トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』

 ついに刊行が始まった「トマス・ピンチョン全小説」のトップバッターは、柴田元幸訳の『メイスン&ディクスン』。
 ピンチョンの作品の中では『競売ナンバー49の叫び』に匹敵する完成度を持った作品で、しかも泣ける!
 饒舌なドタバタ劇は相変わらずですが、ラストは非常に感傷的。そして脱線も相変わらずですが、メイスンとディクスンという二人の主人公から完全に話がそれてしまうことも少なく、ピンチョンの小説の中では読みやすいといえるでしょう。


 メイスンとディクスンという二人の人物は、アメリカ合衆国におけるペンシルベニア州デラウェア州と、メリーランド州ウェストバージニア州との間の州境の一部を定める境界線を引いた人物で、Wikipedeaではメイソン=ディクソン線 - Wikipediaとメイソン、ディクソンの名前で表記されています。
 Wikipedeaの地図だとこのような感じです

 もともとはペンシルベニア植民地とメリーランド植民地の境界をめぐる紛争を解決するために引かれたこの線は、のちにアメリカの南部と北部を分断する線になり、南北戦争時にアメリカを2つに分ける線となります。


 時は1763年からの4年間、イギリスからアメリカに渡ったメイスンとディクスンは、独立直前のイギリスの植民地支配への反感が漲るアメリカを測量と線引きをしながら西へ西へと進みます。
 彼らは新大陸でワシントンやフランクリンと出会い、独立前のアメリカの熱気を感じ、また奴隷制やインディアンの虐殺などアメリカ建国の影の部分も見ることになります。
 ただし、そこはもちろんピンチョンなので、史実とホラがぐちゃぐちゃに混ぜ込まれており、さらにフランス生まれの機会仕掛けの鴨だとか、狼男やビーバー男?、さらには土人間にしゃべる犬、中国人の天文学者など、非実在のものも次々と登場。しかも、柴田元幸の訳文は「東海道中膝栗毛」とかを真似しているような擬古文的な文体で、小説の基本的な基調はドタバタ劇です。

 
 もちろん、これはピンチョンの狙いであって、それは次の引用部分からもわかるでしょう。

「その通り。真実を主張する者は、真実に見捨てられるのです。歴史は常に、卑しい利害によって利用され、歪曲されます。権力者達の手の届く所に置かれるには、歴史は余りに無垢です。彼らが歴史に触れた途端、その信憑性は一瞬にして、恰も最初からなかったかのように消え去ります。歴史は寧ろ、寓話作家や贋作者や民謡作者やあらゆる類の変人奇人、変装の名人によって、愛情と敬意を以て遇されるべきであり、そうした者達によって、政府の欲求から、そして好奇心から遠ざかっておれるよう敏捷な衣装、化粧、物腰、言葉を与えられるべきなのです」(上巻498p)


 ただし、描かれている内容はやはりヘビーなものでもあって、アメリカの建国における「血と暴力」は旅の至る途中でその姿を見せます。 
 そして、この小説は最初からアメリカを舞台としているわけではなく、その前に南アフリカセント・ヘレナ島に二人は赴きます。ここがやや長いのでアメリカに着く前に挫折してしまう人もいるかもしれませんが、アメリカだけでなく南アフリカも体験することで、アメリカでの暴力が、白人の暴力としてよりグローバルな形で浮かび上がります。
 ディクスンの次のセリフはまさしくそれを見てしまった者の叫びです。

「わし等何処に送り出されても、〜岬(ザ・ケープ)、聖へレナ、亜米利加〜何が共通してます?」
  (中略)
「奴隷です。岬じゃわし等毎日、奴隷制の鼻先で暮らしてました、(中略)そして今また此処、もう一つの植民地でも、今回は奴隷を所有する連中と奴隷に給料を払う連中との間に線を引く仕事をやった訳で、何だかわし等まるで、世界中で、この公然の秘密に、この恥ずべき核に繰返し出会う運命になっているみたいな…。(略)」
「(略)何処までいけば終わるんです?わし等何処へいっても、世界中、暴君と奴隷と出会うのか?亜米利加だけは。、そういうものがいない筈だったんじゃありませんか」(下巻440p)

 ここでは線を引いたことの対する結果(南北の分断)が先取りされている訳ですが、この「線を引く」という行為は混沌を整理するとともに、インディアンの土地を奪い、そして線を引いた向こう側に「悪」を閉じ込める行為でもあります。

コロンブスの時代には、神が我等の希望を挫こうとなさっていることは誰の目にも明らかであった、〜それと共に、我々はこれ迄以上に自力でやって行く他ないという恐ろしい認識が訪れたのだ。」(下巻154p)

 ヨーロッパ人は世界中に線を引き、植民地として分割し、そして人々を国家という枠に閉じ込めました。神が作った世界を人間が線を引き分割したのです。そして、そこにアメリカのダイナミズムと原罪があります。


 そして、その原罪を見てしまった二人に芽生えるのは相棒としての絆であり、歴史の流れの中での親、あるいは子としての自覚です。このあたりの最後の描き方がうまく、泣かせます。
 さすがに上下巻で1100ページ以上ありますし、ピンチョンの小説というのは読みやすいものではありませんが、『重力の虹』よりは読みやすいでしょう。まあ、さすがに初ピンチョンがこれだと厳しいかもしれないので、そういう人には『競売ナンバー49の叫び』あたりから入るのがいいかもしれませんが、夏休みで時間のある人はぜひ!
 ピンチョンならでは桁違いのスケールを堪能できます。


トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(上) (Thomas Pynchon Complete Collection)
トマス・ピンチョン 柴田元幸
4105372025


トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(下) (Thomas Pynchon Complete Collection)
トマス・ピンチョン 柴田元幸
4105372033


競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)
トマス・ピンチョン 志村 正雄
4480426965