斎藤環『メディアは存在しない』を読了。
「InterCommunication」で連載されていたもので、連載当時にちょこちょこと読んでいたのですが、この度ようやく1冊にまとまりました。
ラカンの精神分析によれば、コミュニケーションを厳密に定義づけることは出来ず、シニフィアンの体系の中の「言葉」は常に多義的な意味を持ち、単なる情報の伝達以上の何かを持つ。人間における最強のメディアは「言葉」であり、人間の経験は常に「既に媒介されたもの」である。それゆえ、メディアが人間を変える「内破主義」というものはあり得ない。
というのが、この本のテーゼと言っていいもの。
このあたりはラカン派であれば素直に受け入れられて、そうでなければ納得できないというところでしょうか?
ただ、この本はそうしたラカン的な考えを素直に受け入れられなくても、映画版『ファイナル・ファンタジー』をとり上げた、CGと生身の役者の間には越えられない壁があるとするCG論、『攻殻機動隊』論、「顔」と「転移」こそがメディアが媒介するものであるといった考察は一読の価値があると思います。
また、最後に東浩紀・大澤真幸との鼎談も収録されているので、東浩紀と斎藤環の近さと違いがわかって面白いのではないでしょうか?
メディアは存在しない
斎藤 環
晩ご飯は豆乳鍋