ローレンス・サマーズ、ベン・バーナンキ、ポール・クルーグマン、アルヴィン・ハンセン著/山形浩生編訳『景気の回復が感じられないのはなぜか』

 サマーズが口火を切り、バーナンキクルーグマンとの間で2013〜15年にかけて行われた長期停滞論争を山形浩生が訳しまとめたもの。アルヴィン・ハンセンは1930年代に長期停滞という概念を提唱した経済学者で、この本にはその演説「経済の発展と人口増加の鈍化」の抄訳も収録されています。

 

 目次は以下の通り。

はじめに――長期停滞論争(山形浩生)
1 アメリカ経済は長期停滞か?(ローレンス・サマーズ)
2 遊休労働者+低金利=インフラ再建だ! ――再建するならいまでしょう! (ローレンス・サマーズ)
3 財政政策と完全雇用(ローレンス・サマーズ)
4 なぜ金利はこんなに低いのか(ベン・バーナンキ)
5 なぜ金利はこんなに低いのか 第2部――長期停滞論(ベン・バーナンキ)
6 なぜ金利はこんなに低いのか 第3部――世界的な貯蓄過剰(ベン・バーナンキ)
7 バーナンキによる長期停滞論批判に答える(ローレンス・サマーズ)
8 一国と世界で見た流動性の罠(ちょっと専門的)(ポール・クルーグマン)
9 なんで経済学者は人口増加を気にかけるの?(ポール・クルーグマン)
10 日本の金融政策に関する考察(ベン・バーナンキ)
11 経済の発展と人口増加の鈍化(抄訳)(アルヴィン・ハンセン)
解説――長期停滞論争とその意味合い(山形浩生)

 

 ここに並んでいる論考はいずれも講演、一般紙の論説記事、ブロクなどの形で世に送り出されたものであり、いずれも平易に書かれています。さらに山形浩生が丁寧な解説を付けており、非常にわかりやすいものとなっています。

 ケインズは経済学者の仕事は経済問題を扱ったパンフレットを書くことだということを言っていますが、まさにパンフレット的な本だと思います。

 では、本屋でちょこっと立ち読みすればそれで済むかというと、そんなことはないです。何回か見返したくなるような重要な知見を含んでおり、世界経済と日本経済を考えていく上でぜひとも頭に入れておきたい内容を含んでいます。特に日本経済を考える上でバーナンキの日銀で行われた講演「日本の金融政策に関する考察」は重要でしょう。

 

 おおまかな内容については山形浩生の書いた「はじめに」と「解説」を読めば十分なのですが、一応、ここでもおおまかな内容を紹介していきます。

 

 口火を切ったのはサマーズです。サマーズはリーマンショックのダメージは大規模な金融緩和などである程度食い止めることができいて、株価なども戻ってきているけど、経済成長率は十分には戻っておらず、金融バブルが起こってもおかしくないほどの金利水準なのに投資が戻っていないのはなぜなのか? これは長期停滞の時代に入ったということではないのか? と主張します。

 そして、そうであるならばインフラ投資などの財政政策によってこの需要不足を埋めるべきではないかというのです。

  現在の先進国は需要制約の状況にあり、この需要を公共投資によって埋めることが経済成長につながり、長期的には財政の好転にもつながるだろうというのがサマーズの主張です。

 

 これに対して、バーナンキアメリカ経済が長期停滞に直面しているという考えに疑義を呈し、サマーズは国際的な要因に目を向けていないといいます。金利水準が低いのは世界的な貯蓄過剰(中国を含む新興アジア諸国産油国、そしてヨーロッパなどの経常黒字)がもたらしたものだというのです。

 そして、中国の経常黒字が減っているように、現在は調整局面にあり、やがてこの貯蓄過剰はある程度解消されていくのではないだろうかというのがバーナンキの見立てになります。

 

 この論争に割って入ったのがクルーグマンで、バーナンキが「サマーズは国際要因を考慮していない」と批判したのは正しいとしながらも、長期停滞の懸念はあるといいます。

 ここで持ち出されるのが日本なのですが、日本は長年需要不足に苦しんでおり、まさに長期停滞と言っていい状況です。

 ところが、日本の資金は高金利を求めて海外に殺到したりはしませんでした。国内の低金利を甘んじて受け入れています。これは日本のデフレを考えると日本の実質金利はそれほど悪くなかったからです。

 そして、クルーグマンは現在のユーロ圏がこのような運命をたどる可能性があるといます。ドイツの金利はすでに大きく低下しており、コアインフレ率も低迷しています。ユーロ圏は経常黒字を貯め込みつつ、ユーロ自体の価値は低迷しているのです。

 このユーロ圏の資本輸出はそう簡単に終わるとは思えず、長期停滞が輸出される可能性は十分にあるというのがクルーグマンの見立てです。

 

 そして、このあとにバーナンキの日銀講演が置かれています。

 ここでバーナンキは過去に日本の金融政策を批判していたが、自らはFRBの議長になってからは非伝統的な金融政策の扱いづらさや財政政策との連携の必要性も理解するようになったと述べています。

 それでも金融緩和策は正しく、中央銀行インフレ目標を追求し続けるべきだとしています。そして、黒田日銀の政策も評価しているのですが、ところが日銀が思い切った政策をしてもインフレ率は上がってきません。

 ここで持ち出されるのが世界的な貯蓄過剰説と長期停滞論です。アメリカにおけるサマーズの長期停滞論を否定したバーナンキでしたが、ここ日本では長期停滞論を否定していません。そして、インフレ目標を達成する手段として財政政策との連携を提案しています。

 日銀は目標値を0.7ポイント超えるインフレ率を三年間か、0.4ポイントを超えるインフレ率を五年間続けることで、GDPの2%分の財政プログラムに結果として資金を供給できます。(中略)

 ここでは、この仮想的な財政プログラムの中身には立ち入りません。ただ、このプログラムをアベノミクスの三本目の矢である構造改革の推進に使うと有益ではないかと指摘していおきます。そして、構造改革は長期的な成長率の引き上げに欠かせないものです。たとえば、再訓練プログラムや所得補助は非効率部門を改革する際の抵抗を和らげられるし、的を絞った社会福祉は女性や高齢者の労働参加を増やすのに貢献します。(94p)

  そして、デフレ脱却のための最も有望な政策として、この金融政策と財政政策の連携をあげています。バーナンキも日本に関してはサマーズと同じ処方箋を示しているのです。

 

 最後のハンセンの講演は、山形浩生が解説でも述べている通り、外れた議論なのですが、今の日本経済に対する悲観論と同じようなことを言っているのがポイントで、今でも読んでおく価値はあります(ただ、マーク・マゾワー『暗黒の大陸』でも述べられていたように、20世紀前半の少子化のトレンドは第二次世界大戦を境に反転するんですよね。日本にそのような反転の機会はあるのか?)。

 

 最初に述べたようにパンフレットのような本ですし、充実した解説もあって簡単に読めると思いますが、なかなか重要なポイントを教えてくれる本です。

 

 

田所昌幸『越境の国際政治』

 副題は「国境を越える人々と国家間関係」。移民をはじめとする国境を越える人間の移動について国際政治学の立場から論じた本になります。

 移民に関しては、移民がもたらす社会の変化を記述したもの、移民のおかれた劣悪な状況を告発するもの、あるいはボージャス『移民の政治経済学』のように移民がもたらす経済的なインパクトを明らかにしたものなどがありますが、国家が国境を越える人々をどう扱ってきたかということを論じた本は少ないと思います。

 

 それこそアウト・オブ・アフリカの大昔から人間は移動してきたわけで、それに比べれば主権国家の歴史というのは短いです。それにもかかわらず主権国家は国境を管理し、受け入れる人と受け入れない人を選別し、場合によっては自らの支配領域にいる人々を追放したりします。国家は人々の移動に大きな影響を与えているわけです。

 ただし、国家が人々の移動を自由にコントロールできるかというとそうではありません。すべての国境を完璧に監視することはできませんし、観光や一時的な労働の目的で入国してそのまま住み着いてしまう人もいます。

 こうした国家と移民(難民)をめぐるさまざまな事象を論じたのがこの本です。何か解決策を提言したり、理論を導き出すような本ではないのですが、著者の幅広い議論を追っていくことで、移民や人々の移動に関して複合的な視野が得られる本になっています。

 

 目次は以下の通り。

序章 移民と国際政治―問題意識と基礎的事実
第1章 人口移動政策と対外関係
第2章 政策の限界―非正規的な人口移動
第3章 国家とそのメンバーシップ
第4章 メンバーの包摂と再生産
第5章 在外の同胞と国家
終章 日本にとっての国際人口移動

 

 世界にはどれくらいの数の移民がいるのか? これはなかなか難しい問題で、国連は2億4400万人(世界の総人口の3.4%)という数字を出していますが、これは1年以上他国に移動して居住する人を計算しており、1年以上いる留学生なども入ってきます。一方、この定義では日本に生まれた韓国・朝鮮籍の人は入ってきません。移民の定義というのはなかなか難しいのです。

 移民の流れに注目すると最大の受入国はアメリカ、以下離されてサウジアラビア、ドイツ、ロシア、UAEとつづきます。送り出し国は1位がインド、さらにメキシコ、ロシア、中国、バングラデシュとつづきます(10−11p図序−2、序−3)。

 移民の経路としてはメキシコ-アメリカが1位で、基本的には近接した国同士の移動が多いですが、中国-アメリカ、インド-UAEといったルートもあります(12p図序-4)。

 さらに移民からの海外送金の総額はODAの総額を超えており、インドは722億ドル、中国は639億ドル、GDPが約2800ドルのフィリピンには297億ドルの送金が流れ込んでいます(13p図序-5、このためフィリピンは「フィリピン海外雇用庁、国際労働問題局などを設置して自国民を積極的に海外に送っている(66-68p)。経済における移民の存在感は大きくなっているのです。

 

 こうした移民をめぐる状況をざっと見た上で、第1章では各国のとる政策と移民の関係が分析されています。

 ヨーロッパでは出国の権利が広く認められるようになったのはフランス革命以降であり、基本的に人々の移動は制限されていました。人口は国力の一つでしたし、ロシアの農奴などのように国内における移動すら制限されている国もありました。

 もちろん、20世紀になってもすべての人が自由に移動できたわけではありません。第二次世界大戦後、東西に分断されたドイツでは東ドイツから西ドイツへの移動がつづきました。その数は1949年〜61年までで累計250万人を超え、東ドイツの人口の約13%に相当するものでした。当初は、「階級の敵」を追放する安全弁として捉えていた東ドイツ政府も、若い世代や技術者などの出国がつづくと、体制存続の危機と捉えられるようになりベルリンの壁が作られます。東ドイツは人々の移動を壁の建設によって阻止したのです。

 しかし、それでも西ドイツに脱出する人はゼロにはならず、1989年に社会主義の支配体制が緩むと、再び出国者が激増し、ついにはベルリンの壁は崩壊します。

 一方、同じ分断国家の韓国と北朝鮮の間でも北から南へと亡命しようとする脱北者が話題になりますが、まだ無秩序な流出は起こっていません。

 

 さらにこの章では、冷戦下におけるソ連国内のユダヤ人の出国問題もとり上げられています。イスラエルユダヤ人の出国を求め、ユダヤロビー団体アメリカとソ連の通商交渉にこの問題を絡めることに成功しますが、かえってそれはソ連の反発を呼び、ユダヤ人の出国は進みませんでした。ユダヤ人のイスラエルへの出国が進むのは冷戦終結後のことになります。

 

 近年、先進国は移民を選別する姿勢を強めており、ポイント制などによって高度人材であれば積極的に受け入れるというスタンスの国も増えています。

 しかし、これは送り出す側からすると「頭脳流出」ということになります。2010年にはギアナで生まれた高度技術を持ち人材の90%がOECD諸国に居住しているそうですし(45p)、アフリカや中南米の国にとってこの「頭脳流出」は頭の痛い問題です。また、シンガポールでさえも「海外に留学したシンガポールの学生のうち、最も優秀な人材が帰国しない」(46p)とのことであり、難しい問題となっています。

 もっとも、インドや台湾などでは流出した頭脳が母国に帰ってきてIT関連のビジネスを立ち上げることも多く、彼らのつくるネットワークが送り出し国の利益になることもあります。ただし、やはり一定以上の数の流出はやはりその国にマイナスの影響を与えるようです。

 

 一方、自国民を「戦略的に棄民する」という通常では考えにくい行動をとる国家もあります。

 ピッグス湾事件やキューバ危機の後の1965年、キューバは突然、アメリカに親類のいるキューバ人は自由に船で出国して良いと発表しました。当初はカストロの虚仮威しかと思われましたが、キューバの対岸のフロリダでは不安が高まり、ジョンソン政権は秘密裏にキューバ政府と交渉を開始します。この交渉によってカストロは出国ルートを閉じましたが、この後もキューバアメリカを交渉のテーブルに引き出すためにしばしばこの手を使いました。特に1980年には4月から9月にかけて実際に12万5000人がフロリダに到着しました。当時のカーター政権は当初はこれらの難民を歓迎しましたが、結局は海上でこれを取り締まることになります。

 

 現在、大きな問題となっているのがメキシコからアメリカに入ってくる不法移民ですが、1942〜60年代前半にかけて両国の間ではブラセロ・プログラムという枠組みがありました。

 不法移民といえば、メキシコ→アメリカですが、19世紀半ばまではメキシコ領だったテキサスにアメリカから不法入植者が入り込むという事態がつづきました。1846年の米墨戦争によって国境は現在の形に落ち着きますが、この頃は国境の管理も弱く、メキシコ人は旧メキシコ領との間を自由に往来していました。

 1920年代から農業恐慌が進行すると、アメリカの農場で働いていたメキシコ人労働者は邪魔者扱いされ、多くがメキシコに強制送還されましたが、第二次世界大戦が始まると一転して人手不足となり、アメリカはメキシコ人の労働力を必要とするようになります。

 そこで結ばれたのがブラセロ・プログラムです。メキシコ側に募集センターが設けられ、審査の上で雇用されることになったメキシコ人労働者はアメリカの農場に振り分けられる仕組みがつくられたのです。

 第二次世界大戦が終わった後もこのプログラムはつづけられましたが、1960年にCBSのドキュメンタリー「恥辱の収穫」が放送されると、移民労働者の厳しい実態に対する批判が強まり、結局、このプログラムは64年に終結します。ただし、このプログラムによってアメリカの雇用主とメキシコ人労働者の間には相互依存的なネットワークが形成されることになりました。これは後の非正規移民の増加にも影響を与えています。

 

 第2章で扱われているのは国家の意図せざる人の移動です。その代表例が非正規移民(不法移民)です。

 現在、アメリカには約1100万人の非正規移民がいるとされています。これは人口の約3.4%にあたり、それなりの規模です。アメリカでは1980年代以降、麻薬問題と絡んで非正規移民を取り締まる姿勢を示していますが、それでも非正規移民が減らないのは国境管理が難しいからです。

 1904年にわずか75人で発足したアメリカの国境警備隊は2012年には2万1000人の職員を抱えるまでになりました。それでも長大な国境のすべてを監視することは不可能ですし、密入国者を捕まえても強制退去にするだけであれば、彼らは再び国境を越えようと戻ってくるかもしれません。また、国境の警備を強化すれば一度入国に成功した人は帰りにくくなるでしょうし、そもそも観光や商用などの目的で合法的に入国し、そのままオーバーステイとなる非正規移民も多いのです。

 

 国境の管理には限界があるため、移民の送り出し国に協力を求めるケースも多いですが、限界もあります。例えば、スペインはアフリカにセウタ、メリリャという飛び地があり、ここを通して人や商品が非合法に越境してきました。

 スペインのEU加盟に伴ってここでの国境管理は格段に強化され、モロッコ政府にも協力が求められましたが、ここがスペインからモロッコへの密輸出の一大拠点になっていることは公然の秘密であり、完璧な国境管理がなされているわけではありません。

 また、国内の雇用主に圧力をかけるという方法や大々的な強制送還を行うという不法もありますが、人権に絡んでくる部分もあり、非正規移民を一掃する切り札とはなりえていません。

 そこで、非正規移民を合法化する措置もとられています。これによって雇用条件や教育水準が改善しするというプラス面はありますが、こうした措置はさらなる非正規移民を呼び寄せることにもなりかねません。

 

 国家の意図せざる人の移動の一例が難民です。かつてはオスマン帝国などの帝国の解体、インドとパキスタンの分離・独立などによって多くの人々が難民となりましたが、その概念は拡大しています。

 国内で移動を強いられている国内避難民も難民としてカウントされるようになっていますし、内戦の長期化とともに、難民キャンプで生まれ育つような人々も出てきています。

 2016年の時点で、世界中の強制的に移動させられた人々の総数は6560万人で、その内訳は認定された難民が2250万、国内避難民が約4000万、庇護申請者が280万人だといいます(110p)。

 送り出し国は、シリア、アフガニスタン南スーダンソマリアスーダンの上位5カ国で難民人口の55%を占めており、一方、受入国の上位はトルコ、パキスタンレバノン、イラン、ウガンダエチオピア、ヨルダンといった送り出し国の隣国が多く、先進国の受入人数は多くはありません(110-112p)。

 

 難民申請者のすべてが難民として認められるわけではありません。中には逃亡中の犯罪者、経済移民にすぎない者も混じっており、難民として認められない者もいます。

 ただし、彼らを強制送還するのは人権や人道の立場、そしてコスト面からも難しいです。またヨーロッパではある国で不認定となっても、別の国に移動して再び難民申請するケースもあり、不認定となりながら滞在する者も多いです。

 そこで、難民を移動中の洋上で捕捉したり、第三国の協力を得るケースもあります。イタリアは地中海を越えてくる難民を減らすためにリビアカダフィ大佐に協力を求めましたし、EUも急増する難民に対処するためにトルコに協力を求めました。

 

 結果として、多くの難民が途上国に滞留するようになっています。

 世界最大の難民キャンプと言われるケニアのダダーブでは2016年時点で約50万人のソマリア人が暮らしているといいます。この規模はナイロビ、モンバサにつぐケニア第三の都市と言っていいものであり、自治も行われていますが、ケニア政府はキャンプの住民が外に出て居住したり働くことを認めておらず、一種の閉鎖空間を形成しています。

 キャンプの中には映画館やサッカーリーグも存在し、ここ以外の場所に行ったことがないままに25年以上暮らしている世代も生まれています。キャンプに暮らす人々の中にはキャンプよりも劣悪な環境であるソマリアへの帰還を嫌がる人も多く8割が帰国を望んでいないといいます。また、このキャンプがイスラーム過激派組織の温床となっているという指摘もあります。

 ケニア政府はたびたび閉鎖を求めていますが、この規模まで来ると問題を先送りするしかないのが現状でしょう。

 

 第3章は「国家とそのメンバーシップ」と題され、国民の枠組みをめぐる問題が考察されています。 

 国民国家ができる以前、人々は地域共同体や宗教共同体に属していました。パスポートは携帯者の身分を証明するためにギルドや大学や軍司令官などが発行するもので、国家が携帯者の国籍を証明するという考えは希薄でした。

 ところが、アメリカの独立革命フランス革命後に国民国家が成立すると、国家と国民の結びつきは大きく変化します。移動の自由が市民的権利として保障されるようになり、それとともに誰が国家のメンバーなのかということをはっきりと確定させる必要が出てきたのです。

 

 移民国家のアメリカでは当然のように「誰がアメリカ人なのか?」という問題が持ち上がりましたし、フランスでもナポレオン法典の制定時に出生地主義血統主義かという問題が起こりました(徴兵可能な人数を増やしたいナポレオンは出生地主義を主張したが、結局はトロンシュの推した血統主義が通った)。

 さらにアメリカではアイルランド移民をめぐる米英の対立も起きます。1840年代の飢饉によって多くのアイルランド人が米国に渡ると、アメリカはアイルランド独立運動の一大拠点となります。しかし、当時のイギリスの国籍法では、アメリカに帰化してもアイルランド人はイギリスの臣民であり、その管轄権が問題となったのです。 

 1866〜71年までの間には、3度にわたってアメリカのアイルランド系の民兵組織が当時イギリス領だったカナダに越境攻撃をしかけたフェニアン事件も起こっています(ちなみにこの事件がカナダでのアメリカへの併合主義運動の影響力を削いだとのこと)。

 

 国民国家の成立と発展は、「国民」と「民族(人種)」の関係をより緊密なものとしました。アメリカではアジア系の移民を排斥する動きが起こりますし、ドイツでもドイツ統一後にエスニックなナショナリズムを重視する動きが起こり、ロシアやオーストリア国籍を持つポーランド人を追放する動きが起こっています。 

 ドイツは1913年の国籍法の制定で、さらに血統主義を強化し、「「異常なまでに厳密で一貫した血縁共同体」への道を歩んだ」(166p)とも評されています。

 

  第4章は移民コミュニティの受け入れをめぐる問題がとり上げられています。

 第二次世界大戦後の西欧先進国では、労働者不足を補うために一定期間を経て帰国することを前提として、いわゆるゲストワーカーが受け入れられましたが、彼らは帰国せずに、移民コミュニティは拡大再生産されました。

 各国は帰国奨励策などを取りましたが十分には機能せず、彼らをどのように統合するかが問題となってきます。

 

 そこで合法的な永住制度であるデニズンと呼ばれる制度が整備されてくることになります。

 定住外国人とデニズンの間の違いは永住権と労働市場、公的社会保障制度へのアクセスなどです。そして、デニズンと国民の相違の中心は参政権になります。

 近年、日本でも永住者への地方参政権を認めるべきだという議論があります。EUではマーストリヒト条約によってこの地方参政権が制度化されましたが、一方、デニズンに無差別の国政参加を認めているのはニュージーランドアイルランドウルグアイ、チリ、エクアドルの5カ国にとどまっています(181p)。

 ニュージーランドアイルランドについては安全保障環境に恵まれていることが一つの背景にあると考えられ、また、チリに関してはピノチェトが自らの政策を支持させるためにヨーロッパ系移民に投票権を与えたと考えられます。ウルグアイの要件は非常に厳しく、エクアドルは移民の送り出し国家であることが背景にあると考えられます。

 

 デニズンの先にあるのが帰化です。西欧諸国などを見ると血統主義から出生地主義へという流れがありますが、そう簡単には行かない地域もありました。例えば、バルト三国ではロシア系の人々の扱いが問題となりました。

 ロシア系の人々が少なかったリトアニアでは比較的簡単に国籍を取得することができましたが、ロシア系の住民が多かったラトヴィアやエストニアでは言語の能力などを国籍の取得要件に課しました。EU加盟に伴い、これらの厳しい要件は撤廃されていますが、言語の習得などの一定の条件を課す国は他にもみられ、190・191pの図4-2と図4-3を見るとテストを課す国が増えていることがわかります。

 また、重国籍も容認される流れとなっていますが、上記のバルト三国はロシアとの関係もあって重国籍に対して一様に慎重です。

 

 帰化をしたとしても文化的・社会的な統合が自然に起こるわけではありません。一時はそれぞれの文化を尊重し合う多文化主義が中心となりましたが、21世紀になると多文化主義に対する失望が大きくなっています。例えば、多文化主義の国として知られているカナダでも、旧ユーゴの内戦時にはカナダのクロアチア系住民とセルビア系住民がそれぞれラジオを通じて非難合戦を繰り広げましたし、長年、カナダに居住していたクロアチアの国防大臣シュシャクは、カナダにおけるクロアチア民族主義運動を組織し、資金を集めた人物でもありました。また、旧ユーゴに派遣されたカナダの部隊はクロアチア軍の攻勢にさらされています。

 こうした中で多文化主義ではなく「統合」を目指す動きが目立ってきていますが、例えば、比較的移民の統合が進んでいたと思われていたフランスでもテロ事件が起こっており、その前途は多難です。

 

 第5章で扱われているのは移民と送り出し国の関係です。

 ユダヤ人を念頭に母国から離散した悲劇の民という意味合いで使われてきた「ディアスポラ」という言葉は、その意味を拡張し、現在では「出身国に対する強い親近感をもった移民集団一般」(213p)を意味する用語として使われています。

 例えば、アフリカやカリブ海地域へと渡ったインド人の年季労働者は労働ディアスポラとして把握されていますし、ある帝国の本国から帝国内の植民地に移住した人々を帝国ディアスポラと呼ぶこともあります。さらに東南アジアに存在する華人コミュニティなどを交易ディアスポラと捉えることもあります。

 

 こうしたディアスポラに対して出身国はさまざまな理由から関与を続けることがあります。前述のフィリピンをはじめインドなども移民やディアスポラとの関係を取り持つ省庁レベルの部局を持っていますし、ドミニカ、あるいはイスラエルなどはアメリカにいるディアスポラに「ロビイスト」としての役割を期待しています。また、こうしたことを行うために重国籍やさまざまな特権を認める国も増えています。

 

 こうしたディアスポラが民族の解放運動や独立運動を支えることもあります。インドの独立運動を支えたのはアフリカ在住のインド人コミュニティでしたし、中国の革命には日本に来た留学生たちが関わっています。

 一方で、本国の分裂や対立がディアスポラのコミュニティに影響を与えることもあります。日本における在日韓国・朝鮮人などはまさしくそうです。

 逆にディアスポラが本国に大きな影響を与える可能性もあり、中国は天安門事件の際、在米の中国人学生のうち、「愛国的」な学生には賄賂を提供し、反政府的傾向のある者は帰国させ、強硬な反体制派には奨学金の差し止めなどとともに親族の海外渡航を禁止したそうです(239-240p)。

 こうした国家とそのメンバーの関係について、本書では現居住国の関与の強弱と出身国による関与の強弱によって4つの類型に分けています(244p図5-3)。

 

 終章では日本が直面する問題がとり上げられています。

 戦前の日本は多民族を抱える帝国でしたが、朝鮮や台湾への日本本土からの移民は比較的少数にとどまりました。一方、アメリカやブラジルなどに移民が送り出され、特に南米への移民は戦後になっても続きました。ところが、高度成長とともにその数は急速に縮小し、1974年に日本人移民を支援してきた海外移住事業団は、対外援助を担う国際協力事業団(JICA)へと再編成されています。

 

 そして、最近に日本では移民の受け入れが大きな問題となっています。安倍政権は「移民」という言葉は使っていませんが、事実上、すでに日本はかなりの規模の「移民」を受け入れているとも言えます(このあたりの問題について望月優大『ふたつの日本』講談社現代新書)を参照)。

 また、北朝鮮からの難民の流出の可能性も捨てきれいないですし、越境する人々をどう扱っていくかということは今後の日本にとって避けて通れない問題です。

 こうしたことに触れ、著者は最後に次のように述べています。

 ここで強調したいのは、人のアイデンティティは、エスニックな起源によって固定されているものではなく、さまざまな条件によって不断に再生産されるものだということであり、このことは当然移民にも当てはまる。(中略)したがって、ある移民コミュニティが、敵対的な出身国の支持者になるのか、それとも最悪の場合には、敵対的な外部勢力の側に追いやるかは、日本という国全体の器量が問われる問題である。言い換えれば、新たな日本の住民を、先住の日本人と、利益、苦節、そして未来も分かち合う日本のメンバーにできるかどうかは、弱者の人権の保護という理想の問題にとどまらず、日本の国力の行方を左右する問題でもある。(294p)

 

 ずいぶんと長いまとめとなってしまいましたが、これは本書が明確な主張や処方箋をもったものではなく、現実の問題を記述することに重点を置いた本だからです。

 国境を超える人々に対して、国民国家や民族といった枠組みを対置することもできますし、多文化主義や人権保障の理想を掲げることも可能です。もしくは経済面や世界システムのような理論から語ることも可能でしょう。

 しかし、どんな理論的な枠組みで語ってもそこからこぼれ落ちていく現象や人々があるということをこの本は教えてくれます。

 読んでスッキリする本ではないですが、多くのことを教えてくれる本です。

 

 

 

『ROMA/ローマ』

 『セロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロン監督作品にして、Netflix製作ながら、アカデミー賞の監督賞を受賞した映画。アップリンクの渋谷でやっていると知り、ようやく見てきました。

 まず冒頭から特筆すべきなのは撮影の上手さ。『ゼロ・グラビティ』のときは撮影監督のエマニュエル・ルベツキで「さすがルベツキ」と思いましたが、キュアロン自らが撮影監督を努めている本作でも空間を非常にうまく使った画作りがなされています。モノクロの映画なのですが、とりあえずはこの画作りうまさだけでも見る価値はあります。

 

 ストーリーは1970年代のメキシコシティを舞台に、中流家庭の白人一家に雇われている家政婦を主人公として、その日常と家族のドラマが描かれています。

 最初は年代を明示するような描写はないですし、物語がどのように展開するかもよくわかりません。主人公の働く家のガレージに残された犬のうんちと、主人公の恋人がフルチンで行う武術(カンフー?)が印象に残って、「これは妙な笑いを見せる映画なのか?」とも思いましたけど、後半になると一気に物語が展開します。

 

 主人公の働く家の愛すべき4人の子どもたち(男の子3人と女の子1人)、その家庭の妻の苦悩、70年代初頭の舞台設定といったものが一気に意味を持ってきてドラマを作り上げていきます。

 また、冒頭からどこかしら不穏な空気が漂っているのですが、その不穏な空気も後半になると「こういうことだったのか」とわかります。このあたりは脚本もうまいですね。

 ちなみに主人公の恋人の謎の武術は、日本の侍とカンフーの混合のような形で「イチ、ニ、サン」と掛け声をかけつつ、なぜか「ジュウハチ、ジュウキュウ、サンジュウ」と20の位が無視されてしまうのですが、この謎の武道の意味も最後の方になって明らかになります。

 

 なかなか言葉で簡潔に魅力を伝えるのは難しい映画なのですが、非常に良くできた映画で、アカデミー賞の監督賞を獲るのも納得の出来ですね。

 

 

 

ケン・リュウ『生まれ変わり』

 『紙の動物園』、『母の記憶に』につづくケン・リュウの日本オリジナル短編集第3弾。相変わらず、バラエティに富んだ内容でアイディアといい、それをストーリーに落としこむ技術といい、さすがだなと思いつつも、『紙の動物園』の「文字占い師』や、『母の記憶に』の「草を結びて環を銜えん」や「訴訟師と猿の王」ほどのインパクトの有る作品はないなと思って最後まで来たら、最後に「ビザンチン・エンパシー」というすごい作品が控えていたではないですか!

 

 「ビザンチン・エンパシー」はタン・ジェンウェンとソフィア・エリスという2人の女性が主人公です。2人は大学時代のルームメイトで、ともに正義感があり、チャリティーに対する関心もありましたが、2人のアプローチは対照的です。

 ソフィアが重視するのは理性であり、その理性にもとづいた秩序だったチャリティーです。彼女は国務省からNGOの「国境なき難民救済事務局」の事務局長に転じ、いずれはアメリカ政府の中枢で手腕を発揮したいと考えているような人物です。

 一方、ジェンウェンが重視するのは共感であり、四川大地震のときにボランティア活動のために帰国した時に、チャリティーと共感の力に目覚めました。

 このチャリティー(慈善)において重視されるべきは共感なのか? 理性なのか? という古典的なテーマがこの小説の主題です(「物乞いの子どもにお金をやるのは正しいか?」というあたりはよく議論になるテーマですね)。

 

 この古典的なテーマを、オフィスで働くソフィアと現場で働くジェンウェンとしてしまえば凡庸なドラマになるのでしょうが、そこに最新のテクノロジーを重ねてくるのがケン・リュウならではのところ。

 ジェンウェンはブロックチェーンVR(仮想現実)というテクノロジーによって共感を力に変え、政治によって選別されてしまう虐げられた人々を救おうとします。

 ブロックチェーンと聞いたところで、タイトルの「ビザンチン・エンパシー」の「ビザンチン」が「ビザンチン将軍問題からきているのでは?」と思った人もいるかもしれませんが、正解です。

 ジェンウェンはブロックチェーンを利用することによって中央集権化されない改変もされない投票のフレームワークを作り出し、共感をもとにした投票によって支援するプロジェクトを決めて暗号通貨で資金を送る「エンパシアム」という仕組みをつくり上げるのです。

 

 この「エンパシアム」が小口の資金を大きく集めはじめ、「国境なき難民救済事務局」の活動にも影響を与え始めるというところから話は始まりますが、共感の危険性と理性の偽善性がテクノロジーの紹介と絡まり合いながら明らかにされていきます。小説としてはやや思弁的すぎる面もありますが、この展開は読ませます。

 また、ジェンウェンが四川大地震に対するアメリカのキャンパス内での寄付の低調さからアメリカのチャリティーに疑問を抱くようになる展開や、ミャンマーの漢族系の少数民族の難民が問題としてクローズアップされる点なども現代の社会とリンクしていて面白いです。

 

 そして、この「テクノロジー+共感」というあり方が将来の中国社会の一端を示しているように思える点も興味深いです。もちろん、現実の中国ではこれを政府がどの程度コントロールしていくのかという問題がありますが、「テクノロジー+共感」の組み合わせは、欧米流の社会とはまた違った社会を作り上げ、そして他の世界へと影響を与えていく可能性があると思うのです。

 特に欧米ほど「近代」が根付いているとはいえない日本ではその影響も大きいかもしれません。

 というわけで、チャリティーにおける理性と共感という倫理学的なテーマに興味がある人以外にも、将来の中国社会や日本社会について考えたい人にとっても材料を提供するような小説です。

 SF作家としては、グレッグ・イーガンテッド・チャンが上かもしれもしれませんが、社会に対する批評性という点ではケン・リュウは突出しているのではないかとも思います。

 

 「ビザンチン・エンパシー」について熱く語ってしまいましたが、表題作の「生まれ変わり」も変わった設定で人間の更生について考えさせる読み応えのある作品ですし、「カルタゴの薔薇」や絵文字が使われる「神々は〜」シリーズの三部作にみられるネットワーク上にアップロードされた知能の話(「カルタゴの薔薇」はちょっと違いますが)も面白いです。

 他にも遠い宇宙の話とアメリカに渡った20世紀後半の中国移民の話と20世紀初頭の香港人の話が重なる「ゴーストデイズ」、中国の唐末を舞台に暗殺者の少女を描いた「隠娘」も面白いです。

 

 

Karen O & Danger Mouse/Karen O & Danger Mouse

 Yeah Yeah YeahsのボーカルKaren Oが今までさまざまなアーティストをプロデュースしてきたDanger Mouseと組んだアルバム。

 といっても、実は自分は今までDanger Mouseのプロデュース作品をあんまり聴いていなくて、あんまりDanger Mouseの特徴というのはよくわからないです。

 冒頭の"Lux Prima"は9分を超える曲で、ゆったりときれいな曲調なので「Yeah Yeah Yeahsとはずいぶん違うんだな」という印象から始まります。つづく"Ministry"もそうで、この曲はいいですね。Karen Oの声は抑えてもいいです。

 ただ、"Turn The Light"あたりになると、けっこうYeah Yeah Yeahsっぽくて、スカスカの音にKaren Oの声が映えます。5曲目の"Redeemer"なんかもYeah Yeah Yeahsっぽい曲だと思います。

 そんな中で、7曲目の"Leopard's Tongue"はYeah Yeah Yeahsっぽいメロディでありながら、少ししっとりした音作りで、ちょっと違う感じを出しています。後半はこうしたしっとりとした音の曲が多く、そのあたりが聴き心地の良さにつながっているのかもしれません。

 Yeah Yeah Yeahsが出てきた時のようなインパクトはありませんが、気持ちよく聴けるアルバムに仕上がっています。

 


Karen O & Danger Mouse - TURN THE LIGHT

 

一応、Amazonのリンクを貼りますが、表記がシングル曲で、このアルバムのCDなのかやや謎。

 

羅芝賢『番号を創る権力』

 鳴り物入りで導入されたマイナンバー制度ですが、そのしょぼさと面倒臭さにうんざりしている人も多いでしょう。行政事務を効率化し、国民にもさまざまな利便性を提供すると言われていたマイナンバーですが、蓋を開けてみればマイナンバーの通知カードをコピーしてハサミで切ってのりで貼るというアナログな作業が増えただけと感じている人も多いと思います。

 思い起こせば住基ネット住基カードというのもありました。当時、免許を持っていなかった自分は身分証明書代わりに住基カードを取得しましたが、結局、身分証明書の役割を果たしただけで、何かが便利になったという記憶はありません。そして、ひっそりとマイナンバーカードに取って代わられて終わりました。

 

 スウェーデンや韓国やエストニアのように「国民総背番号制度」が確立している国がある一方で、日本ではその導入が遅々として進みません。

 この本は、その理由を日本の戸籍制度の変遷や情報化政策の影響、そして国際比較などを通じて明らかにしようとした本です。

 「国民総背番号制度」に対する反対としてまず持ち出されるのは「プライバシーの保護」で、日本における反対論でもたびたび持ち出されてきましたが、「日本人は他国の人々(例えばスウェーデン人)に比べてプライバシーの意識が高いために「国民総背番号制度」が成立しなかった」という理由ですべてを説明するのは苦しいです。

 この本ではそうした「プライバシーの保護」という「建前」に隠された制度的な理由を掘り出していきます。

 

 著者は韓国人の女性の方で、韓国で学んだあとに東京大学大学院法学部政治学科研究学科に研究生として入学しており、この本はその博士論文をもとにしています。

 タイトルの「番号を創る権力」については、博論をもとにした本としては前田健太『市民を雇わない国家』以来の洒落たタイトルだと思ったのですが、前田氏とは行政学ゼミの先輩後輩の関係とのことです。『市民を雇わない国家』は「公務員が多すぎる」という一般の常識をくつがえす本でしたが、本書も、次々と通俗的なイメージを覆していく非常に面白い本です。

 なお、著者名はナ・ジヒョンと読むようです。

 

 目次は以下の通り。 

序論
第1章 日本の戸籍制度と番号制度
 第1節 住民管理の始動
 第2節 住民管理行政の漸進的発展
 第3節 番号制度の形成過程
 小括
第2章 プライバシーの政治的利用
 第1節 言説と実態
 第2節 国民総背番号制の浮上と挫折
 第3節 反対世論の形成
 小括
第3章 情報化政策の逆説
 第1節 行政組織と情報技術
 第2節 コンピュータ産業政策をめぐる政治
 第3節 産業政策の意図せざる結果
 小括
第4章 韓国における国民番号制度の成立
 第1節 植民地時代の住民管理
 第2節 住民管理の新たな展開
 第3節 住民登録番号の誕生
 小括
第5章 多様な番号制度への道
 第1節 福祉国家と番号制度
 第2節 帝国主義の陰に生まれた国民番号制度
 小括
結論

 

 はじめにも述べたようにマイナンバー制度が今までの行政や社会保障制度を劇的に変えるような気配は感じられません。今までのしくみにマイナンバーを書く手間が1つ増えたというのが多くの人々の感じる印象でしょう。

 第1章では、戸籍制度をはじめとするさまざまな国民管理の仕組みがかなり早い段階で分権的に整備されてしまったことが、日本の「国民総背番号制度」の成立を阻んだということを、各制度の歴史的変遷を明らかにすることで示そうとしています。

 

 日本の国民管理の基本となってきたのは戸籍制度です。戸籍制度の特徴は、個々人を血縁集団である「家」を通じて把握しようとするところにあり、その背景には血統主義によって日本人の境界を確定させようとする考えがありました。

 同時に政府は戸主に徴兵の免除や参政権といった権利を与える代わりに徴兵や徴税制度の運用の末端を戸主に担わせ、戸籍制度はたんなる住民管理だけではない側面を帯びていくことになります。

  

 第二次世界大戦後、「家」制度は廃止されましたが、戸籍制度はそれほど大きな変化を被りませんでした。戦時下では配給制度の運用などのために世帯台帳がつくられ、それが住民票へと進化していくのですが、1951年の住民登録法で住民票と戸籍の連携が図られたことから戸籍制度は生き延びていきます。

 90年代から戸籍事務のコンピュータ化が始まりますが、ここでも戸籍制度の抜本的な見直しは行われず、逆に各市町村で独自のシステムが導入されたことから、戸籍制度は分権的な性格を強めました。

 住民把握の基本に戸籍制度が残り、それが分権的な性格を強めたことによって、「国民総背番号制度」の導入は難しくなりました。

 

 もっとも、番号自体は健康保険や年金、免許証などで導入されています。これらの制度もスタート時には分権的な性格が強く(例えば、年金は国民年金、厚生年金、共済年金などに分かれていた)、統一的な番号はない状態で運用されていましたが、行政事務の膨張やコンピュータ化などを背景にして統一的な番号制度がつくられていきます。

 例えば、健康保険では1973年の高齢者の医療費無料化などに伴う受診率の増加が、診療報酬請求事務を増大させ、日本医師会の要請などを背景に保険者番号の形式が統一されていきました。

 

 第2章では、国民総背番号制度を阻み続けた「プライバシーの保護」という言説に焦点をあげ、それがどのようなかたちで唱えられてきたかを明らかにしています。

 国民総背番号制度に類似した制度が導入されそうになると、「プライバシーの保護」の面から懸念の声が上がります。これは当然とも言えるのですが、最初に述べたように日本で国民総背番号制度の導入が失敗しているのは日本人のプライバシー意識が強いからだと単純には結論付けられないでしょう。

 2007年に戸籍法や住民基本台帳法が改正されるまで、なりすましなどによってこれらの情報を取得することは容易でしたし、序章で紹介されている国際的な世論調査でも、「便宜のためにプライバシーを犠牲にしたことはありますか」という問いに対しても、日本人は他国に比べて高い割合で「はい」と唱えています(6p)。

 

 つまり、「プライバシーの保護」は日本人のプライバシー意識の高さとは別に、ある種の方便として用いられてきたのです(もちろん、日本人の政府に対する一般的な信頼の低さなどを要因として考えることは可能でしょが)。

 1969年、行政改革本部において第二次行政改革計画の政府案が内定し、そこには「個人コードの標準化」(71p)が盛り込まれていました。ところが、この計画に対して労働組合自治労)が反発します。

 1971年の「広域行政・コンピューター集会」では、「情報の民主的管理と運営」、「人間疎外の克服」、「プライバシーの保護」という3つの原則が提起されます。自治労にはコンピュータ化が雇用を奪う、あるいは職場環境を悪化させるという認識があり、それが「プライバシーの保護」と絡めて主張されたのです。

 

 さらに70年代になると各地で革新自治体が生まれますが、革新首長にとって労組は支持基盤の1つですが、当選するにあたって幅広い支持が必要な首長にとって、「合理化の阻止」よりも「プライバシーの保護」の方がはるかに通りのいい主張でした。

 

 70年代後半、大蔵省でグリーンカード制度の構想が持ち上がります。大蔵省は「マル優」や郵便貯金などの非課税貯蓄の透明性を確保するために、このカードとカードに記載された番号を使って銀行口座の「名寄せ」を行おうとしました。

 1981年にはグリーンカードシステムを開発するための予算も計上されており、順調に制度は導入されるはずでした。

 ところが、81年に自民党グリーンカード対策議員連盟が発足し、翌82年になると反対論が盛り上がります。この自民党内の反対論は主に郵政族議員から上がりました。グリーンカード制度が計画されたときは田中派竹下登が大蔵大臣を務めていたため、田中派郵政族は表立って反対できませんでしたが、大蔵大臣が渡辺美智雄に代わると、田中派金丸信が反対に動き出します。そして、その自民党内の動きを追うように新聞などでもプライバシーの懸念が報じられるようになるのです。結局、このグリーンカード制度は83年に断念されました。

 

 1999年住民基本台帳法が成立し、2002年から住基ネットの運用が開始されます。しかし、この住基ネットも順調に運用が開始されたわけではありません。

 住基ネットが可動するとなると、福島県矢祭町、東京都国分寺市、杉並区、三重県小俣町、二見町、神奈川県横浜市と、住基ネットから離脱する自治体が相次いだのです。ここでおプライバシーへの懸念が唱えられましたが、著者はこの時期に行われた地方分権改革とそれにのった改革派首長の動きがこの背景にあったと分析しています。

 この章では住基ネット離脱の動きを先導した杉並区の山田宏区長の動きが分析されていますが、山田は元衆議院議員で杉並区長を辞めたあとも国政に復帰している人物です。彼にとって国と自治体の対等な関係というものが重要であり、それを示すために選ばれたのが住基ネットだったという側面もあるのです。

 

 第3章は「情報化政策の逆説」と題して、通産省の産業政策がかえって統一的なコンピュータシステムの導入を阻んだ経緯が明らかにされています。

 日本のコンピュータ産業は少なくとも20世紀までは順調に発展しており、技術不足が国民総背番号制度を阻んだわけではありません。

 もともと自治体の使用するような汎用コンピュータの世界ではIBMのシェアが圧倒的でした。これに対して政府、特に通産省は国内のコンピュータ産業を育成する政策をとっていきますが、その政策の1つが政府や関係機関での国産コンピュータの優先的な導入でした。この政策によって、中央省庁におけるシェアは73年の段階で、NEC32.4%、東芝24.8%、富士通23.0%、日立12.2%、沖電気5.5%となりました(111p)。地方自治体でもこの5社に三菱電機IBMを足した7社がシェアを握ることになります。

 

  当時の汎用コンピュータは複数の機械からなるユニットで、当時の23区では20~30名規模の組織が導入にあたって発足しました。当初は税や給与などの計算に使われていたコンピュータですが、中野区は60年代後半から住民管理にも用い始め、徐々にその他の自治体へも広がっていくことになります。

 自治体におけるコンピュータの活用は上からではなく、自治体独自の取り組みとして広がっていきますが、それが強固な分権的システムをつくり上げることになります。

 また、国内のコンピュータ産業を育成しようとした政策が、次期システムの選択に際して既存のシステムを無視できなくなる「ベンダーロックイン」といわれる状態を生み出しました。122pの図3-5では、65~95年の東京23区の使用メーカーが示されていますが、途中での東芝の撤退による影響を除くと あまり変化がありません。そして、こうした中でメーカー独自の文字コードなどが使われるようになり、システムの変更はますます難しくなっていったのです。

 そして、これが集権的な国民管理システム構築へ向けた大きな障害となります。

 

 第4章では比較事例として韓国がとり上げられています。韓国は植民地時代に日本によって戸籍制度が導入されましたが、現在では国民番号制度が導入されています。この経緯を明らかにすることで、日本との違いを探ろうとしています。

 

 1910年に日韓併合が行われると、23年には「朝鮮戸籍令」が制定されます。しかし、日本の戸籍制度が戸主に権利を与える代わりに徴兵や納税などの末端事務を担わせる仕組みだったのに対して、朝鮮人の戸主には与えるべき権利(参政権や徴兵免除)がなく、末端事務を担ったのは「洞・里」と呼ばれる住民組織でした。

 この洞や里には区長が置かれ、1937年に日中戦争が始まり戦時体制が強まると、区長は有給になり、さまざまな事務を行うようになります。

 

 日本の植民地支配が終わると、米軍は当初、食料配給を廃止しますが、これは大きな混乱を生み、結局は住民組織を使って食料配給を行うことになります。このときに使われたのが洞籍簿であり、食料配給と結びついて洞籍がもっとも信頼できる住民把握の手段となりました。

 さらに冷戦状況が生まれてくると共産主義者摘発の手段として身分証明書が利用されるようになります。朝鮮戦争が勃発するとこの身分証明書は顔写真付きとなり、これが朴正熙政権のもとでの住民登録番号制度へとつながっていきます。

 

 また、62年に制定された住民登録法では住民登録と戸籍を区別しており、日本にあるような「戸籍の附票」はありません。

 その後、韓国では70〜80年代にかけて福祉制度がつくられていき、行政サービスも拡大していくのですが、そこで使われたのが住民登録番号でした。結果として、韓国の行政サービスは住民登録番号制度と連動しており、行政手続きのワンストップサービス化や電子化が進んでいます。

 戸籍制度の定着度合いの薄さと、冷戦構造によってプライバシーへの関心が高まる前に住民登録番号制度が導入されたことが、日本との違いを生んだと言えます。

 

 第5章では、国民総背番号制度が導入されているスウェーデンエストニア、台湾の3カ国をとり上げ、その導入の経緯を探るとともに、アメリカやドイツで国民総背番号制度が導入されなかった経緯も明らかにしています。

 

 スウェーデンでは1947年に個人識別番号が導入され、福祉の発展とともにこれが広く使われるようになりました。

 アメリカやイギリスが「分権・分離型」の中央地方関係であるのに対して、スウェーデンは「集権・融合型」の関係であり、自治体の活動は中央政府の規定した範囲内で行われました。このことと福祉を教会や職業団体などではなく中央政府が担ったことが一元的な国民総背番号制度の成立につながったと考えられます。

 

 エストニアに関しては、近年電子政府の取り組みなどが注目されていますが、国民総背番号制度のルーツに関しては、ソ連からの圧力とソ連への併合、そしてソ連時代の経験を抜きにしては語れません。

 エストニアは独立した翌年の1992年に個人識別コードを導入し、パスポートや運転免許証や学生証にそれがもれなく記入されています。身分証の携帯も義務付けられており、韓国と同様に冷戦下、あるいは冷戦崩壊後に必要とされた国民管理のしくみが電子政府などに生かされていると言えます。

 なお、台湾についても戒厳令下での国民管理の仕組みが国民総背番号制度の成立へとつながりました。

 

 こうした国際比較をした上で、著者は結論部分で次のように述べています。

 番号制度を検討の対象とする本書が、プライバシーに関する問題を議論の中心に置かなかったのは、監視社会の危険性よりも、国家権力の両義性を強調するためである。国民番号制度を受け入れた国々の市民に対して、そうした人々が利便性のためにプライバシーを犠牲にしたという見方をするのは妥当ではないと筆者は考える。重要なのは、近代国家が、そうした制度を人々に受容させる権力をいかに獲得したかを理解することである。そのためには、秩序の安定を目指して発揮される国家権力と、福祉国家の便益を享受する市民の支持を受けて増大してきた国家権力の両方に注目する必要がある。(191p)

 

 例えば、韓国や台湾では国民総背番号制度は秩序の維持を目的として誕生したものかもしれませんが、それは現在、行政サービスの利便性の向上に役だっています。一方、ドイツのように過去の記憶が一元的な国民番号制度の成立を阻んでいるケースもあります。各国の国民番号制度の現在の姿は、それぞれの国家の歩みを表したものでもあるのです。

 

 日本については、第1章から第3章に書かれている理由などによって国民総背番号制度の導入が阻まれてきており、マイナンバーがこれらの障壁を乗り越えることができるかどうかは不透明です。

 最後に著者はマイナンバーの構想が新自由主義的な政策をとっていた小泉政権期い生まれたことに触れ、その行方について次のような見方を披露しています。 

以上のように、マイナンバー制度の成立は、日本の福祉国家の質を向上させるために政治エリートたちが悩み抜いた結果であるとは言えない。むしろ、その動機は、福祉国家の縮小、あるいは現状維持であった。そのための手段として設計された番号制度が、市民にそれほど歓迎されないのは、ある意味では当然のことのように思われる。本書を執筆を終えた段階では、マイナンバー制度に対する規範的な評価を下すことは難しい。だが、一つはっきりしたことがあるとすれば、それは福祉国家の質的向上をもたらさない形で番号制度の改革を進めても、その試みは、常に市民の抵抗に直面するだろうということである。(195p)

 

  このようにこの本は日本において国民総背番号制度が成立しなかったさまざまな要因を探っています。この手の制度に対しては常に「プライバシーの保護」という反対意見が対置されますが、そうした言説の裏にある制度的・構造的な要因を探っていく内容は非常に刺激的で面白いです。

 博士論文をもとにしており、論点の多岐にわたっているために読みやすい本ではないかもしれませんが、国民総背番号制度だけではなく、電子政府、あるいは行政全般に興味がある人にもお薦めですし、また、「制度」とか「経路依存」などの言葉に反応する人にもお薦めできます。

 

 

 

『バイス』

 ブッシュ(子)政権で副大統領を務め、イラク戦争を主導したとも言われるディック・チェイニーを描いた映画。監督は『マネー・ショート』のアダム・マッケイで、チェイニーを演じるのがクリスチャン・ベールラムズフェルド役にスティーヴ・カレルと『マネー・ショート』のメンバーが再結集という趣きで、同じように政治経済の思いテーマをコメディタッチで描こうとしています。

 

 ただ、それが成功しているかというとやや物足りない面もあります。

 まず、前半は非常にいいと思います。ゴロツキ的な生活を送っていたチェイニーが、頭もよく上昇志向に燃える恋人のリン(エイミー・アダムス)に尻を叩かれる形で政界に入り、かなりイカレたキャラであるラムズフェルドのもとで修行を積み、フォード大統領のもとで首席補佐官になる。チェイニーとラムズフェルドのコンビが面白く、ここまではコメディとしても良く出来ています。

 その後の下院議員時代についても、演説の苦手なチェイニーに代わってリンが大活躍するとことなども面白いです。

 サム・ロックウェル演じるブッシュ(子)も、やや戯画化されていますが、本人を彷彿とさせます。彼から副大統領にならないかと持ちかけられるシーンも良いと思います。

 

 ただし、脚本からはチェイニーが副大統領になったあと、イラクへこだわる理由が見えてこないです。

 チェイニーが法律顧問などの知識を駆使して、大統領権限の拡大をはかるところなどは面白くも怖くもあるところですが、大きな権限を手に入れたチェイニーがイラク戦争へと突き進む理由はあまりよくわかりません。

 これはチェイニーがブッシュ(親)政権時代の国防長官だった時代をすべてカットしてしまってることに1つの原因があると思います。湾岸戦争で相手を圧倒しながら、結局はフセイン政権を打倒できなかったという経験が、チェイニーをはじめとするブッシュ(子)政権のスタッフをイラク戦争に駆り立てたのではないかと思うのですが。それがきれいさっぱりカットされています。

 

 また、イラク戦争やその影響などを描く場面ではどうしてもイメージに頼ってしまっています。もちろん映画なのでイメージに頼って当然なのですが、なんとなく脚本の薄さを埋めるようなものに思えました。

 イラク戦争に関しては、単純にチェイニーを悪の権化として描くような部分もあり、マイケル・ムーアの『華氏911』に通じる平板さがありました。

 

 随所に盛り込まれたメタ的な展開など、トータルすれば面白い部分も多かったのですが、肝心な部分で期待に届かないところもありました。