田野大輔『ファシズムの教室』

 長年、大学で「ファシズムの体験授業」を行っていた著者による授業実践の記録になります。履修している学生たちに、白いシャツを着せ、「ハイル、タノ!」と叫ばせ、キャンパスにいるリア充(サクラ)を糾弾するというユニークでインパクトのある授業はWeb記事の「私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由」などでも読むことができます。

 

 ナチスが政権を獲得し国民の一定の支持を受けた理由として、以前はヒトラーのカリスマ性や演説の巧みさメディア戦術などが注目されていました。ナチスは国民を「騙す」ことに成功したという見方です。

 しかし、近年では国民は必ずしも騙されていたわけではなく、積極的に支持していたことも重視されるようになり、また、ユダヤ人の虐殺などの行為に関しても、「普通の人々」が関わっていたことが明らかになっています(クリストファー・R・ブラウニング『増補 普通の人びと』参照)。

 本書で行われている授業の狙いも、普通の人々を惹きつけるファシズム集団主義のメカニズムを実際に再現することでそれに対する免疫をつけることにあります。

 

 目次は以下の通り。

第1章 ヒトラーに従った家畜たち?
第2章 なぜ「体験学習」なのか?
第3章 ファシズムを体験する
第4章 受講生は何を学んだのか?
第5章 「体験学習」の舞台裏
第6章 ファシズムと現代

 

 社会心理学の実験、スタンフォーフォ監獄実験(映画『es [エス]』のモデルとなった実験)やミルグラム服従実験に見られるように、人間が上から許されれば意外に暴力的になったり、残酷なことを行ったりします。

 著者はこの上からの命令で自らの責任が免除されている状況がファシズムにおける1つのポイントだと見ています。1938年の「水晶の夜」では、「ユダヤ人を襲撃しても構わない」というメッセージをゲッベルスが暗にほのめかしたことによって、多くの人がユダヤ人の商店を破壊し、ユダヤ人を袋叩きにするという蛮行に及びました。

 著者は、この権威に服従することで責任から解放されることがファシズムの「魅力」を理解する鍵だと考えています。

 

 そこで、著者はその「魅力」を体験する授業を構想します。元ネタとなっているのがドイツ映画『THE WAVE ウェイヴ』で、この映画ではファシズムの体験授業が暴走する様子が描かれていました。

 もちろん、実際に学生たちを暴走させるわけにはいかないので、授業の時間に限って疑似体験をさせるという形で、この「魅力」を体感させます。

 

 具体的な授業の中身に関しては上記のWeb記事などを読んでほしいのですが、白シャツ・ジーパン姿で「リア充爆発しろ!」と叫ぶ姿は、基本的には「ネタ」です。この「ネタ」を体験したくて受講する生徒も多いのでしょう。屋外で「リア充爆発しろ!」と糾弾を行っていると、野次馬がやってきて一緒になって糾弾することもあるそうです。

 

 ところが、参加した学生のコメントなどを見ると、「ネタ」が「ベタ」に転化している傾向も見受けられます。

「徐々に集団の一員という意識が強くなり、教室に戻ってくるときにはすがすがしい気分になっていた」(105p)

「グラウンドに出る前は面白半分な雰囲気だったけれど、教室に戻る際には『やってやった』感がどこか出ていたように感じる」(106p)

「自分が従うモードに入った後に怠っている人がいたら、『真面目にやれよ』という気持ちになっていた」(107p)

  最初は「ネタ」だと思っていた学生が、いつのまにか深くコミットしていたのです。著者はこうした行動の変容をもたらしたものとして、「集団の力の実感」、「責任感の麻痺」、「規範の変化」の3つの論点をあげています。

 

 ただし、これは何も特殊なことではなく、「責任感の麻痺」はともかくとして、「集団の力の実感」や「規範の変化」は普通の学校教育でも経験していることでしょう。本書にも「運動会でやったことと同じだと思った」(118p)との感想が紹介されていますが、「集団の力の実感」は日本の学校教育が非常に好むところでありますし、合唱コンクールなどで最初は斜に構えていたみんなが、いつの間にかやたらに熱心になっていったという「規範の変化」を感じたことのある人もいると思います。

 また、本書が指摘するようにヘイトスピーチなどで、一見すると普通の人が驚くほど過激なことを叫ぶのは、この3つのものが揃ったからだと考えられます。

 

 もっとも、こうした団体行動の魅力はさまざまな場面で見られることで、これだけでファシズムが成立するとは言えません。本書はこれがファシズムへ変質するのは「集団を統率する権威と結びついたとき」(124p)だと言います。

 この権威を借りることで、「責任感の麻痺」は加速し、過激な行動を誘発するのです。

 

 ここまででも面白い内容の本だということはわかると思いますが、さらにこの本が有益なのは、この授業を行う上での注意点をかなり詳細に述べている点です。

 この手の体験授業は非常に効果があると同時にリスクもあります。自分も、本書でも紹介されているジェーン・エリオットの行った「青い目、茶色い目」のビデオを見せたりしたことはありましたが、あの授業をやるかと言われればやりません。やはり生徒を深く傷つけるリスクがあるからです。

 その点、本書では著者が授業の仕掛けや注意点を流れに沿いながら解説してくれているので、想定外のリスクはかなり避けられると思います。

 本書は、ファシズム体験授業でなくても、何らかの学生・生徒にショックを与えるような体験授業をやりたいと考えている人には参考になる部分が多いと思います。

 

 このように面白い本なのですが、読み終えて少し思ったのは、こうして1冊の本にまとまったことは有益なことなんだけど、本書が出たことで、同じ授業で同じような効果をあげることは難しくなったのではないか? ということ。

 この授業は外部からクレームなどもあって一時中断している状況とのことですが、再開したとして、もし学生がこの本を読んでいれば、授業は価値観を揺さぶるような経験にはなりにくいでしょう。予想外の体験だからこそ価値観が揺さぶられるのであって、もしこれから起こる体験がすべて予期できることであれば、体験は予期を確認する儀式に過ぎなくなります。

 これを回避しようとより過激な体験を用意すれば、今度は学生が暴走したり傷ついたりするリスクも出てくるわけで、体験授業を長期的に続けていくことの難しさというものも感じました(本授業に関して言えば、著者はかなりのアイディアマンなので、今後も学生の予期を超える仕掛けを作り出していきそうですが)。

 

 あと、本書には章の間にコラムが挟まれているのですが、通俗的ヒトラーやナチズムの誤解をわかりやすく解いてくれるものがいくつか入っており、第1章の記述と合わせて、ヒトラーやナチズムについての基礎知識を得るのにも便利な本です。