『寝ても覚めても』、『わたしがいなかった街で』がとても面白かった柴崎友香の2019年に刊行された小説が文庫になったので読んでみました。ちなみに「毎日文庫」というマイナーなレーベルのためか、出た当初は近所の本屋に見当たらず、しばらくしてから平積みになっていたのを買いました。
これはきっと「あなたの物語」
春子(39)、ゆかり(63)、沙希(25)
育った時代も環境も、性格もバラバラの
三人が織りなすご近所付き合い。
彼女たちのささやかで切実な毎日を鮮やかに映し出す。
滋味たっぷり”栄養”小説。
これは帯に書かれたこの小説の紹介なのですが、違うじゃん。全然、「滋味たっぷり”栄養”小説」じゃないじゃん。
この帯を見た人は3人の女性が他愛もないおしゃべりを繰り広げるような小説を想像するかもしれませんが、全然辛辣です。
主人公の春子は、『わたしがいなかった街で』の主人公・砂羽に通じるような主体性の弱い人間で、美術系の学部を出たものの、事務の仕事をしており、趣味で消しゴムはんこをつくったいるするくらいです。
その春子の住んでいる家は大家さんの家の離れのような場所なのですが、その大家さんの家にゆかりがやってくるところから物語が動き始めます。
ゆかりはいわゆるおせっかいな人間で、春子に対してもいろいろと世話を焼こうとしますし、東京から引っ越してきたということもあって話し相手としても春子を求めています。
沙希はゆかりの甥の拓矢の妻で、同じくゆかりの家の隣に住んでいます。
この沙希が辛辣なのです。
春子は就職氷河期にぶち当たって、やりがいのある仕事につけたわけでもなく、それでいて結婚もしておらず、恋人もいないという状況でありながら、日々の独身生活にはそれなりに満足しているという立場なのですが、この「流されている感」を一回り以上下の沙希は厳しく批評します。
別に悪意があるわけではないのですが、シングルマザーの家庭で育った沙希からすると春子はすべてにおいて「甘い」のです。そして、沙希はゆかりに対しても、ときに辛辣になります。
『わたしがいなかった街で』の砂羽も「甘い」人間で、読者としてはややイライラさせられる面もありましたが、その砂羽は小説の結末で主人公から降ろされてしまいます。
一方、春子は踏みとどまります。流されつつも大事なところで「私は流されません」となるところがこの小説の1つのクライマックスです。
とは言っても、この小説の読みどころはそういった構成というよりは会話劇としての面白さかもしれません。
これまでの作品でも関西弁の会話を非常にうまく書いていた著者ですが、今作でもその腕は冴えています。
この小説から読み始めても面白く読めると思いますが、『寝ても覚めても』や『わたしがいなかった街で』を読んだあとだと、主体になるための一歩が踏み出されているのがわかってより面白く読めるかもしれません。