『かぐや姫の物語』

 これは素直にすごいアニメですね。これだけの時間と金をかけたアニメ映画はもう出来ないんじゃないか?と思えるほど。
 高畑勲という才能が、宮崎駿がつくりあげたジブリのブランドと資金力を思う存分費やして生み出した破格のアニメですね。
 まずすごいのは赤ちゃんのシーン、竹から出てきたかぐや姫が一度赤ちゃんに戻って育っていくのですが、その赤ちゃんの描写、動きが素晴らしい!
 かぐや姫は通常の人間よりも圧倒的に速い速度で成長していくのですが、それを変な説明は抜きにして赤ちゃんの動きだけで見せていきます。寝返り、ずりばい、ハイハイ、立つ、歩く、といった赤ちゃんが大体1年位はかかって徐々にできていくところを、この映画では1シーンで見せます。
 時間が異常に圧縮されているシーンなのですが、それをなんとも伸びやかな作画で見せるのです。
 そして、その赤ちゃんを見ていた子どもたちが「あいつ竹の子みたいだな」と言って、「竹の子、竹の子!」と囃し立て、それに対抗して地井武男が演じる翁が「姫!ひーめ!」と声を張り上げる。圧倒的によく出来たシーンだと思います。
 それ以外も予告で見せたかぐや姫の鬼気迫る失踪シーン。これも実写では絶対に撮れない圧倒的なシーンでした。
 

 ストーリーは基本的に『竹取物語』そのままなのです。
 かぐや姫が竹から生まれて、翁とその妻が大切に育てて、やがて美しく評判の姫となり、貴族たちの求婚を受け、帝にまで所望され、けれども月へ去っていく。ここは変わらないのですが、高畑勲はここにいくつかのテーマを埋め込みます。
 一つは「野山」と「都」の対比です。
 かぐや姫は野山で鳥や虫や獣と生き生きと過ごします。ところが、「高貴な姫」としての幸福を願う翁によって都に連れて来られてしまいます。そこは華やかなはずですが、野山に比べると圧倒的に色彩に欠けます。それとともにかぐや姫の動きも窮屈になっていくのです。
 このあたりはポカホンタスを描いたテレンス・マリックの『ニュー・ワールド』を思い出させます。テレンス・マリックは新大陸の「生きた自然」とロンドンの「死んだ自然」を「画」で見せたわけですが、高畑勲は「動きと色」で見せます。


 さらに現代に通じる人間ドラマもあります。
 「高貴な姫となり、身分の高い男性と結婚すること」が「幸福」と信じて疑わない翁。翁は文句なしの善人なのですが、その世間的な価値観がかぐや姫を苦しめます。このへんは今の親子関係にも通じるものでしょう。
 また、その正確も立ち振舞もさらには姿さえも知られていないのに、男たちに求められるかぐや姫の姿は、ある種の女性の生きづらさを表しています。
 その人の中身には関係なく、まず「美貌」が評価されてしまう。これは男性には全くないとは言いませんが、やはり女性ならではの困難でしょう。このあたりの問題も、この『かぐや姫の物語』では意識的に描かれています。


 そしてもう一つが仏教的な世界観への批評的な描写。
 あんまりいうとネタバレになるので詳しくは書きませんが、やはり最後のお迎えのシーンは仏教的というか仏教の来迎図そのものですよね。『平成狸合戦ぽんぽこ』でも、来迎図的なシーンがありましたが、それは「逃避」として描かれていたように思えます。
 で、今回の『かぐや姫の物語』でも仏教的世界、つまり煩悩のなくなった「涅槃寂静」的な世界は否定的に描かれていると思います。このテーマが高畑勲にとってどれだけ大事なものなのかはわかりませんが、にじみ出ている感じですね。


 他に特筆すべき点としては主人公のかぐや姫の声を演じた朝倉あきの上手さ!
 どっかで名前を見たなと思ったら、「純と愛」のチュルチュルなんですね!全く重ならないのですが、すごくいいです。亡くなった地井武男の演技もいいですし、田畑智子の女童もかわいく、面白いです。
 そして帝!ネットで「わたせせいぞう」というキーワードが飛び交っていて、「なぜ?」と思っていたのですが、本当に「わたせせいぞう」でした。あの軽薄さはすごいですね。絵柄全体が「軽薄」感を沸き立たせていて、なんとも素晴らしいです。


 どこかわかりにくいところ、主張と本人の無意識がずれているところがある宮崎駿の作品に比べると作者の主張がストレートに出ている作品で、そこが少しだけ面白味のないところかもしれませんが、とにかくアニメのレベルを塗り替える傑作であることは間違いないです。


かぐや姫の物語 ビジュアルガイド (アニメ関係単行本)
スタジオジブリ
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