鳩山法相、死刑発言について

http://www.asahi.com/national/update/0925/TKY200709250116.html

「死刑執行、自動的に進むべき」 鳩山法相が提言

2007年09月25日11時41分

 死刑執行命令書に法相が署名する現在の死刑執行の仕組みについて、鳩山法相は25日午前の記者会見で「大臣が判子を押すか押さないかが議論になるのが良いことと思えない。大臣に責任を押っかぶせるような形ではなく執行の規定が自動的に進むような方法がないのかと思う」と述べ、見直しを「提言」した。

 現在は法務省が起案した命令書に法相が署名。5日以内に執行される仕組みになっている。

 鳩山法相は「ベルトコンベヤーって言っちゃいけないが、乱数表か分からないが、客観性のある何かで事柄が自動的に進んでいけば(執行される死刑確定者が)次は誰かという議論にはならない」と発言。「誰だって判子ついて死刑執行したいと思わない」「大臣の死生観によって影響を受ける」として、法相の信条により死刑が執行されない場合がある現在の制度に疑問を呈した。

 「ベルトコンベヤー」とか「自動的」って言うのはちょっとひどい言い方ですが、「大臣が判子を押すか押さないかが議論になるのが良いことと思えない。」とうのはその通りでしょう。
 死刑かどうかを決定するのはあくまでも裁判官であって法務大臣ではないのですから。
 今年はついに未執行の死刑囚が100人を超えたと言います。これを法務大臣の怠慢と捉える向きもあるでしょうが、逆に死刑が乱発されすぎているとも言えます。
 近年の判決を見ると、明らかに裁判官の死刑に対するハードルは下がっていると思います。そしてこの理由の一つに、死刑の執行がなかなかなされない状況というのもあるのではないでしょうか?
 現在のように死刑判決以後、10年も20年も死刑が執行されない制度では、裁判官の死刑に対する心理的負担や「恐れ」といったもは当然ながら軽くなるはずです。自分が死刑を宣告しても、自分の生きている間に死刑が執行されないことだってあるかもしれません。
 こう考えると、鳩山法相の発言は、たんに「ひどい」といって片付けるべきものではなく、「死刑」という刑罰の重みを誰が背負い、どう考えて行くのかということを改めて考えるきっかけにすべきものでしょう。