中井久夫『「つながり」の精神病理』

 『世に棲む患者』につづく「中井久夫コレクション」の第2弾。『世に棲む患者』は『中井久夫著作集』第5巻「病者と社会」の中に収められた文章を中心に編まれたものでしたが、こちらは『中井久夫著作集』第6巻「個人とその家族」からセレクトされています。
 『世に棲む患者』よりも近年に書かれた文章が多く、また内容も精神医学的なものばかりでなく一般的な世相を取り上げたものが多いので、こちらのほうが読みやすいと思います。
 キワードとなるのは「家族」「ポスト経済成長社会」「老人」といったところでしょうか。


 まず「ポスト経済成長」。
 ただ、この本に収録されている文章の多くは80年代の前半に書かれたものでバブルの真っ最中。そんな中で中井久夫は次のようなことを述べています。

 問題は、私がかつて「普遍的職業」と呼んだものが消滅する、あるいはしつつある可能性である。「普遍的職業」とは、私の意味では、ある気質、ある特性、ある特異性、ある個性、ある特技などの持ち主でなければ就けないという職業ではなく、まあ普通の人が青少年期という自己決定の時期において、やけつくほどにもなりたく思うものがない場合に選択する職業であり、また、多くの性格や好みや希望や安定性をそれぞれの形である程度実現する基盤になりうるものである。「サラリーマンになる」ということは。「つい昨日まで」そういう選択をされ、実際、なったものに対して、ある充足を与えてきた。現在では、そうではない。特技のないものには場がなくなりつつあり、技能を有しない水準のサービス業しか用意されない可能性がある。(171ー172p)


 これは今まさに日本人が直面している現実ではないでしょうか?
 このあと中井久夫は文庫版への付記として「サラリーマンが「普通の職業」だった時代は、もはや「古き良き」時代であろう」(173p」と述べていますが、この文章が発表された1985年においては、少なくとも企業は大量の学生を「サラリーマン」として採用していましたし、「サラリーマン」になるつもりで就職した学生も多かったでしょう。
 25年近くを経て、ようやくこの「サラリーマンの消滅」というのは実感されつつあると思いますが、25年前にこの事を指摘しているとはさすがの慧眼です。


 「家族」については、その難しさが語られています。
 「家族にも関わらずに患者は治るのだ」という言葉を引いて、「家族のホメオスターシス」というべきものの強固性を指摘しています(「家族の表象」)。
 姉弟が交替に発病する家族、8人きょうだいで次々と発病する例を通して、家族の中にあるサブリミナル的な何かが病を誘発する可能性を指摘しているのですが、これはありそうなことです。
 一見すると普通に見えるけど、時々「えっ!」と思うようなことが起きている。そんな家族は例えば新聞の人生相談とか投書欄とかを見るといくらでも見つけられます。
 また、次の見立ても鋭いです。

家族は、「父」「母」「息子」「娘」など、神話的な元型といってよいものによって構成された堂々としたシステムである。そうではあるが、決して自己完結的な系ではない。
(中略)
 伯叔父母が提供しているものは「父」「母」の元型の否定面を和らげる力である。また一個人が「元型的」なものを荷なうという重すぎる荷を救う。イトコとの交際は視野の拡大を与える。
 (中略)
 進んでか、しらずしらずの間にか、病人の家族が孤立するのは、第一にきょうだい、おじおば、いとこからの孤立である。この結果家族は孤立化するだけでなく単色化する。(中略)孤立化した家族の持つ解決法の数は意外に限られたものであるが、これに固執せざるを得ない。孤立した家族がどうしても「歪んでくる」のはこのためである。(38ー41p)


 また、「サザエさん」や「フクちゃん」、「ドラえもん」の家族を分析した「フクちゃんとサザエさん」、「漫画「ドラえもん」について」も非常に面白い!
 「サザエさん」のあの不自然な家族構成はなぜなのか?
 「うまく、転換期的な年齢の構成人員がいないようになっている」(120p)というのが中井久夫の答えです。波平とフネは人生を上がりつつあり、子どもたちはまだ思春期の手前で「不安をそそるものがない」。
 フクちゃんも、フクちゃんとおじいさんという不自然な構成ですが、これは戦争前という時代状況を考えると納得がいく。父や母を登場させると戦争の影を描かざるを得ないのです。
 さらに、「のび太はなぜあやとりが得意なのか?」「しずかちゃんはなぜいつもお風呂に入っているのか?」といった問に対する中井久夫ならではの鋭い分析もあります。


 最後は「老人」。
 認知症への対応などが基本的には話題の中心になっているのですが、ここでも中井久夫らしい文明論的とも言える分析が味わえます。
 例えば、次のような指摘。

 男子老人の脆さは自己管理の自信のなさにある。男子老人の脆さには、もう一つ愛されることへの自信のなさがあるのかもしれない。
 逆に、多くの女性老人はこの点でも地震強固であり、子どもからの愛を当然視する。工業化社会での男子優位の結果の仕事本位(家族との絆の弱さ)と家事労働の免除は、その帰結である老人社会の成立により、男子老人の基盤喪失という皮肉な事態を生んだ。(208p)


 この他にも、精神科医としての心構えや限界などについても語っており、どこをとっても非常に響く内容になっています。

 治療自体は科学ではない。それは棋譜の集大成が数学にならないのと同じである。治療についても、明確に述べられている情報だけによる治療は、定石の本だけを頼りに打つ人以上を出ない。医学が独学で学べないのも、そのためである。(13p)

とあるように、この本を読んだことがそのまま自らの周囲の人間関係にあてはまるというものではもちろんないですが、数知れない洞察を与えてくれる本です。


「つながり」の精神病理 中井久夫コレクション2 (ちくま学芸文庫)
中井 久夫
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