スタニスワフ・レム『地球の平和』

 第2期の刊行が始まった国書刊行会の「スタニスワフ・レム・コレクション」の第2弾は〈泰平ヨン〉シリーズの最終作にして、レムにとって最後から2番目の小説になります。

 カバー見返しの内容紹介は次のようになります。

自動機械の自立性向上に特化された近未来の軍事的進歩は、効果的かつ高価になり、その状況を解決する方法として人類は軍備をそっくり月へ移すことを考案、地球非軍事化と月軍事化の計画が承認される。こうして軍拡競争をAI任せにした人類であったが、立入禁止ゾーンとなった月面で兵器の進化がその後どうなっているのか皆目わからない。月の無人軍が地球を攻撃するのでは? 恐怖と混乱に駆られパニックに陥った人類の声を受けて月に送られた偵察機は、月面に潜ってしまったかのように、一台も帰還することがなかったばかりか、何の連絡も映像も送ってこなかった。かくて泰平ヨンに白羽の矢が立ち、月に向けて極秘の偵察に赴くが、例によってとんでもないトラブルに巻き込まれる羽目に……《事の発端から話した方がいいだろう。その発端がどうだったか私は知らない、というのは別の話。なぜなら私は主に右大脳半球で記憶しなくてはならなかったのに、右半球への通路が遮断されていて、考えることができないからだ》レムの最後から二番目の小説にして、〈泰平ヨン〉シリーズ最終話の待望の邦訳。

 

 いろいろな要素が詰め込まれた小説なのですが、まず最初に前面に出てくるのが分離脳の問題です。

 これはガザニガなどが研究していたものですが、てんかんの治療などで右脳と左脳をつなぐ脳梁を切断する手術を受けると出現する状態です。こうなると自分の左半身で起こったことは右脳で処理されるので、言語をつかさどる左脳はその状況を知ることができずにうまく経験を言葉に表せない状態になります。

 

 レムはこれに興味を持ったようで、ヨンは月で脳梁切断(カロトミー)を受けたという設定になっています。

 レムはあたかも一人の中に二つの人格があるかのうようにこの状況を描き、右脳の人格を「彼女」という代名詞で読んだりしています。そして、左手は勝手に女性のお尻をつねったります。

 

 実際にはこのようにはならないはずですが、本書の1つのポイントはヨンの右脳に重要な記憶が埋まっているという設定です。

 ヨンは月面で何かを見ており、その記憶は右脳にあって、ヨンの左脳もそれが何かを認識できません。そして、秘密をめぐってさまざまな人物が暗躍するのですが、その記憶は、例えばヨンを捕えて拷問にかけても取り出せないものなのです。

 

 このように前半は分離脳をめぐるドタバタという感じなのですが、中盤からはもう1つのテーマである兵器開発競争、そして月面での進化したAIとのコンタクトが中心になり、話はシリアスになっていきます。

 このあたりは『ソラリス』や『砂漠の惑星(インヴィンシブル)』を思い起こさせる内容で、レムならではの想像力と描写で読ませます。

 

 人類は地球に平和をもたらすために、各国が月面で兵器を開発して争い合うというアイディアを生み出したわけですが、人類の預かり知らぬところで進む競争は、当然ながら人類が想像のつかない進化をもたらしていくのです。

 

 レムは『砂漠の惑星』で究極の兵器として虫のような機械の大群を描いたわけですが、本書の結末で登場するのはさらに一歩進んだものになります。

 本書は1984年に書かれたものですが、この最終兵器の在り方に関しては、21世紀の実態を先取りしており、「さすがはレム」といったものです。

 時代を感じさせる描写もありますが、大元となるアイディアはまったく古びてはいないですね。

 

 

『コーダ あいのうた』

 今年のアカデミー賞の作品賞と助演男優賞(トロイ・コッツァー)、脚色賞を獲った作品。

 

 冒頭は漁船のシーンで、主人公のルビーが歌いながら漁を手伝っていますが、一緒に乗っている父と兄は気にしていません。なぜなら、二人とも耳の聞こえない聾唖者だからです。

 さらに母親も聾唖者であり、一家の中でルビーだけが耳が聞こえ、手話以外の言葉を話すことができます。

 ルビーは高校生で、かっこいいと思っていたマイルズが合唱クラブに入ることを知り、自分も合唱クラブに入ります。そこでルビーは音楽教師のベルナルド・ヴィラロボス(V先生)に才能を見出され、マイルズも目標としているバークリー音楽大学の受験を進められます。

 ルビーは、家族からは外部とのコミュニケーションを取るために必要とされており、自分の夢と家族の間で引き裂かれます。

 

 という筋立てで、ストーリー的にはありきたりです。音楽との向き合い方にしろ、マイルズとの恋にしろ、基本的にはどこかでみたような内容です。

 ただ、聾唖者である家族の描き方は今までのパターンとは違います。まず、家族を聾唖者の役者が演じていますし、「つつましく善良」といったパターン化された姿からは一線を画しています。かなり奔放で明け透けな姿は今までになかったものでしょう。

 また、ルビーを演じたエミリア・ジョーンズも非常にいいです。

 

 ただし、それでもルビーが学校での発表会で家族たちを前に歌うシーンまでは「手堅い佳作」という感じです。

 ところが、この発表会での演出が素晴らしく、その後に続くルビーと父親のシーンも素晴らしい。ここで一気に強い印象を残してラストへと向かっていきます。

 「聾唖者であるとはどのようなことか?」というのは、それ以外の人にはなかなかわからないことですが、それをわからせようとする演出があることがこの映画の最大の長所なのではないかと思います。

 

 

 

『ベルファスト』

 北アイルランドベルファスト出身のケネス・ブラナーが監督・脚本を務めた作品。ケネス・ブラナーの自伝的要素も強いと言います。

 最初は、鮮やかな現在のベルファストの映像から始まりますが、舞台となる1969年のシーンが始まるとモノクロになり、プロテスタントカトリックの暴力的な衝突が起きているベルファストのある街区に住む家族が描かれていくことになります。

 

 このモノクロ映像+過去+家族+暴力という取り合わせは、アルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』を思い起こさせます。実際、『ROMA/ローマ』と被るようなシーンもありました。

 ただし、『ROMA/ローマ』が家政婦という家族の外部に立つ人間が主人公になっており、そこから家族の外部の話も展開したのに対して、こちらはあくまでも家族中心の話となります。

 

 主人公のバディは9歳の男の子で、父と母と兄と暮らしていますが、父はロンドンに大工の仕事で出稼ぎに行っており2週間に1度ベルファストに帰ってきます。すぐ近くに祖父と祖母、母の姉夫婦もおり、貧しいながらもバディとしては楽しい生活を送っています。

 ところが、バディのいるプロテスタントカトリックが混在して住む街区を「浄化」するとして、プロテスタントの若者の集団がバディの住む街区を襲撃します。

 軍隊も出動して、バリケードが築かれることで、とりあえず暴動は収まります。また、バディの一家はプロテスタントであり、追い出される対象ではありません。

 しかし、暴動をきっかけに街区の様子やバディを取り巻く状況は変質していしまいます。バディの父もプロテスたんのギャングに仲間になるように誘われるようになり、バディの父はベルファストを出ることを考え始めます…というストーリー。

 

 というわけで、冒頭の暴動シーンから重苦しい雰囲気が覆います。しかも、ストーリーが基本的に街区とバディの通う学校などの狭い範囲で展開するので、閉塞的でおあります。

 ただ、バディのキャラがお調子者だということと、キアラン・ハインズ演じる祖父とジュディ・デンチ演じる祖母のユーモアがあって、そんな中でも面白いシーンは多いです。また、カトリーナ・バルフ演じる母の姿も魅力的です(やたらにスタイルがいいなと思ったらファッションモデルでもあった人なんですね)。

 

 全体的に見ると役者、演出とも水準以上の映画で満足ではあるんですが、例えば、アカデミー賞を獲るとかいうことを考えると、少し小さくまとまり過ぎている感じはありますね。

 家族の話としてよくまとまっているのですが、もう少し社会的な要素が入ってきてもよかったかもしれません。

 あと、モノクロの画面の中で、見ている映画や演劇だけがカラーになるんですけど、この演出意図はなんなんだろう?

 

竹中佳彦・山本英弘・濱本真輔編『現代日本のエリートの平等観』

 近年、日本でも格差の拡大が問題となっていますが、その格差をエリートたちはどのように捉えているのでしょうか?

 本書は、そんな疑問をエリートに対するサーベイ調査を通じて明らかにしようとしたものになります。

 

 このエリートに対する調査に関しては、1980年に三宅一郎・綿貫譲治・嶋澄元の3人が実施し、分析から蒲島郁夫が加わった「エリートの平等観」調査という先行する調査があり、今回の調査(2018−19年調査)はそれを引き継ぎながら比較も試みています。

 1980年と現在では個人情報に対する意識が違いますし、また当人の「エリートとしての自負」のようなものも違うはずで、調査票の回収にはかなり苦労したようですが、現在に日本の平等観を考える上で興味深い知見がいくつも示されています。

 

 目次は以下の通り

 

序[竹中佳彦]

第Ⅰ部 平等をめぐる理論と文脈

第1章 平等をめぐる理論と文脈[竹中佳彦・近藤康史・濱本真輔]
第2章 調査の方法と回答者のプロフィール[竹中佳彦・山本英弘]

第Ⅱ部 エリートの社会経済的平等観

第3章 平等観と保革イデオロギー竹中佳彦・遠藤晶久]

第4章 経済的平等:不平等認知は再分配政策につながるのか[久保慶明]

第5章 ジェンダー平等:右傾化か,経済か,フェミニズムの定着か[大倉沙江]

第6章 世代間平等:「シルバー民主主義」の実像[遠藤晶久]

第7章 平等価値の階層構造:基底的平等価値の記述的分析[鈴木創]

第Ⅲ部 政治的平等の諸側面

第8章 政治権力構造とマスメディア:レファレント・プルーラリズムのゆくえ[山本英弘・竹中佳彦]

第9章 政策ネットワーク:官民関係の現状と変容[柳至]

第10章 「一票の重み」の不平等が政治家に及ぼす影響[今井亮佑]

第11章 経済的平等に関する応答性:エリートと有権者の考えは一致しているのか[山本英弘]
第12章 有権者の応答性認識にみる政治的平等:男性,高齢者,農村部に偏る政治[濱本真輔]

終章 現代日本のエリートの平等観の諸相と権力構造・ネットワーク・応答性[竹中佳彦]

 

 まず、この調査で問題になるのは「誰がエリートなのか?」です。「エリート」という言葉を聞けば、「医師」「官僚」「東大卒」「資産家」など、さまざまなイメージが浮かぶでしょう。

 本書では1980年の調査を踏襲する形で「政治、経済、マスメディア、市民社会など様々な分野のフォーマルなリーダーの地位にある者」(24p)を「エリート」として捉え、彼らを対象に調査を行なっています。

 ですから、農業団体や市民団体の代表といった、一般の人が想定する「エリート」とはややズレるであろう人たちも調査の対象になっています。

 

 本調査は、①政党・政治家、②官僚・自治体職員、③経済団体、④労働団体、⑤農業団体、⑥商工団体、⑦市民団体・NPO、⑧専門家、⑨学者・文化人、⑩マスコミの各グループを設定し、これらの中から抽出した人々に調査票を送る形で調査を行なっています。

 ただし、政党・政治家、経済団体に関しては回収率が悪く、追加の調査を行っていますが、この2つと農業団体に関しては回収率が低いのでやや注意が必要となります。

 

 このエリートの内実ですが、まずは圧倒的に男性中心です。全体の女性比率は13.2%で、1980年調査の7.8%よりは上昇していますが、市民団体・NPOを除けばいずれも低い割合です。

 年齢は50〜60代が中心、出身は官僚とマスコミで東京出身者が目立ちます(38p表2-3参照)。学歴は1980年調査に比べて院卒を含めた大卒の割合が増えています(合わせて75%以上)。ちなみに出身大学の最多は早稲田の5.1%、ついで東大の4.6%だそうです(40p)。

 

 第3章から具体的な分析が始まりますが、まず第3章ではエリートの保革イデオロギーがとり上げられています。

 1980年の調査では「やや革新的」と「やや保守的」に2つの山がありますが、2018−19年調査では「やや革新的」の山が消え、その代わりに「中間」と「やや保守的」が増えています(51p図3−1参照)。

 グループごとに見ていくと、1980年の調査に比べて大きく変化しているのが労働組合で、「保守的」に移動しています。また、マスコミもやや「保守的」に移動しています。一方、農業団体や保守政党は保守色がやや弱まっています(53p図3−2参照)。

 

 平等の認知に関しては、「性別」、「外国人」、「米軍基地」という3つの項目を除いて、「政治参加機会」「教育機会」「雇用」「収入」などの多くの面で、有権者よりもエリートの方が日本を平等だと見ています(55p図3−3参照)。特に保守政治家は多くの分野で日本が平等だと見ています。

 

 具体的な政策では、エリートの方が有権者よりも保革イデオロギーと政策への賛否の関連が明確です。

 例えば、「女性の雇用割当制」、「外国人参政権付与」といった項目では革新は賛成、保守は反対という傾向が明瞭です。一方、有権者では「累進課税」の項目で保革イデオロギーが関連していないようですし、革新的な人でも「自助努力賛成」の人が多いです(60p図3−4参照)。

 

 第4章では経済的平等について検討しています。

 まず、1980年に比べてエリートのすべてのグループにおいて、収入、財産の両方で不平等に対する認知は高まっています(69p図4−1参照)。

 基本的に革新が再分配を支持し、保守が支持しない関係になるのですが、雇用保障は、保守政治家は不平等についての認知が弱いにもかかわらず支持しています(74p図4−4参照)。

 政治家は、それ以外の人々と違って、不平等の認知が政府による格差縮小政策への支持につながっていないという特徴もあります(82p図4−7参照)

 また、不平等の認知よりも、経済成長と財政規律のどちらを重視するかが雇用保障への支持と関連しています。経済成長重視派は雇用保障に賛成しやすく、財政規律重視派は雇用保障に反対しやすいのです(83p図4−8参照)。

 

 第5章はジェンダー平等。

 1980年に比べて、「女性も職業をもつ方がよい」は当然のように賛成が増えていますし、「女性の雇用割当制」についても、まだ明確に賛成するグループが少ないものの、80年位比べるとすべてのグループで賛成方向に動いています。ジェンダーに関しては今回の調査で初めて設けられた質問も多いですが、「選択的夫婦別姓」についても保守政治家と農業団体以外は賛成です(92p図5−1参照)。

 全体的な変化を見ると、この40年で保守的なエリートも女性の労働力化には賛成するようになったが、雇用割当制には慎重であり、選択的夫婦別姓にも慎重です。ただし、バックラッシュ的な反動は見られず、経済的な要請の方を優先している様子もうかがえます。

 

 第6章は世代間平等、いわゆるシルバー民主主義の問題がとり上げられています。

 現在、人口の高齢化に加えて若者の投票率の低さから政策の宛先が高齢者中心になってしまうシルバー民主主義が問題視されています。

 一般の有権者に対する調査では、若者と年配の人の集団対立は基本的に若い世代の方が強く認識しています(105p図6−1参照)。

 ただし、平等についての認知では「若者/高齢者」の不平等はそれほど強く認知されているとは言えません(107p図6−2参照)。ここでも若い世代の方が不平等だと認知していますが、20〜50代まではほぼフラットで、60代から平等だとする人が急に増えるので(108p図6−3参照)、世代間の問題というよりは「現役世代対高齢層」という図式なのでしょう。

 

 エリート調査を見ると、保守政党が一番強く、ついで官僚・自治体職員、経済団体・商工団体というグループで世代間で平等だと認知しており、革新政党労働団体、市民団体・NPOが不平等だと認知しています。

 ただし、例えば年金の財源問題をみると、高齢者にも負担を求める消費税の増税について保守政党、官僚・自治体職員、経済団体・商工団体は賛成しています。また、世代的な対立も特に見えません(114p図6−6参照)。

 

 こうした分析結果から見ると、確かに世代間の不平等は認識されているかもしれないが、それがストレートに高齢者に負担を求めず若い世代に負担を押し付ける政策に結びつくかというと、そうはなってはいません。

 シルバー民主主義はそのロジックが単純でわかりやすいですが、その影響がストレートに現れているわけではありません。

 

 第7章は「平等価値の階層構造」と題されており、何をやっているのか分かりにくいのですが、それぞれのグループがどんな問題の不平等を重視し、どんな平等観を持っているかを分析したものです。

 本章では質問への回答から回答者を7つのクラスに分けています。これによると保守政治家は「経済」に対する平等志向や弱く、「女性・外国人」、「クオータ制」についての平等志向は中間といったタイプが多いです。ただ、同時に保守政治家の16.6%が「経済」「女性・外国人」についての平等志向が強く、「クオータ制」についてもやや強いというタイプで、このあたりが日本の特徴なのかもしれません(127p)。

 

 「機会の平等」か「結果の平等」かという平等観についても分析しています。まず、日本では「結果の平等」を重視する人は少なく、「機会の平等」を重視する人が多数派です。

 主流エリートでは「結果の平等」を重視する人の方が経済的平等志向という分かりやすい関係にありますが、対抗エリートでは「機会の平等」を重視する人で経済的平等志向が強いという分かりにくい関係になっています。これは教育における「機会の平等」を保障するには経済的な平等必要だという考えなどが影響しているのかもしれません。

 

 第8章は政治権力構造とマスメディ。

 1980年の調査ではエリートからの評価においてマスメディアが大きな影響力を持っており、イデオロギー的にも中立的なマスメディアが市民運動や女性団体、労働組合などの反体制側のグループも含めたさまざまなエリートとつながり、それを政治権力にも伝えるはたらきをしているという、「レファレント・プルーラリズム」のはたらきがあったといいます。

 

 では、2018〜19年調査ではどうなのか?

 まず、影響力ですが1980年のときはマスメディア、官僚、政党の順番で影響力があるとされていましたが、18〜19年調査では、生活における影響力で、与党、テレビ、官僚、政策決定における影響力で与党、官僚、経済団体の順で、カテゴリーなどが変わったので単純な比較はできませんが、マスメディア(新聞、テレビ)の影響力は落ちている印象です(142p表8−1参照)。

 

 マスメディアの全体的なイデオロギー的な中立性に関してはそれほど変化はありませんが、個々のメディアについてはイデオロギー的に分極した印象が強まっています(朝日は「革新的」に見られ、読売は「保守的」に見られており、日経とNHKはその中間(149p図8−1参照)。

 また、マスメディアがアクセス可能な団体も減りつつあり、以前のような「レファレント・プルーラリズム」のはたらきは弱まっているといえます。

 

 第9章は政策ネットワークについて。政策過程におけるアクターの関係性を分析しています。

 各グループのエリートたちがそれぞれどのような相手と接触しているかを見ることで、どのような形で意見や利害が反映するかを明らかにしようというのです。

 

 2018〜19年調査を見ると、意見表明回路では経済団体と労働団体は国会議員へのものがトップであり(労働団体は野党の国会議員中心だと思われれる)、農業団体、商工団体、市民団体では地方議員がトップです。その地方議員は国会議員と首長につないでいます(161p表9−1参照)。

 しかし、こうした意見表明回路は1980年の調査に比べると細くなっています。経済団体は国会議員に接触していると言いましたが、その数値は1980年からずいぶん落ちていますし、官庁局長級以上への接触も落ちています。農業団体と国会議員、自治体職員と国会議員の回路なども細くなっています(164p表9−3参照)。

 また、要望のための接触割合をみると各アクターの官庁局長級以上への接触割合が大幅に低下しています(165p表9−4参照)。このあたりは政治・行政改革の成果とも言えますが、中央の官庁のリソース不足を各団体が補うといったことは難しくなっているのかもしれません。

 

 第10章は「一票の格差」の問題がとり上げられています。ここでは「一票の重みが軽い選挙区選出議員の方が日本の現状を「不平等」だと考えていたり、政治についての意識や行動に影響を与えているのか?」という問題意識をもって分析がなされています。

 ただし、分析の結果では「一票の格差」による政治参加機会の平等認識や「一票の格差」をどこまで許容すべきかという点に関しては差は見られませんでした。

 一方で「一票の格差」が大きい都道府県の議員は、「一票の格差」の大きさを追認する傾向があります。

 

 第11章は経済的平等性について。ここでは主にエリートと有権者の経済的な平等に関する考えが比較されています。

 まず、保守政治家、官僚、経済団体といった政策形成のメインにいる人々は有権者よりも今の日本を「平等」だと認知しています。そして、官僚や経済団体では格差容認志向も強いです(199p図11−1参照)。

 また、自立志向と再分配志向でも、経済団体、保守政治家、官僚は自立志向です。さらに有権者でも高収入や政治への関心や有効性感覚が高い層も自立志向です(201p図11−2参照)。

 今の状況だと、格差を縮小するような政策は選ばれにくいと言わざるを得ません。

 

 第12章は有権者の平等認知、政治的有効性感覚(個人の行動が政治に影響を与えていると感じられる度合い)、応答性認識(政治家やエリートが有権者に応答しているか)が分析されています。

 まず、男性、高年齢、団体所属の3つの属性が平等認知が高めています。つまり今の日本をより平等だと認識しているのです(208p表12−1参照)。

 有効性感覚については、有権者が影響力を持つべきだが、実際は与党や官僚が影響力を持っていると考える人が多いです。そして労働組合の影響力は低く見積もられています(209p図12−1参照)。

 応答性認識については基本的に低いのですが(国会議員や官僚は国民のことを考えていないとしている)、年齢が高い、団体に所属している方が高めに出ます。

 

 このように本書は多岐にわたった分析を行なっています。調査の回収率の低さなどもあって、「これが日本のエリートのすべて」みたいには言えないかもしれませんが、エリートが一般の有権者よりも日本を平等だと認知しているなど、いくつかの重要な知見を教えてくれる内容になっています。

 そうした構造にあり、されにマスメディアがかつてのようにさまざまな立場の人を繋ぐ役割を果たしていないとすると、有権者とエリートのギャップを埋めるための何かが必要なのかもしれません。

 本書は、日本社会を考える上でのさまざまな材料を与えてくれる本だと言えるでしょう。

 

 

 

 

崎山蒼志 / Face To Time Case

 昨年出た「find fuse in youth」が素晴らしかった崎山蒼志のアルバム。メジャーデビュー後の2ndアルバムということになりますね。

 今作もメロディー的には光るものがあり、また全体的なスケール感もアップしています。

 ただし、そのスケール感のアップがいいことかというとここは意見が分かれるところでしょう。

 

 本作で一番強い印象を残すのが3曲目の"嘘じゃない"、つづく4曲目の石崎ひゅーいと共演した"告白"もいいメロディの曲だと思います。

 この2曲は両方ともストリングスを入れており、それが今までにはなかったスケール感につながっています。

 しかし、これによってグルーヴ感が後退してしまったのも事実で、そのあたりは微妙です。個人的には差し引きでマイナスだったのではないかと思います。ピアノとかバイオリン1挺とかでもよかった気はしますね。

 

 ただ、7曲目の"逆行"あたりはゴテゴテしていなくていいですし、おそらくライブで聴けばすごく盛り上がるのではないかと思います。9曲目の"風来 (extended ver.)"も比較的シンプルなアレンジでいいメロディの曲ですね。

 また、11曲目の"過剰/異常 (with リーガルリリー)"も盛り上がる曲ですが、それをドラムとギターとコーラスで作り上げているところがいいと思います。

 

 全体的には満足できるアルバムなんですけど、メジャーになっていく過程で、どの程度スケール感を追求していくかというのは多くのアーティストが直面する問題であり、バンドだといわゆるスタジアム・ロックみたいになっていくケースもあるわけですが、崎山蒼志には変にスケール感を追求しないで、独特のグルーヴ感を追求していってほしいですね。

 


www.youtube.com

 

 

 

野島剛『蔣介石を救った帝国軍人』

 もと朝日新聞の記者で『香港とは何か』(ちくま新書)など台湾や香港に関する著作で知られる著者が、2014年に『ラスト・バタリオン』のタイトルで講談社から出版した本が改題されて文庫化されたものになります。

 副題は「台湾軍事顧問団・白団の真相」となっており、さまざまな取材によって国共内戦に敗れて台湾に逃げた蔣介石を支えた日本人の軍事顧問団・白団(バイダン)の姿を明らかにしようとしたものになります。

 

 前々から読みたかったのですが、先日、S・C・M・ペイン『アジアの多重戦争1911-1949』を読んで、改めて日中戦争と中国の内戦に興味をもったのでこの機会に読んでみました。

 もちろん、「なぜ蒋介石は仇敵だったはずの日本から軍事顧問を受け入れようと思ったのか?」という謎があるわけですが、同時に本書では「なぜ、日本の旧軍人は1950〜68年の20年近く台湾に留まって活動したのか?」という疑問にも迫っています。

 今まで光が当てられてこなかった戦後史、そして日台関係に迫った本と言えるでしょう。

 

 目次は以下の通り。

プロローグ 病床の元陸軍参謀
第1章 蔣介石とは何者か
第2章 岡村寧次はなぜ無罪だったのか
第3章 白団の黒子たち
第4章 富田直亮と根本博
第5章 彼らの成しとげたこと
第6章 戸梶金次郎が見た白団
第7章 秘密の軍事資料
第8章 白団とはなんだったのか
エピローグ 温泉路一四四号

 

 実は、「なぜ蒋介石は仇敵だったはずの日本から軍事顧問を受け入れようと思ったのか?」という謎に関しては、S・C・M・ペイン『アジアの多重戦争1911-1949』を読んでいてもある程度その理由が見えていました。

 それはアメリカの軍事顧問が素人で第2次大戦中に蔣介石を悩ませたこと、国家としては完膚なきまでに敗北した日本ですが、中国大陸の戦いでは44年の一号作戦で大きな戦果をあげていたことなどです。

 

 それでも、この問題を考える上で蔣介石と日本の繋がりというものは無視できません。本書でも第1章で蔣介石と日本のつながりを掘り下げています。

 ちなみに本書の執筆のきっかけは蔣介石日記の公開と、そこで蔣介石が繰り返し白団に触れていることから始まっているのですが、その蔣介石日記をめぐる面倒な事情もここで紹介されています。

 

 蔣介石は1906年、19歳のときに初めて来日しています。軍事について学びたかった蔣介石ですが、当時は清朝の陸軍部の推薦がなければ軍関係の学校には入れなかったことから、日本語だけを勉強し8ヶ月後に帰国しています。

 一度帰国した蔣介石でしたが、清の通国陸軍速成学校に入学し、07年には再び日本に渡り、清国学生のための教育機関「振武学校」に入学しています。

 ここで蔣介石は日本語中心の教育を受けるわけですが、蔣介石はそれほど日本語の会話が得意ではなかったとの証言もあります。

 

 その後、蔣介石は1910年に新潟県の高田の第13師団に配属され、一兵卒として過ごしますが、1911年に辛亥革命が勃発すると休暇と偽って連隊を抜け出し、中国へと渡りました。

 蔣介石はもともと日本の陸軍士官学校に入ることを目標にしていましたが、革命参加の道を選んだのです。

 

 ですから、蔣介石には日本での軍隊経験があるとはいえ、特に日本の士官などへの伝手のようなものがこのときにできたわけではありません。

 白団の伝手となったのは終戦時に支那派遣軍総司令官だった岡村寧次です。岡村は中国共産党が戦犯の筆頭に指名していた人物でもあり、日本で東京裁判にかけられていればまず間違いなく重い刑が課されていたでしょう。

 ところが、岡村は蒋介石によって戦犯指定をすり抜けました。

 

 45年8月15日に行われた蒋介石のいわゆる「以徳報怨」演説を聞いた岡村は武装解除や、武器・弾薬の接収などに全面協力しました。45年12月には儀礼的ではありますが蔣介石と岡村が対面し、言葉を交わしています。

 日本軍民の帰還事業が進んでも岡村は留め置かれました。そして、岡村の処遇を決める会議では蔣介石の意向を受けた曹士澂(そうしちょう)が強硬に無罪を主張して押し切りました。こうしえ岡村は蔣介石によって命を救われ、1949年に日本に帰国しました。

 

 同じ49年、曹士澂が日本に派遣されますが、彼が蔣介石から託された密命が共産党に対抗するために日本人の協力を得ることでした。

 しかし、当時の日本はGHQの占領下にあり、義勇兵などを募るわけにはいきません。そこで考えられたのが日本人の軍事顧問団だったわけです。

 

 曹士澂が頼ったのが岡村であり、岡村の片腕となった小笠原清です。小笠原は旧軍人らをリクルートするとともに、日本に残された家族に手紙や給与を渡し、岡村の指示を台湾に伝えました。

 

 そして、軍事顧問団の代表となったのが富田直亮です。白団という名前も富田の中国名の白鴻亮からとられています。

 富田は1899年生まれの陸士32期生で、同期から「天才」と呼ばれた軍略家でした。支那通軍人ではありませんでしたが、広東方面に派遣された第23軍の参謀長として終戦を迎えています。

 富田は荒武国光と先遣隊として重慶に飛び、そこで蔣介石と会っています。富田は重慶の地形を活かせば戦えるとみましたが、国民党軍の士気が崩壊したことにより撤退を余儀なくされます。

 大陸での戦闘には白団は間に合いませんでしたが、富田の意見が評価されたこともあって白団は台湾で活動を行うこととなります。

 

 一方、台湾で活躍した日本軍の軍人としては根本博中将がいます。根本は49年10月の共産党軍による金門島上陸作戦を阻止した人物として知られていますが、その内実にはやや怪しいものがあるといいます。

 根本は白団は別経由で台湾に行き、そこで湯恩伯将軍の個人顧問となります。根本が言うところによれば根本の献策が湯恩伯に採用されて共産党軍を打ち破ったことになっているのですが、実は湯恩伯はポイントとなった古寧頭の戦いの直前に金門防衛の司令官の座を代わっており、根本と湯恩伯がこの戦いの勝利にどの程度貢献したのかはわからないといいます。

 

 一時は白団のリーダーを根本とする案もでますが、富田を支持する声が強く、根本は51年に帰国します。

 こうして、白団は台湾で軍人の教育を始めるのですが、蔣介石自ら白団の講義にしばしば訪れました。富田の行った武士道に関する講義について、蔣介石は「はなはだ良い」といった感想をたびたび日記に書き込んでいます。

 当然ながら、軍の中からは日本人に教わることの不満がでるわけですが、蔣介石はその必要性は粘り強く説いています。

 「日本人教官はなんの打算もなく、中華民国を救うために台湾にきている。西洋人の作戦は豊富な物量を前提としており国情に合致せず、技術重視で精神を軽んじるのでダメである」(226p)とあるように、蔣介石が日本人の教官に期待したのは精神的な部分でした。

 

 蔣介石は離合集散を繰り返す中国の軍閥の間で戦いを続けてきました。その蔣介石の基盤となったのが彼が設立した黄埔軍官学校です。ソ連の支援を受けてつくられたこの学校の卒業生は蔣介石の手足となりましたが、ソ連に頼れなくなった状況の中、蔣介石は日本の力を使って自らに忠実な軍をつくろうとしたのです。

 不利な戦況になっても崩壊しない軍をつくるために、日本人教官、そして彼らが説く精神論が必要だと考えたのです。

 

 著者によると白団は以下の4つの時期に分けて考えられるといいます(237p)。 

1期 革命実践研究院圓山軍官訓練団時代(1950〜52)

2期 実践学社時代(1952〜1963)

3期 実践小組時代(1963〜65)

4期 陸軍指揮参謀大学時代(1965〜68) 

 

 1期のころは白団の草創期であり、白団が公的な組織として軍人の再教育にあたりました。訓練団は「普通班」と「高級斑」にわかれ、普通斑は少佐以下、高級班は大佐以上で師団長や軍司令官も対象となりました。

 日本人の教官は高級班での兵站軽視に驚かされたといいます。日本人の将校にそんなことが言えるのか? という感じもしますが、日本以上に軽視されていたのでしょう。

 日本式の教育に反発する人間もいたそうですが、今までの人脈がものを言う世界とは違い、日本人教官の採点の公平性の高さは評価されていたようです。

 

 朝鮮戦争勃発までアメリカは台湾にコミットしない方針でしたが、方針を転換して51年には軍事顧問団を派遣します。アメリカ側は白団の存在を快く思わず、ことあるごとに蒋介石に白団の排除を求めましたが、蔣介石は白団を守り続けました。

 

 それでも52年からはアメリカの介入により白団の体制は縮小されることになり、最大76人いたメンバーも減らされることになりました。名称も実践学社となり、圓山から石牌という目立たぬ場所に移転しています。

 それでも軍事教育はつづき、蔣介石の次男の蒋緯国がここの第一期生になりました。蔣介石はエリート軍人の教育を白団に託したのです。

 64年末には白団の教官は25人から5人にまで縮小されますが、それでも台湾側の教官の育成を担い、蔣介石は毎月のように白団のメンバーと食事会をしていたといいます。

 また、台湾における動員体制の構築を指導したのも白団だといいます。

 

 第6章では戸梶金次郎という白団に参加した一人の人物の日記を使って白団の実態を再構成しており、白団内部の対立や待遇改善の要求なども書かれています。

 また、当初は大陸反抗計画の立案も行っていましたが、1953年の米加相互防衛条約によって、アメリカの保護を受ける代わりに蒋介石の大陸反抗は封じ込められました。

 また、白団での生活が長くなるにつれ、「いつまでこの生活が続けられるのか?」「変化する日本に置いていかれる」といった悩みも出ていたことがわかります。

 

 台湾での軍の立て直し、大陸反抗計画の立案といったことをになった白団でしたが、台湾の軍が自立し、大陸反抗計画が遠のいたことでその存在意義も薄れます。

 1964年にこの年限りでの白団の解散が告げられ、富田をはじめとするごく少数以外は帰国します。戸梶もこのときに帰国しました。

 

 一方、富田のことは最後まで蔣介石が離しませんでした。1972年には日本と中華民国が断交し、日台関係は悪化しますが、富田ら白団のメンバーは「共存共亡」というタイトルのついた決意書を蒋介石に送りました。

 75年に蔣介石が死去すると富田も帰国を決意しますが、蔣経国から「父から、白将軍より指導を受けよと命じられています。どうかこの台湾にとどまっていただけないでしょうか」(365p)と言われ、富田は日本と往復する形で台湾での生活を続けることになりました。富田は台湾で上将(大将)の称号を授かり、79年に東京で亡くなっています。

 

 ただ、白団は単純に「日台友好」といったものではくくれません。そこには日本側の再軍備の思惑などもありましたし(服部卓四郎とのつながりなどは第7章で触れられている)、国民政府の台湾統治の問題もありました。

 国民政府は、元から台湾に住んでいた人から嫌われ、その失望から日本統治時代を懐かしむ声が生まれます。これに対して大陸からやってきた外省人は台湾の人々の日本びいきを嫌って、日本語の使用禁止などを打ち出します。

 蔣介石は白団を非常に買っていましたが、その部下たちにはやはり日本に対する複雑な感情や敵対心はあったわけです。

 

 このように本書は白団の実態とそこに関わった人々を描き出しています。ここではあまり紹介しませんでしたが、新聞記者らしく本当にさまざまなエピソードを拾っています。

 エピローグでは、白団がこれだけの期間続いた理由として、日本人の教官たちにとって、日本では使いようのない参謀としての知識や経験を活かせる職場であり、彼らは「帰りたくなかった」のだということをあげていますが、おそらくその通りなのでしょう。

 そういった意味では、白団は「平和国家」の日本と、非常事態宣言下にあった台湾との落差のなかで生まれ、存続したものと言えるかもしれまえん。

 読みやすいですし、興味深い本でした。

 

 

文中で紹介した本はこちら

morningrain.hatenablog.com

村上春樹『女のいない男たち』

 映画の『ドライブ・マイ・カー』を見て、その物語の複雑な構造に感心したので、「原作はどうなってるんだろう?」と思い、久々に村上春樹を読んでみました。

 以下、映画と本書のネタバレを含む形で書きます。

 

 

 映画はこの短編集の中から「ドライブ・マイ・カー」だけではなく、「シェエラザード」、「木野」という2つの短編の要素を組み込んでいます。 

 「シェエラザード」からは、セックスのあとに語られる物語が映画で使われています。やつめうなぎの話や想いを寄せる彼の家に空き巣に入る話は、ここからとらえています。

 映画の中での、「僕は傷つくべきときに十分に傷つかなかった」というセリフが印象に残っている人もいるかもしれませんが、これは「木野」の中に出てきます。

 

 ただし、「シェエラザード」も「木野」も映像化しにくい作品です。

 「シェエラザード」は何らかの理由で家にこもって生活をしている主人公の羽原のもとに、定期的に35歳の主婦である彼女が買い物などしてやってきて性交をして、その後に様々な物語を語るという話です。最初から最後まで、これが一体どのような設定なのかということは明かされません。

 

 一方、「木野」は、妻の浮気がきっかけで離婚した木野という男が青山の一軒家でバーを開くという話で、木野の背景なども書き込まれているのですが、この話は村上春樹の短編によくある奇譚のたぐいです(「かえるくん、東京を救う」とか「品川猿」とか)。

 カミタという謎の男やヘビなど謎めいたものがいろいろと登場しますが、これらをうまく映像化するのは難しそうです。

 ちなみに本書に収録されている「独立器官」も奇譚といっていいと思います。ある男の破滅の物語ですが、映像化すればかなりグロテスクになりそうなところを、すこし距離感をもって描けているのが村上春樹ならでは。

 

 ちなみに他の収録作の「イエスタデイ」は70年代くらいの過去の話であり、「女のいない男たち」はそんなに面白くない。

 

 というわけで、映像化するならばやはり「ドライブ・マイ・カー」ということになるのでしょう。

 設定は映画とほとんど同じなのですが、大きな違いは小説では主人公の家福が車の運転を禁止されているのに対して、映画では注意するようには言われているものの禁止されてはいない点です。

 つまり、小説の家福は不能ですが、映画の家福は不能ではありません。

 

 実際、小説では家福は高槻との交流を終わらせており、「憑き物が落ちた」状態です。

 映画では運転手となったみさきとの関わりの中で家福が変わっていきますが、小説ではみさきによって家福の過去が肯定されるような形になっています。

 小説にあるのは「解釈」ですが、それでは映像になりにくいので、映画ではこれを「行動と変化」の話にしているわけです。

 

 「ヴァーニャ伯父さん」や演技へのこだわりも小説に出てきますが、これを濱口竜介監督自らの方法論と重ね合わせて、さらに立体的に構成しているわけです。

 

 この短編集自体も面白く読めましたけど、ここから映画の脚本がどんな形で立ち上がっていったのかということを考えながら読む経験も面白かったです。