笠京子『官僚制改革の条件』

 イギリスでは1970年代後半からNPM(ニュー・パブリック・マネジメント)と呼ばれる官僚制の改革が進み、官僚制は大きくその姿を変えました。
 一方、日本では1990年代から行政改革が進んだものの、官僚制についての改革はそれほど進まず、ようやく2007年の第1時安倍内閣国家公務員法の改正が、2008年の福田康夫内閣の時に国家公務員制度改革基本法が成立します。
 官僚制改革においてイギリスが先行し、日本はそれを追う形になっています。


 しかし、官僚制改革の必要性は日英両国とも1960年代に指摘されていました。イギリスでは1961年のプロウデン報告と1968年のフルトン報告が改革の大枠を提言していましたし、日本でも1964年の第一次臨時調査会の意見内容と90年代行の改革には重なるものがありました。
 なぜ、60年代に提言された改革がイギリスでは70年代の後半以降に、日本では90年代まで持ち越されたのか? 両国の開始時期のズレをどう考えればよいのか? ということが本書のテーマになります。


 とりあえず、本書を読んだ感想を簡単に述べるならば

  • イギリスの官僚制改革の内容がわかって勉強になった。
  • 日本の行政改革の流れが整理されていて便利。
  • 国際比較というのは難しい。

 といったところでしょうか。ちなみにこの本では著者がスコットランドに留学していたこともあってイギリスを英国と表記しています。以下、このブログでも英国で表記していきます。


 目次は以下の通り。

第1章 分析枠組み
第2章 フルトン報告と第一臨調意見
第3章 英国の官僚制改革
第4章 日本の官僚制改革
第5章 事例研究
第6章 仮説の検証
終章 日本に何が必要か


 まず、NPM改革ですが、これはサッチャー首相の行った一連の改革の総称であり、特に厳密な定義があるわけではありませんが、簡単に言うと、「行政組織における管理の相当部分が民間企業の経営管理によって代替されうると考える」もので、「専門的管理の重視、企画立案と実施の分離、階統制組織のフラット化、現場裁量の拡大、インセンティブ重視、アウトカム重視、利用者への選択権付与、競争、透明性、説明責任の強化などを推進する」ものです(36p)。


 こうした改革の方向性はサッチャー政権の掲げた新自由主義の中で初めて登場してきたものだと考えられがちですが、この本によると1961年のプロウデン報告と1968年のフルトン報告でその方向性はすでに打ち出されていました。
 しかし、労働党のウィルソン政権下でまとめられたフルトン報告は、直前まで大蔵事務次官を務め、当時は公務員を統括する立場にあったアームストロングの抵抗もあって、実現したものは一部に留まりました(45ー46p)。
 一方、日本でも第一次臨時調査会が発表した意見には、「総合調整の必要性とその機能の強化」、「行政における民主化の徹底」、「行政の過度の膨張の抑制と行政事務の中央偏在の排除」、「行政運営における合理化、能率化の推進」など、NPM改革に通じるようなメニューが並んでいました(51p)。ただし、日本でもこれらの提言はあまり実現せず、総定員法が制定されるなどに留まりました。


 英国で本格的な官僚制改革が始まるのは1979年にサッチャー政権が誕生してからです。
 その官僚制改革の中身ですが、この本を読むとサッチャー政権期の改革の中心がエージェンシー制度の創設だったことがわかります。エージェンシーとは、「企業組織を手本とする執行活動に特化した行政組織」(69p)のことで、政策立案を担うコア組織から切り離されました。そして、エージェンシー制度の導入によってサービス向上と組織運営の効率化が目指されましたのです。
 さらにメイジャー政権ではPFIが導入され、ブレア政権で予算管理改革が進められるなど、政権交代があっても改革は続きました。
 また、人事制度においてもメイジャー政権下で上級公務員団が創設され、公募が導入されるなど改革が進みました(ただし、公募で優秀な人材を外部から採るにはそれなりの給与が必要で、内部昇進者との給与のバランスなどの問題が生じている(92ー93p))。
 他にもさまざまな改革が行われていますが、この本を読むと中下級公務員の給与を業績で評価しようとするときの大変さなども窺えます(110ー113p)。


 一方、日本で本格的な官僚制改革が行われたのは1996年に第2次橋本政権が誕生してからでした。第一次臨調からは30年以上、英国に遅れること20年弱といったところです。
 もちろん、この間に第二臨調があり、三公社の民営化や総務庁の設置など改革の成果をあげましたが、官僚制の抜本的な改革については橋本行革を待つことになります。
 橋本行革は、内閣機能の強化をはじめ、省庁再編、情報公開と行政責任の明確化、官民関係の見直しによる効率化、地方分権、公務員の任用まで行おうという包括的な内容で、橋本首相が自ら行革会議の会長に就任するなどリーダシップを発揮しました。
 

 首相のリーダーシップや、プログラム法である中央省庁等改革基本法が成立したこともあり、内閣機能の強化や省庁再編は実現しましたが、計画通りに進みましたが、NPM改革の側面はやや不十分なままに終わりましたし、人事についてもあまり大きな改革はできませんでした。
 特別会計財政投融資の改革は進みましたし、市場化テストPFIなどの典型的なNPMの手法も導入されましたが、市場化テストPFIも英国ほど活用されているとはいえません。
 人事改革も何度も先送りされ、退職管理改革を盛り込んだ国家公務員法の改正が2007年、国家公務員制度改革基本法の成立が2008年、内閣官房内閣人事局が設置されるのが2014年と、その改革は遅れました。これは組織改革、管理改革、人事改革がほぼ平行して進んだ英国とは対照的です(203p)。


 こうした、英国と日本の官僚制改革の変遷を紹介した上で、この本では第5章で英国のエージェンシー制度の創設と、日本の国家公務員制度改革基本法の成立過程を詳しく見ていきます。ここでの「公務員制度改革提唱者で世論に影響力をもつ渡辺(喜美)氏の起用は、内閣支持率が急落するなか、07年夏の参院選に向けた起死回生の人事でもあった」(234p)との記述には何だか時の流れを感じますね。


 そして第6章では、英国と日本の改革のスピードの違いをいくつかの仮説を使って検証していくのですが、どれもそれなりには当てはまっているのですが、何かそれまでの疑問がきれいに晴れるようなものはないです。
 例えば、英国は英米法系、日本は大陸法系と法体系が違い、英国では官僚制改革を内閣の命令で実施できるのに対して、日本では内閣法、国家行政組織法国家公務員法などの法改正を行う必要がありました(257p)。このことについては前の部分でも触れられているのですが、人によってはそれが改革のスピードが違う理由のすべてではないかと感じるかもしれません。この本では一つの要因としてあげられているわけですが、その要因がどれくらいのインパクトを持つのかということは見えてきません。


 また、官僚制改革が始まった理由として経済危機があげられています。英国では1976年にIMFの融資を求めることになった経済危機が、日本ではバブル崩壊が外因性のショックとして改革を起動させるきっかけになったとしていますが、この2つを同じような「危機」として取り扱っていいのかという問題も残るでしょう。日本の経済が「危機」的な様相を強めたのは橋本行革が始まったあとの97年のアジア経済危機のあたりからとも言えます。

後発近代国家であり、天皇制のもと議会や政党政治が未熟なまま、20世紀半ばになって市民革命ではなく敗戦によって民主主義国に転じた日本では、官僚制の民主化こそが最大の課題であった。最大の課題が、内閣の統合調整機能の強化、いわゆる政治主導の確立にあったということは、現状は官僚主導であるということである。したがって、官僚制に対する政治の優位という官僚制改革の条件は整っておらず、日本の官僚制改革が構造的に困難であったことがわかる。(281ー282p)

 著者が終章で述べているこの分析はその通りだと思うのですが、そうなるとすでに政治主導が確立していた英国が比較の対象として適切だったのかという疑問も出てきます。
 日本の官僚制改革が遅れた原因を確かめるためには、英国に加えて、政治主導が確立しきっていなかった国を対象に加える必要があったのではないかという気もしてきます。 
 また、「改革」と一口に言いますが、それがどのような方向に進もうとするものかということを分類することも必要でしょう。曽我謙悟『現代日本の官僚制』では、橋本行革における不整合な部分が指摘されていましたが、そのような視点も必要かと思います。


 最後はやや注文が多くなってしまいましたが、英国と日本の官僚制改革を概観するには非常に便利で有益な本であり、改革というものがいかに立ち上がり進んでいくのかということを見せてくれる内容になっています。


官僚制改革の条件: 新制度論による日英比較
笠 京子
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