タイラー・コーエン『創造的破壊』

 「創造的破壊」というタイトルからするとシュンペーターの「イノベーション」あたりの概念を解説した本にも思えるかもしれませんが、副題に「グローバル文化経済学とコンテンツ産業」とあるように、グローバル化と文化摩擦について取り扱った本。
 著者は気鋭の経済学者ですし、監訳が経済学者の田中秀臣なので「経済」のカテゴリーに入れましたが、ぜんぜんいわゆる「経済学」らしくない本。「社会学とかの本は読むけど経済学の本はちょっと…」などと思っている人は、この本の副題の「経済学」という言葉に惑わされずにまずは読んでみるといいと思います。
 もちろん、近年の流れからいえばこれも立派な経済学。コーエンの『インセンティブ』を読んだ人なら、いかにもコーエンらしい本だとおもえるでしょう。


 経済のグローバル化によってローカルな文化は危機にひんしているといいます。ハリウッドの映画が世界中の映画館を席巻し、マックやスタバが地元の食文化を破壊する。こんな話が今や世界中にあふれています。
 「けれども、本当にそうなのか?」「グローバル化はローカルな文化にとってマイナスの影響を与えるだけなのか?」といった疑問を持って、それに答えようとしたのがこの本。今まで単純化されすぎていた文化と貿易の本当の姿が見えてきます。


 例えば、グローバル化は文化の多様性を破壊するといいます。それぞれの国ごとに特色のある映画はハリウッドに席巻され、世界中どこに行ってもマドンナが聴かれ(原著は2002年出版のためあげられている例はやや古い)、その国で育まれてきた固有の文化は失われていく、そんなふうに考えている人も多いでしょう。
 しかし、ここでの「多様性」という言葉の使い方については注意しなくてはなりません。
 確かにある国の文化が別の国の文化に輸出されて影響を与えれば、2つの国の間の多様性は小さくなります。一方、文化を輸入した国の内部においては、新しい文化が楽しめることになり多様性は増すと言えます。
 つまり、国単位で見た多様性はなくなるかもしれませんが、個人が楽しめる文化の多様性は確実に大きくなっているのです。
 

 また、コーエンは「文化の同一化と差異化は、二者択一でなく同時に起きることが多い」といいます。
 「大型書店のおかげで、読者は、小さな出版社の本にめぐり合うことができる」(31p)と述べているように、文化の多様性を維持するためにはそれなりの市場規模、その文化の一定規模以上の広がりというものが必要になります。
 人によっては、文化は広がりと共に大衆化し、画一化していくと信じている人も多いですが、その文化の鑑賞者が多ければニッチな分野も発達するはずです。
 また、この流れで「ブランド」についても174p以下で分析しているのですが、次のような知見はなかなか面白いと思います。

 ブランドネームのおかげで芸術家たちは、鑑賞者への”コネ”を失うことなく、様々な様式を試みることができる。ピカソは何度も様式を変えたが、買い手たちは自分の買っている作品がピカソのものだと知っていた。仮に芸術作品が完全に匿名で制作されるような世界があったとしても、質と多様性が向上するかはどうかは分からない。たとえば、大成功をおさめた芸術家は、新たな作品が自分のものであることを鑑賞者に認めてもらうためには、最大の成功作を再び制作する必要があるかもしれない。ブランドネームが利用できれば、鑑賞者はその作品をじっくり見直すべきなのか、他の作品に目を向けるべきかがわかるので、作品がこの様な匿名性に陥る恐れもなくなる。(179p)


 そして3つめのポイントとしてコーエンは「異文化交易は、それぞれの社会を改変し崩壊させるが、結局はイノベーションを支え、人間の想像力を持続させることになる」ということを主張しています。
 コーエンは異文化交易がある文化を破壊する可能性も認めた上で、キューバなどの中米の音楽、そしてその影響を受けたザイール(現コンゴ民主共和国)の音楽、ハイチの絵画、ペルシャ絨毯などの例をあげながら、異文化との交流が新たな文化を生み出した例、欧米の技術や需要によって伝統文化が活性化された例などをあげます。
 コーエンは一方で異文化によってその民族独自のエートスが失われるケースも認識しています。ハワイの文化はアメリカや日本の影響を受けた20世紀初頭に全盛期を迎えますが、その後はアメリカからの大量の人や物資の流入により、その創造性を大きく減少させてしまいました(86p)。
 このようにコーエンは異文化交易のプラス面とマイナス面を見据えていますが、基本的にはプラスの面を大きく見ています。このあたりはいかにも経済学者といったところで、楽観的すぎると感じる人もいるかも知れませんが、ここはぜひコーエンの複眼的な思考というのを見てもらいたいですね。


 この本について、最初に「経済学」っぽくないと書きましたが、需要と供給や貿易など、経済学的な物の見方はふんだんに取り入れられています。
 ただ、経済学の本につきもののデータに関してはこの本はやや薄いです。コーエンの持ってくる例はどれも面白いうですが、理論に対する全体的なデータの裏付けはありません。また、彼のあみ出した概念も、この本ではまだ出てきていないものも多いです。
 田中秀臣の解説によってフォローはされていますが、この本のあとに、さらにコーエンの「文化経済学」は進歩を見せているようです。


創造的破壊――グローバル文化経済学とコンテンツ産業
タイラー・コーエン 田中 秀臣
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