アルビン・E・ロス『Who Gets What (フー・ゲッツ・ホワット) 』

 著者のアルビン・E・ロスは2012年にマーケットデザインの研究によってノーベル経済学賞を受賞した経済学者。この本は、その研究を一般向けに語ったものといえます。
 

 経済学というと、需要、供給、そして価格が肝であり、需要と供給が価格によって調整される市場のはたらきを分析の中心に据えてきました。
 ところが、この世の中には、需要と供給が存在するものの、それが価格によって調整されることが適切ではないマッチングがあります。
 例えば、大学入試において、大学は定員枠を示し(供給)、それに対して受験者が需要側と考えられますが(この需要と供給は逆に考えることもできるかもしれない)、もしも高い価格を払う受験者から合格ということになったら、それをおかしいと感じる人は多いでしょうし、受験者側、大学側の両者から見て、それが長期的に見て良い方法だとは思えません。
 保育園の入園枠の割り振り、就活、臓器移植のマッチングなども同じように、価格で決めることが不適切と考えられる例でしょう。
 そんな価格だけでは決められないマッチングを研究し、選ぶ側、受け入れる側双方にとって納得できるマッチングの仕組みを研究するのが、アルビン・E・ロスが専門とするマッチングデザインです。


 この本の134p〜136pにかけて、日本の就活市場について触れられています。
 日本の就活においては、面接の解禁日や採用の解禁日というものがありますが、多くの人が御存知の通り、この解禁日は形骸化しており就活はそれより前から始まっています。
 なぜ、就活における協定は守られないのでしょうか? やはり、日本の企業のモラルが低いからでしょうか?
 この本を読むと、こうした協定はアメリカの判事でさえ守れないものであり、モラル云々では解決できない問題であることがわかります(125ー134p)。

 
 このいわゆる「青田刈り」の問題はアメリカの研修医の採用でも起こっていました。1940年頃にはすでに、卒業のほぼ2年前に研修医の採用が決まっていたといいます。ところが、卒業の2年前の段階では学生はほとんど生身の患者の相手をしておらず、医師としての資質を見抜くのは難しい状態でした(183p)。
 この対策として、採用の解禁日が設定されましたが、今度は病院側が時限付きのオファー(今日中に決めなかったらこの話はなし)を出すようになり、研修医はよくわからないままにオファーを受けるかどうかを決めざるを得ませんでした。


 そこで大きな改革が行われます。今までの自由競争をやめて集権的なマーケットプレイスをつくったのです。
 学生側は受けたい研修プログラムの希望順位を第一希望からリストアップし、病院側も受け入れたい研修医をリストアップします。そしてそれをマッチングしていき、研修先を決定していくのです。
 この方式はその後も改良されていき、安定したマッチング(決定後にそのマッチングを抜け出して別のマッチングを求めるケースが生まれない)を生み出しました。
 近年、女性の研修医が増えることで同じ地域の病院を希望するカップルが出てきて、この安定は少し揺らぎますが、この本の著者のロスらが改良を加えたことで、安定したマッチングを提供することができるようになったのです。


 このようにマーケットデザインでは、かなり人為的にデザインされたもので、「自由」を重視する市場とはまったく違うものだと感じる人もいるかもしれません。
 けれども、考えてみれば市場を有効に機能させるために独占禁止法やら特許権やらいろいろな仕組みが導入されているわけで、市場が実現する「自由」はアナーキーなものではないはずです。
 また、集権的なマーケットプレイスといっても、それは指令経済のようなものとは明らかに違います。著者は「『マッチ』をどうにか調整して、定員割れの続く地方の病院に研修医を送り込めないだろうか?」との要望を受けたそうですが、本人の希望を無視した安定したマッチングはありえません(203ー204p)。参加者の「自由」を尊重してこそのマッチングなのです。


 では、このアルビン・ロスによるマーケットデザインの研究が常識的な秩序のみを志向したものかというと、それはちょっと違います。
 第11章では、腎臓移植のマッチングの話をさらに発展させ、腎臓売買の可能性を探っています。臓器の売買というとそれだけで「間違っている!」と言う人も多いでしょうし、「貧乏人が臓器を売るはめになる」などの弊害も頭に浮かぶと思います。
 しかし、ロスは、これらの「おぞましさ」といったものや時代や場所によって変わるものだし、弊害に関してはマーケットのデザインの仕方によっては乗り越えられるものだと考えているようです。このあたりの議論は非常に経済学者らしいと思います。


 マーケットデザインの入門書としては坂井豊貴『マーケットデザイン』(ちくま新書)がありますが、こちらの『Who Gets What (フー・ゲッツ・ホワット) 』のほうがボリュームのある分、さまざまなエピソードや具体例を交えながら説明されているので、楽しみながら読めるのではないかと思います。
 ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』を読んだ時にも思いましたが、さすがにノーベル経済学賞を獲るような第一人者の書く本は面白いですね。
 * ただし、坂井豊貴『マーケットデザイン』を読んだときに関したマーケットデザインの理論への疑問は解消されていないことを付け加えておきます。


Who Gets What (フー・ゲッツ・ホワット) ―マッチメイキングとマーケットデザインの新しい経済学
アルビン・E・ロス 櫻井 祐子
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