歴史教科書における軍人不遇の時代

 今日は剣道の試合で東京武道館へ。女子の試合だったけど、1回勝って2回戦負け。でも、けっこう惜しい感じだったし、試合としてはよかった。高3はたぶんこの試合が最後になるんで、ちょっと感慨深かったですしね。

 話題は変わって、今年は授業で世界史も担当していて、第1次世界大戦の所とかを教えてたりするんですが、ルーデンドルフってどの教科書にも出てないんですね。
 ルーデンドルフタンネンベルクの戦いヒンデンブルクを補佐してドイツを大勝利に導き、その後は参謀総長ヒンンデンブルクの下で参謀本部を牛耳り、大戦期におけるドイツの軍事独裁体制を作り上げた人。別に歴史を学ぶ上で絶対に押さえておくべき人物だとは思わないけど、例えば同時代のケレンスキーが山川の用語集で「9」(9社の教科書で取り上げられている)であることを考えると、ルーデンドルフが「0」ってのはどうなんだろ?(ちなみにヒンデンブルクは1次大戦の時の記述では「2」、ワイマール共和国の大統領としては「6」です)

 でも、もっと軍人不遇なのは日本史(ただ、最新版の用語集を持っている世界史に比べて日本史はひとつ古い版)。日露戦争を例にとると、中学の歴史教科書に載せるとか載せないとかでもめた記憶もある東郷平八郎で「3」、日本陸軍を指揮し勝利に導いた児玉源太郎が「1」。一方で、反戦詩を書いた大塚楠緒子が「5」、対露強硬論を唱えた戸水寛人が「6」。
 やっぱ、これはおかしくないか?って思う。別に軍人が歴史を動かしているわけではないけど、大塚楠緒子や戸水寛人がいなくても日本の歴史はたいして変わらなかったと思えるのに対して、やっぱ東郷、そしてなによりも児玉源太郎がいなかったら日本の歴史は大きく変わっていたんじゃないか?
 もちろん、大塚楠緒子や戸水寛人は当時の日本の戦争をめぐる世論を代表するものではあるんだろうけど、だからって軍事の役割をここまで無視していいものかと…。例えば、戦争について考えさせたいなら乃木希典(「1」)の失敗とその後の「軍神神話」とかを紹介したほうがいいと思うし、あまりに「軍人を取り上げる=右翼的」みたいな考えに取り憑かれていると思う。

 で、世界史でも純粋な軍人で幅広く教科書載ってるのは、ハンニバル「10」、ヴァレンシュタイン「5」とかくらいなんだけど、もう1人いた。
 李舜臣「10」
 「イデオロギーの時代は終わった」とかいうけど、歴史教科書はまだまだイデオロギーのまっただ中ですね。