苅部直『「維新革命」への道』

明治維新で文明開化が始まったのではない。すでに江戸後期に日本近代はその萌芽を迎えていたのだ――。荻生徂徠本居宣長山片蟠桃頼山陽福澤諭吉、竹越與三郎ら、徳川時代から明治時代にいたる思想家たちを通観し、十九世紀の日本が自らの「文明」観を成熟させていく過程を描く。日本近代史を「和魂洋才」などの通説から解放する意欲作。

 これが裏表紙に書かれているこの本の紹介文。政治思想史を専攻する著者が、文明開化を用意した江戸時代の思想家について書いた本になります。
 もともと雑誌『考える人』で連載されていたものということもあって、20ページほどの中で一人の思想家をとり上げ、その中で江戸時代の思想の特徴と変遷を見出そうとしています。


 目次は以下の通り。

序章 「諸文明の衝突?」から四半世紀
第一章 「維新」と「革命」
第二章 ロング・リヴォルーション
第三章 逆転する歴史
第四章 大坂のヴォルテール
第五章 商業は悪か
第六章 「経済」の時代
第七章 本居宣長、もう一つの顔
第八章 新たな宇宙観と「勢」
第九章 「勢」が動かす歴史
第十章 「封建」よさらば
第十一章 「文明開化」のおとずれ


 まず、この本のスタンスがよく分かるのは第二章の「ロング・リヴォルーション」でしょうか。
 ここでは竹越與三郎の『新日本史』という明治期に出版された歴史本がとり上げられています。竹越は、明治維新がたんなる勤王論による政治運動だけではなく、もっと長い期間続いた「社会的革命」の過程に支えられていたとしています(61p)。
 竹越によれば、江戸時代の封建制は5代将軍綱吉のころからその結合力を弱めており(67p)、村役人や町役人による自治が進むなど、「社会的革命」は深層でゆっくりと進行していたのです。
 明治維新を「ロング・リヴォルーション」として捉える考え方はマルクス主義歴史学者野呂栄太郎にも見られますし、竹越が慶應義塾で学んだ福沢諭吉の『文明論之概略』の中にも見られます。


 では、いつ頃から思想面での「リヴォルーション」が始まったのか?
 「ここから」というスタート地点はないのかもしれませんが、この本で何度も参照されているのが荻生徂徠です。
 徂徠は朱子学から出発しながら、本当の儒学をつかむには孔子の書いた古典を直接読む必要があると考え、それには中国の古代言語や当時の人々の思考を学ぶ必要があると考えました。徂徠はあくまでの中国の古代に理想があると考えましたが、思想はその時代に強い影響を受けており、時代が変われば理想とされる制度もまた違ってくるという考えはのちの人々に大きな影響を与えました。


 また、江戸時代の思想を考える上で外せないのは江戸時代における商業の勃興です。
 この本の第四章では、朝鮮通信使の見た大阪の賑わいを紹介した上で、大阪の町人のつくった私塾の懐徳堂、そして懐徳堂から出た富永仲基について述べています。富永仲基は「神道」「儒道」「仏道」のすべてを批判した人物です。仲基は、「儒道」はより古い権威を持ちだして相手を論破しようとする「加上(かじょう)」というやり方で成り立っていると批判し、伊藤仁斎荻生徂徠もこれから免れていないとしましたが、思想をそれが生まれた時代状況に位置づけて検討するやり方は徂徠から学んだものでした(104ー106p)。
 

 商業について、徂徠は商業の抑制を説き、武士を城下町ではなく農村に住まわせ土着させるべきだと主張しましたが、徂徠の弟子の太宰春臺は、倹約の徹底や武士の土着を訴えつつも、今の世が「金銀ノ世界」だとして、それに適用する必要性も説きました(128ー130p)。
 さらに徂徠の弟子の弟子にあたる海保青陵になると、大名が特産品の生産を奨励し、それを市場で売ることで「富国」に努めるべきだと主張します(145p)。海保青陵は『稽古談』には「大名と家臣の関係も、大名が家臣に知行米を与え、家臣が大名のために働く交換関係としての「ウリカイ」だという説明も見える」(146p)のです。
 国学者として知られる本居宣長も、元は商業都市の伊勢松坂の大商人の家の出で、商業の発展と奢侈に関して、これを肯定はしないまでもある程度しかたのないことと捉えていました。物をほしいと願うのは「人情」であり、それは「物のあはれを知る」ことにもつながるのです(164ー169p)。
 

 こうした一種の時代の流れを、「勢」として歴史の記述に取り込んだのが頼山陽でした。頼山陽は「天下の「勢」はゆっくりと変わっていくものであり、究極的には人間は左右することはできない。しかし、統治者がその変化をうまく見極めて、「勢」の現状に合わせながら適切な処置を施してゆくなら、人の側が「勢」の変化に影響を与えることが可能だろう」(199ー200p)という歴史観をもとに歴史を書きました。
 著者は、こうした歴史観が文明開化を受け入れる準備をしたと見ています。


 さらにこの本では、水戸学の會澤正志斎の議論が封建制から郡県制への転換を助けたこと、横井小楠など幕末の儒学者が西洋の政治を一種の「仁政」と捉えていたことなどが紹介されています。
 こうした一連の江戸期の思想の積み重ねが、明治の文明開化を用意したのです。


 最初にの述べたように、連載ものをまとめたものであり、がっちりとした一つの理論によっって貫かれているといったものではないですが、江戸期の思想の面白さを明治の「文明開化」という視点から、スナップショット的に掘り出しています。
 また、丸山真男吉田健一を導入に使っている章もあり、そのあたりのつなげ方は広い時代の思想史に通じている著者ならではといえるでしょう。


「維新革命」への道: 「文明」を求めた十九世紀日本 (新潮選書)
苅部 直
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