梶谷懐『現代中国の財政金融システム』

 『「壁と卵」の現代中国論』が非常に面白かった梶谷懐による中国の財政金融システムを中央ー地方の関係を軸に分析した本。名古屋大学出版会から出版された専門書だけあって内容はかなり専門的ではあるのですが、逆に専門書という点からすると、この本で扱っている分野はかなり幅広く、財政と金融というまさに経済のメインとなる分野を中心に中国経済のシステムとその変遷がわかるような内容になっています。
 

 『「壁と卵」の現代中国論』についてのエントリーでも書きましたが、中国経済というのは厄介な存在で、ある人は中国経済を国家によって支配された異質な存在として見ていますし、またある人は中国経済こそが「剥き出しの資本主義」が実現した社会だと見ています。
 日本で売られている本も、このどちらかに立つものか、あるいは「中国経済は崩壊する!」的なセンセーショナルな見出しを掲げたものが書店の本棚を占領している状態で、なかなか冷静な視点で分析された中国経済に関する本は少ない印象がありました(そんな中で中国経済の一側面を冷静な視点で分析していたのが丸川知雄『現代中国の産業』園田茂人『不平等国家中国』といった中公新書の本。もっとも後者は社会学の本か)。


 そうした中でこの本は、スタンダードな経済学の知見を使った冷静な分析と、財政・金融という幅広い分野を中国の歴史を踏まえながら包括的に論じることによって、中国経済の現在の姿と課題を描き出そうとしています。
 目次は以下の通りです。

序 章 現代中国の財政金融システムをどう理解するか
   はじめに
   1 現代中国の中央-地方関係について
   2 世界経済とのリンケージとマクロ経済政策
   3 歴史的な制度形成と財政金融政策
   4 小括および本書の構成

   第?部 財政金融改革の展開と中央-地方関係

第1章 改革開放政策と財政金融改革
      ―― 概観
   1 計画経済時代の財政金融システム
   2 財政システムの改革と中央-地方関係
   3 金融システムの改革と地域間資金移動
   小 括

第2章 1980年代の金融政策と地方政府
      ―― 中国経済の 「貨幣化」 と地域格差
   1 中国経済の 「貨幣化」 をめぐる議論
   2 金融指標と実物経済の季節変動
   3 地域間経済格差とインフレーションの発生
   小 括

第3章 1990年代以降の財政金融政策と人民元改革
      ―― 為替制度と国内経済政策との整合性
   1 人民元改革に関する論点の整理
   2 為替制度と国内経済政策との整合性
   3 アジア通貨危機後における財政金融政策
   4 中国の財政金融政策と地域的要因
   小 括

第4章 地域間資金移動とリスクシェアリング
      ―― 市場分断性と財政改革の問題点
   1 財政を通じた省間の所得再分配
   2 ホーム・バイアスと地域間市場分断性
   3 地域間リスクシェアリングについて
   4 分析結果とインプリケーション
   小 括 ―― 90年代財政改革の問題点

第5章 政府間財政移転政策と再分配効果
      ―― 内陸部への財政補助金とその決定要因
   1 財政改革後の政府間財政移転政策
   2 政府間財政資金移転に関する既存研究
   3 財政補助金の決定要因についての実証研究
   小 括
   補 論 県データの構築について

   第?部 地方政府の行動と資産バブルの発生

第6章 積極果敢なアクターとしての地方政府
      ―― レントシーキングと予算外財政資金
   1 地方政府の行動と 「ソフトな予算制約」
   2 地方政府と予算外財政資金
   3 企業利潤と予算外財政資金
   小 括
   補 論 チエン=ローランドのモデルについて

第7章 土地市場と地方政府のレント獲得行動
   1 土地・不動産制度改革と価格抑制政策
   2 土地・不動産市場と地方財政収入
   3 土地市場の構造とレントシーキング
   小 括 ―― 地方政府主導型経済発展パターンの変容

第8章 グローバル不均衡の拡大と資産バブルの発生
      ―― 中国国内の過剰投資と 「動学的非効率性」
   1 グローバル不均衡と中国
   2 「積極果敢な楽観主義者」 としての地方政府
   3 資産バブルと 「動学的非効率性」
   小 括

終 章 金融危機後の世界経済と中国の財政金融システム

 このようにこの本は中国経済の幅広い話題を扱っていて、そのすべてを紹介することはできませんが、ここでは「中国の格差はなぜここまで広がったのか?」、「痛みを伴う改革と言われた90年代後半の朱鎔基の改革は何だったのか?」という2つの点からこの本の議論を紹介したいと思います。


 まず、「中国の格差はなぜここまで広がったのか?」という問題。中国は「平等」の理念を重要視する社会主義の国であり、その理念を実現するために政府が経済をコントロールしてきたはずですが、現在では世界の中でもかなり大きな格差を持った国になっています。


 これはもちろん、トウ小平の改革開放政策とその手法「先に豊かになれる者から豊かになれ」ということに要因があるのですが、それだけではありません。中国では以前から中央と地方における財政や金融の役割分担をめぐる争いがあり、地方政府が税収の使い道や資金の運用をかなり自由に出来る余地がありました。
 この本の第1章では、そうした中国の中央と地方の間の財政制度の変遷が説明され、改革開放期の80年代から90年代半ばにかけては地方の財政自主権が大幅に拡大したことによって中央政府の再分配機能が縮小したと指摘しています。


 また、財政だけではなく金融面においても地方政府の役割が大きかったのが改革開放期の中国の特徴でもあります。地方政府が地域の振興のために銀行等にはたらきかけて資金を引っ張った結果、88-89年、93ー94年には20%近い物価上昇が起こっています(50p)。
 そうした中で金融システムが整備されている地域と、金融システムが未整備な地域で格差が生まれてきます。第2章では80年代の各地域のマネーの投入量・流入量が比較され、金融整備が未発達だった中部や西部では資金の借入を中央銀行に頼るしなく、しかもそうした資金がより収益の見込める他地域に流れていったことがグラフ等で示されています。


 こうした状況を打破するために様々な改革を行ったのが朱鎔基です。
 彼は副首相時代の1994年に「分税制」と呼ばれる改革を行い、今まではっきりと分けられてこなかった中央政府の収入と地方政府の収入を区別し、中央政府による再分配機能を強化しようとしました。また、金融面では中国人民銀行中央銀行としての役割を強化し、人民銀行の省行分が地方政府の介入を受けないようにしました。さらに国有銀行を始めとする金融機関と地方政府の関係を断ち切っています。


 このように朱鎔基の改革は中央政府の役割を強化し、地域間格差をなくすためのものになるはずでしたが、すべての政策はその狙い通りにいくものではありません。例えば、分税制の導入に関しても地方政府の税収が急激に減らないように「税収還付」がなされたために省間の格差は一時的にかえって拡大しています。


 さらに金融制度の改革は中央銀行から内陸部に対する信用供給を減らすことにもつながり、慢性的な貯蓄不足にある西部においては、「必要な投資資金を捻出するためには消費を抑制しなければならない」(122p)という厳しい状況を生んだとしています。さらに筆者は、下層の地方政府による農民への過酷な税や費用負担の取り立ての背景にこうしたマクロ的な問題があると指摘しています。


 ただ、それでんも朱鎔基の改革は国有企業などの公的セクターに大きな痛みを与えるものであり、この「痛み」を乗りきれるかどうかが中国経済がうまくいくかどうかの鍵であると当時は認識されていました。
 ところが、園田茂人『不平等国家中国』を読むと00年代においては、国有セクターに勤める人々の給与の伸びが、それ以外の部門を大幅に上回っており改革開放の一番の恩恵を受けているというのです。
 この謎について、この本では第2部でその理由の一端を明らかにしてくれます。それは地方政府の独特の土地市場を通したレント((参入が規制されることによって生じる独占利益)の追求です。


 中国では公有制を前提とした土地制度がとられていましたが、改革開放期になると地方政府が土地の使用権を民間の開発業者に払い下げ、その資金を都市開発に投じるといったしくみが出ていきます。さらに90年代後半になると住宅の現物支給制度が廃止され、住宅の「商品化」が進みます。また、1998年の「土地管理法」によって農村における集団所有地は一度「国有化」してからでないと開発が行えないことになり、土地に対する政府の関与が強まります。
 土地の商品化を進めるとともに農村を乱開発から守ろうとしたこの一連の政策は、土地市場における供給を政府が独占するという状況を生みました。
 こうした中で地方政府は、農民たちに法律で決められた市場価格からすると低めの補償金を払って土地を収容し、それを高騰した市場価格で売却することによって、レントを得る事が可能になったのです(第7章参照)。
 

 この本の178pには国有地使用権譲渡収入の推移を示したグラフが載っていますが、これを見ると00年代における東部地区のこの額の大きさは圧倒的で、この巨額の資金が公的セクターの給与の伸びにつながったのではないかと考えることができます(追記:著者の梶谷氏にコメント欄で指摘して頂きましたが、公的セクターの給与の伸びは土地の有償譲渡ではなく、「「国進民退」と呼ばれる国有部門の独占構造の強化という産業構造内部のゆがみとして理解すべきもの」だそうです)。
 こうした状況について著者は次のように述べています。

 土地市場を通じたレントの追求は、不動産業者やそれと結びついた幹部という「新富裕層」の誕生、さらに多発する農民暴動の原因となった土地収用などといった新しい「格差」の問題と深く結びついていることも指摘せねばならない。このような現代社会における格差が、政治的「権力」と「富」とが結びついて生じてくるものである以上、本章で論じたような土地市場が政治的レント獲得の場になっていることは憂慮すべき状況といってよいであろう。(188p)


 こうした状況に対して中国政府は金融引き締めなどで土地市場の加熱を防ごうとしているものの、この土地市場におけるレントの構造がなくならないかぎり抜本的な解決は難しいのが現状です。また、著者は終章で「融資プラットフォーム」というノンバンクを使った新しいタイプの資金調達の方法を紹介し、これが新たなバブルの発生とその崩壊につながりかねないと危惧しています。


 これ以外にもこの本では「グルーバル・インバランス」や「人民元改革」の問題についても読み応えのある議論がなされており、中国経済のマクロ的な現状と問題点がわかるような内容になっています。
 やや難しい部分もある本ですが、ますます重要性を増している中国経済を理解するために有益な本ですし、「政策論」的な面から見ても面白い本だと思います。中国のように政治に圧倒的な権力があると思われている国であっても、「経済」や「社会」を思い通りに動かすことは不可能だということがわかりますし、どんな権力を持ってしても歴史的な文脈を無視したゼロからの改革というのはできないということが実感できるのではないでしょうか。


現代中国の財政金融システム −グローバル化と中央-地方関係の経済学−
梶谷 懐
4815806780