トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』

 ディッシュの最高傑作とも言われるこの小説で、帯では川上弘美も絶賛していますが、途中までは正直そんな傑作だとは思いませんでした。
 短編集の『アジアの岸辺』で見せつけた技巧やアイディアは、この長編ではそれほど感じられませんでしたし、何よりも近未来SFとも、若き芸術家の成長小説としても、あるいはゲイ小説としても収まりの悪い構成に何だかハマりきれなかったのです。
 ところが、最後は感動した!
 そして、読み終わってみてあまりスポットライトのあたらなかったヒロインの存在とか、前半に妙に詳しく書き込まれていた主人公のアイオワでの暮らしとか家族といったことの意味がじわじわわかってきました。


 ピューリタン的とも言える宗教が力を持ち、食料危機が慢性化して治安の悪化した近未来のアメリカ。
 主人公のダニエルは禁止されている「飛翔」を夢見る少年です。この「飛翔」とは一種の幽体離脱のような体験で、それを引き起こすのが「歌」です。人びとは歌を歌うことと特殊な装置によって「飛翔」します。ところが、この「飛翔」は誰にでも出来るものではなく、歌によって心を解放した人にしか出来ません。
 ダニエルがこの「飛翔」を目指すというのがこの本の筋ですが、ダニエルが策略によって入れられる強制収容所のような刑務所、ヒロインのボウアと父親の奇妙な関係、居住資格の有る無しによって階層が分かれているニューヨークの街、そしてオペラ歌手たちの同性愛などさまざまな要素を含みながらこの小説は進みます。
 その一つ一つの要素は「さすがはディッシュ」と感じられるのですが、途中まではその要素の結びつきというか、ディッシュがわざわざいろいろなものを詰め込んだ必然性というものが見えてこない。
 けれども、最後になってこれらの要素が上手く噛み合わさってきて感動を呼ぶのです。
 パズルが組み上がるようにというほど技巧的なものではないのですが、今まで収まりの悪かったさまざまな要素がゆるやかに結びついて、ダニエルの今までの人生に光を当てる感じです。
 最後になってディッシュの小説家としての上手さを思い知る作品ですね。


歌の翼に(未来の文学)
友枝康子
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