『父親たちの星条旗』

 今日は新宿で『父親たちの星条旗』を見てきました。予告からすると『プライベート・ライアン』みたいな映画なのか?と思ってしまいますが、監督のクリント・イーストウッドが撮りたかったのは、もっと複雑でうまく言葉にはできないような話。
 時間軸を入れ替えながら話は進むし、戦争映画の常として登場人物の区別はつきにくいし、話自体もすっきりとまとまっているわけではないし、完成度という点では『ミリオンダラー・ベイビー』や『ミスティック・リバー』に及ばないと思うのですが、でも随所にイーストウッドならではのシーンがあったし、なによりも今作でも前二作に通じるような感動があった。
 
 ここからは、ある程度ネタバレも含めて書くので、それが嫌な人は以下のことは読まないほうがいいです。

 
 予告にも出てくる「硫黄島星条旗を立てる兵士たちを撮った1枚の写真」に移っている兵士たちを主役に据えたこの映画は、彼らの戦場での戦いと、写真によって英雄に祭り上げられ、国債消化のために働く彼らのその後の運命を描いているんだけど、まず、戦場の描き方が非常に断片的と言うかで硫黄島作戦のすべてがきちんと描かれているわけではぜんぜんない。
 これは、たぶんオープニングで語られるセリフ「真の兵士(だったかな?)は戦場の出来事を語ったりしない」というのを受けたもので、硫黄島のシーンがモノクロのように色を失った映像で撮られているのも、そうした「語ることのできない戦争体験」というものを受けたものなんだと思う。
 そして、帰国後の英雄扱いでは、旗を立てた6人のうちの生き残った3人が戦争の不条理さと運命の残酷さに向き合うことになる。
 英雄の名声を利用しようとする者、英雄扱いされることの罪悪感に苦しむ者、そして運命をある程度受け入れながらも口を閉ざす者。この辺りの描き方はさすがイーストウッドという感じでうまいです。
 そして、戦争に関してずっと口を閉ざしていた主人公のドクが死の間際に息子に戦友たちと硫黄島で泳いだ想い出を語り、その想い出が蘇るラストシーン、たんなる「戦友のため」という言葉が、『ブラックホーク・ダウン』なんかとは違って非常に複雑に重みを持った形で響いてきます。(『ブラックホーク・ダウン』に関してはその徹底的な表層性を非常に評価しますが)

晩ご飯はステーキとトマト