スティーヴ・エリクソン『ゼロヴィル』

 去年発売されたちくま文庫『きみを夢見て』が音楽をテーマとした小説だったのに対して、こちらは映画をテーマにした小説。
 頭に映画『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトエリザベス・テイラーの刺青をした、少しというかけっこういかれた男のヴィカーが、ハリウッドにやってきて、やがて映画の編集に携わるようになり、さらには失われたフィルムを探すといった話です。


 と言うと、なにやらビルドゥングロマンのようなものを想像してしましますが、エリクソンだけあってまったく違います。
 これはまず、ヴィカーという映画オタクを通して語られるエリクソンの映画趣味の表明であり、エリクソン的に構築された1970年代〜80年代前半にかけての映画史であり、エリクソンの小説に共通する「奇跡」のようなものを探求する書であります。


 一方、今までのエリクソンの作品と違うのは主人公が時間や空間を飛び越えて「幻視する」場面があまりない点。映画の中を幻視するようなシーンはあって、おそらく映画の中に世界がある、あるいは映画こそがひとつの世界だという認識があるのかと思いますが、そのせいもあって『きみを夢見て』に比べるとずいぶんと読みやすいです。
 ある意味でファム・ファタール的に機能する娘的な存在などは、『きみを夢見て』と共通していますが、この関係性も、この『ゼロヴィル』のほうが主人公がエキセントリックである分、受け入れやすい感じです。


 そしてこの小説の面白さの一つが映画の紹介の仕方。エリクソンは多くの映画に関してあえてタイトルを挙げずに語っています。
 例えば、「雪山に住む歌う妖怪の家族が、警察に追われ悪意ある音楽の跡を残していく話」(=『サウンド・オブ・ミュージック』)とか、「最大の実績が『ブルックリンの青春』だっていう奴が脚本・主演の、予算百万ドル、撮影期間四週間の、ボクサーをめぐるB級映画」(=『ロッキー』)とか、「フィリピンにいるあの誇大妄想イタリア野郎はさ、誰にも理解できないベトナム戦争に三千万だか何だかを注ぎ込んで」(=『地獄の黙示録』を撮影中のコッポラ)とか、「未来のLAの探偵は、自分は記憶があるから人間だと信じているロボットを処刑する」(=『ブレードランナー』)などです。


 というわけで映画好きのほうが絶対に楽しめる小説になっていますが、巻末に訳者の柴田元幸が元ネタを教えてくれているので、過去の映画についての知識が薄くても楽しめるとは思います。
 ただ、読んでいてもっと映画見ておけばよかったなと思いましたし、いくつかの映画は見ておくべきだなと思いました。


ゼロヴィル
スティーヴ・エリクソン 柴田 元幸
4560084890