久米郁男『原因を推論する』

 読んでいたら、奥さんに「何その漠然としすぎたタイトルは?」と言われた本ですが、この本は、政治学、そして社会科学全般の研究方法について解説した入門書になります。
 講談社現代新書の隠れた名著、高根正昭『創造の方法学』をアップデートした本と言えば、『創造の方法学』を読んだ人にはピンとくると思います。


 世の中ではさまざまな問題が起こり、その原因が探られています。
 最近は流行らなくなりましたが、一時期流行った「キレる少年」なんかだと、その原因として「ゆとり教育」だとか「テレビゲーム」とか「朝食を食べていない」とか、いろいろな原因が専門家やコメンテーターによって語られるわけです。
 この本でも、平成22年に内閣府が行った「第4回 非行原因に関する総合的研究調査」の中で、非行少年にはそれ以外の少年よりも朝食を食べない割合が高い、というデータが示されたということが述べられています(124p以下)。


 「やはり「キレる少年」の原因の一つは朝食を食べないことだった!」
 こう断言して良いのでしょうか?そうは言い切れないとこの本は言います。
 「朝食を食べない」というのは、少年の意思ではなく、そもそも朝食が用意されていない家庭環境のせいかもしれません。そうなると、「家庭環境が悪い」ということが、「朝食を食べない」「非行」という2つの現象の原因になっているのかもしれません。


 このように物事の「原因」と「結果」をきちんと見分けることは実は難しかったりします。
 例えば、この本の第一章では、「(男性は)身長が高いほど収入が多い傾向にある」という調査が紹介されています。これは経済学などで「身長プレミアム」などという言葉で紹介されることもある現象です。
 しかし、過去には「金持ちほど体格が良い」という因果関係がよく知られていました。昔のイギリスでは上流階級の人間は貧しい人々よりも頭ひとつ抜けていたため、簡単に見分けがついたそうです(10p)。
 ですから、「高身長→金持ち」という因果関係なのか、「金持ち→高身長」(金持ちの家で育ったので学歴も高く身長も高い)なのかを判断するのはなかなか難しいところです(一応、現在の研究では、いろいろな条件をコントロールした上で「高身長→金持ち」の因果関係があるとされている)。


 これが居酒屋談義であれば、一番もっともらしい説明をした人間の勝ちということになるのでしょうが、学問の世界ではそうはいきません。この「原因」と「結果」の関係を突き止める事こそが重要であり、世の中で知られている因果関係が「本当にそうなのか?」ということを確かめる必要があるのです。
 

 この本では、そうした因果関係が成り立つといえるための条件を探ることで社会科学の方法論が紹介、検討されているわけですが、この因果関係が成り立つ条件というのは、別に社会科学を学ぶ人だけではなく、多くの人が知っておいたほうが良いことです。
 世の中にあふれている「解説」というものは、だいたいが因果関係についてのものです。例えば、大きな事件が起こったら、その「解説」として、専門家やコメンテーターによってさまざまな原因があげられることになります。
 この本を読めば、そうした「解説」の正誤を問うことがある程度はできるようになると思います。因果関係の向きだけではなく、何でも説明してしまう「陰謀論」(「日本の政治はすべてアメリカの軍産複合体が動かしてる!」など)、統計を使った分析などについてもとり上げているので、これによって多くの「解説」を「疑う」ことができるようになるはずです。
 最近、「メディア・リテラシー」という言葉がよく使われ、マスメディアに流れる言説とどう付き合うかが問題になっていて教育の場でもその必要性が叫ばれていますが、多くの場合、「元メディア関係の人がメディアの特性について語る」といったものになりがちです。
 けれども、実はこの本に書かれているようなことを学ぶことが、より効果的な「メディア・リテラシー」になると思います。
 というわけで、社会科学を学ぶ人だけでなく、もっと多くの人にお薦めできる本です。


 ただ、やはりこの本は政治学の本でもあります。
 身近な例とともに、政治学の研究が俎上に載せられてその意義や問題点が検証してありますし、最後の第9章と第10章では政治学に欠かせない「質的研究」の進め方についても詳しく言及しています。 
 「少人数教育は効果があるか?」、この答えを知りたければ40人を超えて分割されることになったクラスのその後の成績と、ギリギリで分割されなかったクラスの成績をみることである程度答えが出るかもしれません(これはこの本の133p以下で紹介されている)。つまり、データを使った定量的な分析をすることが可能です。
 しかし、「なぜ、日本やドイツやイタリアでファシズムが力を持ったのか?」とか「日本にはなぜキリスト教徒が少ないか?」とか「明治維新はなぜ起こったか?」とかそういった問いに関しては、定量的な分析をすることは不可能ですよね。
 例えば、「明治維新はなぜ起こったか?」という問いに、ある人が「西郷隆盛吉田松陰坂本龍馬、この3人がいたからだ」と答えたとします。もし、タイムマシーンが存在してこの3人を順番に殺してその後の歴史を見るといったことができれば別ですが、そうでなければこの答えは検証しようがありません。
 

 ですから、「明治維新はなぜ起こったか?」という問いについては、「答えられない」というのもひとつの回答なのでしょうが、歴史なんかは基本的に二度と再現できないものの原因を探る試みですし、政治学においても「その事象は1回しか起こらなかったから重要でない」などと言えるはずはありません。
 この本では、そうした問いに答える方法として「比較事例研究」と「単一事例研究」について触れ、その方法論を検討しています。ここでは、「比較事例研究」としてバリントン・ムーア『独裁と民主政治の社会的起源』(上記の「なぜ、日本やドイツやイタリアでファシズムが力を持ったのか?」問いに答えた研究)、エスピン=アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』、「単一事例研究」としてダニングの「資源の呪い」についての修正などがあげれらています。
 また、終章の「政治学と方法論」では、日本の政治学が「規範的判断」と「経験的・実証的分析」を混同してきたとして、新藤宗幸や山口二郎の言説が批判的に検討されています。
 政治学政治学者というと、「イデオロギー理論武装させるもの」、「政局を解説する人」といった印象を持っている人も言えるかもしれませんが、この本を読めば、そうではない政治学の姿というものがわかると思いますし、数多くとり上げられている政治学の優れた研究を知ることが出来ます。
 政治学の入門書としてもいけるのではないかと思います。


原因を推論する -- 政治分析方法論のすゝめ
久米 郁男
4641149070