『独裁と民主政治の社会的起源』の描く日本近代

 先日のバリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』についてのエントリーで予告した、「第5章 アジアのファシズム―日本」の内容についての検討。
 まあ、検討とは言っても、ほぼ目についた部分の引用のようなエントリーになると思います。

 明治維新は中央権力と藩との間の旧式な封建闘争であった。しして幕府に対する闘争を指導した藩は、長州だけでなく薩摩〜「日本のプロイセン」であり我々は長州に関してよりも知るとことが少ない〜もまた、伝統的な農業社会と封建的忠誠を比較的強く残している藩であった。(第1巻302p)

 前回のエントリーでも引用した部分ですが、ここに見られるようにムーアによれば、明治維新は革命ではなく「封建闘争」にすぎません。日本はドイツと同じく「ブルジョア革命」を経ずして近代化した国家なのです。
 では、なぜこの権力闘争に幕府は負けたのか?ムーアは次のような面白い見方を披露しています。

 この闘争において、幕府は政治責任という極めて大きな不利を負っていた。幕府がそもそも守りえないような約束、例えばある日までに攘夷を実行するといった約束、を守りそこなうたびに、その無能が明らかになった。一方、幕府に敵対する人々は当然に「政治を超越した」一人の人物に引きつけられていった。政治責任を取ることが不可能な状況下で政治責任をとることの不利は、他のいかなる要因にもまして幕府の決定的敗北をもたらしたのである。」(第1巻303p)

 この「政治責任を取ることが不可能な状況下で政治責任をとることの不利」というのはまさに当時の幕府の苦境を言い当てていると思います。
 期限を決めた攘夷の実行といったこともそうですし、また、尊王攘夷派の志士たちによる外国人のテロリズムについては幕府は逆に外国から責任を追求され、「日本を代表する政府」として、本来の幕藩制のもとでは背負わなくてすむような責任まで背負わされます。


 このような理由から、薩長が権力闘争を勝ち抜くわけですが、この封建領主層の総入れ替え的な事態にもかかわらず、農村の混乱は最低限ですみました。これは徳川幕府の支配体制が、封建制というよりも官僚制と言っていいほどの仕組みに変化していたからです。

徳川初期の支配者が武士を土地から切り離したことは、統治機構に対する農民の財政的負担に、領主に対する個人的支払いというよりも政府に対する公租納入であるかのような外見を与えた。領主による強制使用制(banalite)はなかったし、初期の個人的労働奉仕は、次第に公共奉仕に組み込まれていった。明治の変革に際して、農民が忠誠を封建領主から近代国家へ移すことが容易であったのは、おそらく、負担が公的義務の外観をとっていたためであろう。
 徳川幕府を農民層の上に立つ非人格的な「政府」のようにみせる、このような官僚的諸特質に加えて、幕府はより重要な封建的、温情主義的特質をも有していた。支配者たる武士は、これによって農民社会に触手をおろしえたのである。(第1巻318p)

 
 ここでムーアは「支配者たる武士は、これによって農民社会に触手をおろしえた」としていますが、ここはどうなんでしょう?
 個人的には「農民社会に触手をおろしえなかった」からこそ、武士は維新後に地主にもなれずに、ある者は官職に糧を求め、ある者は没落していったと思うのです。
 もちろん、廃藩置県のときにかなりの所得を確保できた旧大名を除くと(これによって旧大名層が士族反乱に加わらなかったことは重要)、維新によって武士の社会的・経済的地位は低下したわけで、それが士族反乱へとつながっていきます。
 最後にして最大の士族反乱であった西南戦争とそれにつづく自由民権運動について、ムーアは次のように述べています。

 1877年の西南戦争は。旧来の秩序の最後の血なま臭い痙攣であった。この最後の発作の一部分として、即ち消滅しつつある封建制のまさに直接の所産として、日本最初の組織的な「自由主義」運動が生まれた。これほど幸先の悪い前兆はちょっと考えられないだろう。(第1巻308p)

 
 自由民権運動の主体もまた、商工ブルジョワジーではなく武士と農村の地主階級でした。そして、この後長く運動を支え、その担い手になったのは農村の地主層でした。
 ムーアは日本の近代における民主主義の勃興とその挫折について次のようにまとめています。

 我々の目的に関して言えば、維新以降の日本近代政治史は三つの段階に分けて考えることができよう。第一の段階は、農業社会的自由主義の失敗によって特徴づけられており、1889年に形式的憲法となにがしかの議会制デモクラシーの外飾をとをとり入れることによって終わった。第二の段階は、この体制によって押しつけれらた障害を、民主的諸勢力が克服しえなかったことで終わっており、その挫折は1930年代初頭の大恐慌の打撃によって極めて明白となった。そして、この1930年代の挫折が、戦争経済と日本型右翼全体主義という第三の段階の開幕を意味したのである。(第1巻349p)

 
 確かに、自由民権運動によって憲法が作られ、国会が開設されました。
 しかし、その運動は必ずしも人々の自由や平等を志向するものではありませんでした。農村の地主や、徐々に台頭してくる産業資本は、結局のところ、「国内的には抑圧、対外的には膨張」という計画において合意します。
 

実業と農業が、なぜ国内的には抑圧、対外的には膨張という計画においてしか合意しえなかったのかを、疑問に思うのは当然だといってよい。おそらくは、他の計画でも合意する可能性はあったであろう。しかしそれは、政治的自殺という危険を冒すものであったと思われる。農民と労働者の生活水準を上げ、国内市場を作り出すことは、上層階級の観点からすれば、危険な企てであったろう。(第1巻347ー348p)


 日本ではドイツの「鉄とライ麦の同盟」のような明示的な取り決めは行われなかったものの、制限されたデモクラシー体制の中で、その中心となったのが農村の地主層と産業資本の連合でした。
 彼らにとって、民衆を抑圧することは共通の利益であり、この民衆抑圧によって国内市場は十分に育ちませんでした。

日本の資本主義から利益を得たものは、ほんの一握りの恵まれた者にすぎなかったのに対し、資本主義の害悪はほとんどすべての者にとって明白であった。日本の資本主義は、資本主義デモクラシーを維持することが大衆の利益となるような形で、物質的利益を分配することはなかった。まず当時の状況では、しえなかったと言ってもよい。依存形態は時代によってまちまちであったにせよ、日本の資本主義が製品の購入者であり、かつ市場の保護者である国家への従属をやめることは決してなかった。資本主義の下にありながら活発な国内市場を持たないならば、実業は利益を生み出す他の方法を見出して自己保存を試みるしかない。(第1巻355p)


 国内市場の未成熟が、産業資本の国家への依存、そして対外膨張への支持を生み、それがブルジョワ的な自由主義が日本で根付かなかった理由であるというのがムーアの分析になります。
 もちろん、このような害悪ばかりが目立つ資本主義に対する反対運動も起こります。それが1930年代に吹き荒れた右翼急進主義になります。
 血盟団事件などを見ればわかるように、この時代の右翼急進主義は産業資本とその象徴である財閥を主たる敵の一つと考えていました。2・26事件に加わった青年将校たちの中にもそうした考えはあったでしょう。
 しかし、この右翼急進主義が産業資本を打ち倒し、一種の「革命」を成し遂げたかというと、答えはノーです。
 

 財閥にとって、反資本主義は実際にはごく小さな迷惑以上のものではなく、1936年以降には概ね制御可能なものであった。財閥の懐を肥やす国内抑圧・対外膨張政策の代償としては、反資本主義など安いものであった。軍や愛国主義者がその政治計画を推し進めるために、大企業を必要としたのと丁度同じように、大企業はファシズム愛国主義天皇崇拝や軍国主義を必要としていた。(第1巻359p)

 ドイツも日本も遅い段階で産業世界に加わった。両国とも、国内的には抑圧、対外的には膨張を主要な政策とする体制が現れた。どちらの場合も、この政綱をささえる主たる社会的基礎は、商工業エリート(弱い立場から出発した)と農村部の伝統的支配階級との連合であり、農民や産業労働者との対抗を目ざしていた。最後にどちらの場合も、右翼急進主義は発展する資本主義の下で苦闘する小ブルジョワジーや農民の中から生じていた。この右翼急進主義は、両国の抑圧的体制にスローガンをいくつか提供したが、事実上、利益と「効率」の要請により、犠牲にされたのである。(第1巻362p)


 日本がヒトラームッソリーニを持たずにファシズム的な体制をつくり上げた理由としては、このあたりの産業資本と伝統的支配階級の連合が維新以来つづいていて、これが封建的な保守主義と「革新」の奇妙な混合物である日本のファシズムを生み出したのだと思います。
 そして、「革新」という言葉こそ使われなくなったものの、封建的保守主義と「改革」なり「維新」なりの連合というのは、現代の政治の風景にもしっかりと残っているものなのではないかと思います。


 以上、バリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』の「第5章 アジアのファシズム―日本」の内容をパッチワーク的にまとめてみました。
 ただ、ムーアはもっと様々な議論を深いレベルでしているので、このエントリーに興味をもった人はぜひ本を読んでみてください(絶版で古書でも根がはるのが問題ですが…)。


独裁と民主政治の社会的起源―近代世界形成過程における領主と農民〈1〉 (岩波現代選書)
バリントン,Jr. ムーア 宮崎 隆次
4000047892


独裁と民主政治の社会的起源―近代世界形成過程における領主と農民〈2〉 (岩波現代選書)
バリントン,Jr. ムーア 宮崎 隆次
4000047906