大江健三郎『水死』

 先日亡くなった大江健三郎、実は初期の作品しか読んでおらず(『日常生活の冒険』まで)、やはり後期の作品も読んでみようかと思い読んでみました。

 

 自分は高校生〜大学生にかけて、夏目漱石森鴎外から始め、芥川龍之介谷崎潤一郎川端康成太宰治安部公房三島由紀夫と行きつ戻りつしつつも時代を下る感じで読んできて、大江健三郎まできたところで「このあたりでいいか」と思い、高橋源一郎村上春樹にとんでしまったんですよね。

 そのあとは海外文学を中心に読むようになってしまったので、ちょうど60年代後半〜70年代の日本の文学が抜けている感じです。

 

 というわけで、大江健三郎については自分の中では「日本近代文学の末尾」みたいな位置づけになってしまっていたのですが、今回読んだ感想として意外と現代ぽかったというか、思ったよりも村上春樹に近いという感想でした。

 別に村上春樹に似ているわけではないですが、「三島由紀夫村上春樹とどっちに近いか?」と尋ねられれば、村上春樹と同時代の作家だなという感じです。

 

 主人公は大江本人と思われる長江古義人という小説家で、そこに劇団「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」の女優ウナイコが現れます。

 「穴居人(ザ・ケイヴ・マン)」は今までの長江作品の舞台化を行っていましたが、ちょうど長江が自分の父親の死を題材にした「水死小説」に取り掛かるということを知り、その執筆過程を含めた舞台化を劇団で考えていたのです。

 

 長江の父は、終戦間際に軍人たちとともに蹶起し、天皇に殉死しようとしていたが、その蹶起を前にして川で水死したとされています。

 長江はそのころはまだ子どもでしたが、途中まで父についていき、そして父は流されて死にました。

 長江はこの顛末について、父についての資料が入った赤革のトランクの中身を見ることよって書こうとするのです。

 

 このようにこの小説は「父の死の謎について取り組む大江健三郎」という形で始まります。また、自死した義兄の伊丹十三と思われる塙吾良が登場し、しかも、本作が伊丹十三の死をきっかけとして執筆されたということもあるので、「自死」をテーマにした作品になるのではないか?という予感をもたせます。

 

 ところが、赤革のトランクにはめぼしい資料は入っておらず、「水死小説」のプロジェクトは早々に行き詰まります。

 代わって小説の中心は、長江と息子・アカリ(もちろん大江の息子の大江光がモデル)との関係の危機、そしてウナイコが取り組む舞台に移っていきます。

 ウナイコは、長江の故郷に伝わる一揆の伝承を素材に、一揆の指導者で性的に暴行された「メイスケ母」の話しを舞台化しようと動き出しますが、これには「保守的」な人々の反対も起こり、また、ウナイコがこの舞台に情熱をかける理由も明らかになってきます。

 

 さらに長江の父のでしたという大黄さんという人物もここに絡んできます。大黄は右翼的な人物ですが、戦後民主主義の申込である大江(長江)とも良い関係を結んでいます。

 戦中、父のように天皇に殉死してもおかしくなかった皇国少年の長江は戦後民主主義者にジャンプしたが、大黄は長江の父の考えを抱き続けています。

 また、ここでは詳述しませんが、ウナイコの過去の経験というものが、戦中や戦後の日本の姿に重なるといった感じです。

 

 きちんと読み解くためには大江健三郎の過去の作品についても読み込む必要があると思いますが、この小説自体は読みやすい文体で書かれており、それこそ村上春樹を読むような感じで読めるのではないかと思います。

 この小説から大江健三郎の作品を逆向きに読んでいってもいいかもしれません。