼施設の建立、あるいは千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充などの方法を考えていく。
「靖国問題」の解決には、そうした選択肢しかないのではないか。
まあ、基本的な主張は靖国は靖国でそっとしておいて新たな追悼施設の建設ってことですかね。
次は毎日
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060721k0000m070160000c.html
昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を抱いていたことを示す富田朝彦元宮内庁長官のメモが明らかになった。「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」という簡潔な表現は真に迫っている。史料価値は高い。
これまでも、1975年以降、昭和天皇が靖国神社へ参拝に行かなくなった理由については、A級戦犯の合祀に不満だからであると言われていた。そして、それがA級戦犯の分祀を求める意見のひとつの根拠になっていた。
しかし、政界や靖国神社関係者などには、A級戦犯を裁いた東京裁判の不当性を主張すると同時に、天皇の靖国参拝中断はマスコミが騒ぐせいだという声高な反論があった。その論争は、富田メモではっきりと決着がついた。
中曽根康弘氏は首相として1985年に靖国神社を公式参拝したが、中国の批判を受け翌年の参拝を断念した。この時、富田元長官は「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった、よくやった、そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言われております」という電話を、首相官邸に入れた(岩見隆夫「陛下の御質問」)。昭和天皇は、首相の靖国神社公式参拝にも反対だった。
富田メモから、昭和天皇の思考の一端がうかがえる。「松平(慶民元宮内大臣)の子の今の宮司がどう考えたのか。易々(やすやす)と。松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている」というくだりである。
先代の筑波藤麿宮司が棚上げにしてきたA級戦犯合祀を実行した松平永芳宮司に対して、親不孝だという強烈な批判をしている。「易々と」という苦々しい言葉は、A級戦犯を合祀しようとする人々に昭和天皇が反対していたことを示している。
戦前の靖国神社は、国民が戦死者をとむらう宗教施設ではなかった。天皇が、天皇のために戦死した軍人たちの栄誉をたたえる顕彰施設だった。戦死者の遺族は「息子が天子様のお役に立てた」という論理で悲しみを癒やされる建前だった。だから天皇による親拝は靖国神社の本質だったのである。
戦後、宗教法人になり、皇室から独立した。だが、天皇によって遺族が癒やされるという戦前の伝統は、天皇の私的参拝という形で続いていた。それが絶たれた原因は、A級戦犯合祀という神社側の選択にある。
もちろん、宗教法人となった靖国神社が、天皇と歴史観、戦争観が違っていても自由である。メモにしても天皇個人の気持ちにすぎない。小泉純一郎首相のように「それぞれの心の問題」と考えるのも自由だろう。
だが、そうだとしても戦没者に感謝と哀悼の誠をささげるための施設として議論の余地がないなら、なぜ内外で大きな論議を呼ぶのだろうか。その最大の原因は、A級戦犯合祀にある。その事実を冷静に考えるならば、いまの状態で首相が靖国神社に参拝するのは、やはり適切ではない。
これも比較的手堅い社説だけど、一点、「もちろん、宗教法人となった靖国神社が、天皇と歴史観、戦争観が違っていても自由である。メモにしても天皇個人の気持ちにすぎない。小泉純一郎首相のように「それぞれの心の問題」と考えるのも自由だろう。」という部分から、最後の「いまの状態で首相が靖国神社に参拝するのは、やはり適切ではない。」には論理の飛躍がある。
もし、天皇の個人的な気持は個人的な気持であって、政治はそれにまったく影響を受けるべきではないと考えるなら、この文脈で小泉首相の靖国参拝の是非を主張することは不適切。
ここを微妙に回避しているのが朝日なんだけど、それでも微妙な点は残る。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
東条英機元首相ら14人のA級戦犯が靖国神社に合祀(ごうし)されたのは、78年のことである。戦後も8回にわたって靖国神社に参拝していた昭和天皇は、合祀を境に参拝を取りやめた。
その心境を語った昭和天皇の言葉が、元宮内庁長官の故富田朝彦氏の手で記録されていた。A級戦犯の合祀に不快感を示し、「だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」とある。
昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたのは、A級戦犯の合祀が原因だったことがはっきりした。
合祀に踏み切った靖国神社宮司の父親は松平慶民元宮内大臣だった。メモには、その名を挙げ、「松平は 平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らず」という言葉がある。
A級戦犯が合祀されているところに参拝すれば、平和国家として生まれ変わった戦後の歩みを否定することになる。昭和天皇はそう考えたのだろう。
天皇個人としてという以上に、新憲法に基づく「国民統合の象徴」として、賢明な判断だったと思う。しかも、中国などが合祀を問題にする前の主体的な判断だったことを重く受け止めたい。
戦前、天皇は陸海軍の統帥者だった。自らの名の下に、多くの兵士を戦場に送った。亡くなった兵士の天皇に対する気持ちは様々だろうが、昭和天皇が靖国神社に赴き、戦没者の魂をなぐさめたいと思うのは自然な気持ちだろう。
しかし、戦争を計画、指導した軍幹部や政治家らを一緒に弔うとなると話は別だ。そう考えていたのではないか。
メモには「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」と記されている。日独伊三国同盟を推進した松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使への怒りもうかがえる。
A級戦犯の合祀に対し、昭和天皇がかねて不快感を示していたことは側近らの証言でわかっていた。
それなのに、昭和天皇が靖国参拝をやめたのは合祀が原因ではないとする主張が最近、合祀を支持する立場から相次いでいた。
75年に三木武夫首相が私人として靖国参拝をしたことを機に、天皇の参拝が公的か私的かが問題になったとして、「天皇の参拝が途絶えたのは、これらが関係しているとみるべきだろう」(昨年8月の産経新聞の社説)という考えだ。
こうした主張にはもともと無理があったが、今回わかった昭和天皇の発言は、議論に決着をつけるものだ。
現在の天皇陛下も、靖国神社には足を運んでいない。戦没者に哀悼の意を示そうにも、いまの靖国神社ではそれはかなわない。
だれもがこぞって戦争の犠牲になった人たちを悼むことができる場所が必要だろう。それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である。そのことを今回の昭和天皇の発言が示している。
朝日は小泉首相の靖国参拝への批判を入れないことで、天皇の政治的発言について慎重にカッコ入れしているけど、それでも「重い言葉」ということで天皇の意向を靖国神社問題の解決の糸口にしようとする考えが見れる。
このへんは非常に難しい所で、もし、天皇の政治への発言が厳しく制限されるべきなら、天皇の個人的な思いは靖国問題解決の論拠としては使えないし、逆に靖国問題において天皇の意向を重視するなら、天皇の言葉の力というもを認めることになる。
左翼だったら、このメモに関しては使いたいけれども我慢して沈黙を守るというのが正しい態度なのかもしれません。
一方、「右翼的」とも思われる産經新聞は
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm
■【主張】富田長官メモ 首相参拝は影響されない
昭和天皇がいわゆる“A級戦犯”の松岡洋右元外相らが靖国神社に合祀(ごうし)されたことに不快感を示したとされる富田朝彦元宮内庁長官のメモが見つかった。昭和天皇の思いが記された貴重な記録だ。
昭和天皇が松岡元外相を評価していなかったことは、文芸春秋発行の『昭和天皇独白録』にも記されている。富田氏のメモは、それを改めて裏付ける資料だ。メモでは、昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ、それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない。
靖国神社には、巣鴨で刑死した東条英機元首相ら7人、未決拘禁中や受刑中に死亡した東郷茂徳元外相ら7人の計14人のA級戦犯がまつられている。メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない。
政界の一部で、9月の自民党総裁選に向け、A級戦犯を分祀(ぶんし)しようという動きがあるが、富田氏のメモはその分祀論の根拠にはなり得ない。
天皇の靖国参拝は、昭和50年11月を最後に途絶えている。その理由について、当時の三木武夫首相が公人でなく私人としての靖国参拝を強調したことから、天皇の靖国参拝も政治問題化したという見方と、その3年後の昭和53年10月にA級戦犯が合祀されたからだとする考え方の2説があった。
富田氏のメモは後者の説を補強する一つの資料といえるが、それは学問的な評価にとどめるべきであり、A級戦犯分祀の是非論に利用すべきではない。まして、首相の靖国参拝をめぐる是非論と安易に結びつけるようなことがあってはなるまい。
昭和28年8月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯やアジア各地の裁判で裁かれたBC級戦犯を釈放した。また、刑死・獄死した戦犯の遺族に年金が支給されるようになった。
戦犯は旧厚生省から靖国神社へ送られる祭神名票に加えられ、これに基づき「昭和殉難者」として同神社に合祀された。この事実は重い。
あれ? 昭和天皇のご意向は無視ですか?
確かに「昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない」けど、少なくとも松岡洋右と白鳥敏夫については明快に不快感を示されているじゃない。
昭和天皇の意向を尊重するなら、少なくともこの2人の分祀は当然。
だいたい、「戦犯は旧厚生省から靖国神社へ送られる祭神名票に加えられ、これに基づき「昭和殉難者」として同神社に合祀された。この事実は重い。」とか書いてるけど、天皇の意向より思い事実なんて存在するのか?
A級戦犯の合祀を主導したとされる厚生省引揚援護局と当時の宮司の松平永芳こそ、天皇の意向を無視した”逆賊”であって、福田康夫とはえらい違い。
昨日も書いたけど、日本の右翼や保守派ってのは、口では「天皇陛下万歳!」的なことを言いながら、実は単なる国家主義者にすぎないというのが現実ですよね。