The National/I Am Easy To Find

 前作「Sleep Well Beast」が素晴らしかったThe Nationalのニューアルバム。前作はここ20年ほどのロックの到達点といった感じで、複雑なドラムと緻密で切れのあるギターが融合した傑作でした。グラミー賞も受賞しましたし、少なくともインディー・ロックの世界では頂点に立ったといってもいいでしょう。

 「頂点」と書いたように、ここまでレベルの高いものをつくると次はどうするんだ? となりますが、今回はさらに緻密な曲を用意すると同時に、多くの女性ボーカルをゲストに迎えることで、もはや変える余地のないほど高度化したギターとドラムではなく、「ボーカル」の部分を変えてきました。また、インストの曲が途中に挟み込まれているのも今までのアルバムとは違う点です。

 まあ、このあたりは賛否の分かれるところでしょう。

 

 まずは冒頭の"You Had Your Soul With You"、これは今まで以上に緻密な曲で、特に冒頭のギターとかはライブで再現できるのか? と思うほど。ただし、かっこいい曲であることでは間違いなく、本アルバムの中でも最も良い曲かと。

 4曲目の"Oblivions"はいかにもThe Nationalっぽい曲ですが、女性ボーカルとしてMina Tindleがゲストに迎えられており、変化をつけてきています。

 5曲目の"The Pull Of You"も女性ボーカルをゲストに迎えていますが、この曲や後半の曲でゲストとして歌っているLisa HanniganはDamien Riceと一緒に歌っていた人ですね。Matt Berningerのボーカルもドラマチックに盛り上がっています。

 7曲目の"I Am Easy To Find"もいかにもThe Nationalっぽい曲で女性ボーカルを入れてきている"The Pull Of You"と似たパターンの曲。こちらのゲストはKate Stablesで、落ち着いた感じに仕上がっています。

 9曲目の"Where Is Her Head"がこのアルバムの中盤の聴きどころでしょうか。切迫感のあるドラムにMatt BerningerとゲストボーカルのEve Owenの声が絡んでいって盛り上がります。

  あと、後半で良いのは14曲目の"Rylan"あたりでしょうか。

 

 16曲入りと曲数も多く、後半はやや弱い気もします。また、やはり女性ボーカルが入ったことで変化はあるのですが、前作のように新しい境地に到達した感じはないですね。あくまでも今までの骨組みに変化をつけてきた感じです。

 というわけで、前作には及ばず解いたところですが、それは前作があまりにもハイレベルだったことの裏返しでもあり、本作も年間の上位に入ってくる出来だとは思います。

 


The National - 'You Had Your Soul With You' (Official Audio)

 

 

青木栄一編著『文部科学省の解剖』

 一部の人にとっては興味をそそるタイトルでしょうが、さらに執筆者に『現代日本の官僚制』『日本の地方政府』の曽我謙悟、『政令指定都市』の北村亘、『戦後行政の構造とディレンマ』の手塚洋輔と豪華なメンツが揃っており、精緻な分析が披露されています。

 ただ、今あげた名前からもわかるように執筆者はいずれも政治学者で、特に行政学を専門とする人物です。ですから、あくまでも行政学の立場から文部科学省の官僚制に対してアプローチがなされています。「文部科学省を貫く思想が知りたい」というような人の期待に答えるものではありません。

 基本となるのは2016年に行われた文部科学省の本省課長以上へのサーベイ調査(アンケートのこと)です。過去に村松岐夫が中心となって行った官僚サーベイ村松サーベイ)を参考に、文部科学省の官僚にその仕事の進め方や意識を聞くことで、文部科学省の仕事の進め方や文部科学省を取り巻く構造、そして、現在直面している問題点などをあぶり出そうとしています。

 基本的にマニアックな本だとは思いますが、明らかにされる文部科学省の実態には興味深いものがありますし、また、各章のごとのアプローチの仕方にも面白いものがあります。

 

 目次は以下の通り。

第1 章 官僚制研究に文部科学省を位置づける(青木栄一)
第2 章 サーベイにみる文部科学省官僚の認識と行動(曽我謙悟)
第3 章 文部科学省格差是正志向と地方自治観(北村 亘)
第4 章 組織間関係からみた文部科学省(伊藤正次)
第5 章 文部科学省と官邸権力(河合晃一)
第6 章 配置図からみる文部科学省統合の実相(手塚洋輔)
第7 章 旧科学技術庁の省庁再編後の行方(村上裕一)
第8 章 文部科学省設置後の幹部職員省内人事と地方出向人事の変容(青木栄一)

 

 第1章ではこの本の位置づけやサーベイの概要が語られています。村松サーベイは1976、1985、2001と過去3回行われましたが、実はその対象に文部科学省(文部省)は入っていませんでした。旧内務省系、経済官庁系が優先されたのです。

 これには文部科学省(文部省)が「三流官庁」と認識されていたことも大きいかもしれません。実際、文部科学省の官僚であった寺脇研も自著の中で文部省を「三流官庁」だったと述べています(寺脇研『文部科学省』中公新書ラクレ)参照)。

 しかし、文部科学省の一般歳出に占めるシェアは厚生労働省国土交通省に次ぐ第三位であり、教育、そして科学技術の分野に対して大きな影響力を持っています。

 

 この章ではサーベイの結果についても簡単に触れられていますが、それによると「首相」や「首相秘書官」「官房長官」といった官邸のアクターに対する接触率が低い一方で、与党国会議員との接触率が高く、また与党議員(族議員)については理解と協力が得られやすいと考えているのに対して、財務省に関しては、政策形成や執行に大きな影響力を持ちつつ調整が困難との見方を持っているとのことです。

 

 第2章は文部科学省へのサーベイがさらに精緻に分析されています。

 具体的には過去の村松サーベイとの比較を通じて文部科学省の官僚の意識や行動を明らかにしようとしているのですが、ここには注意すべき点もあって、著者も述べているように村松サーベイは過去の調査であり文部科学省(文部省)を含んでいませんし、今回の調査は文部科学省以外の省庁に対しては行われていません。つまり、村松サーベイと今回のサーベイの差は、省庁間の違いなのか、それとも調査時期による違いなのかわからないのです。

 こうした問題点を把握しつつ、ここではいくつかの特徴が取り出されています。

 

 まずは、日本にとって最重要課題は何か選択肢の中から3つあげるという問いに対して、「教育」や「科学技術」をあげた文部科学省の官僚が意外に少ないことがあげられます。これらを所管する官庁でありながら、2001年に他省庁に対して行われた村松サーベイにおける重要度の水準とほぼ変わらないのです(もちろん、今回の文部科学省サーベイで値の高かった「外交・安全保障」、「福祉・医療」は2001年以降に重みを増してきている課題なので、文部科学省の特徴というよりは現在を取り巻く状況の影響が大きいのかもしれない)。

 ちなみに、文部科学省サーベイでは「経済成長」、「国際経済」の値は低いです。

 

 次に政策の決定は誰が主導すべきかという問いに対しては、「官僚」、「関連団体」の値が01年の村松サーベイの平均よりも高くなっています。

 また、「行政裁量は減らすべき」という問いに対する値は、過去3回の村松サーベイの平均的な値よりも低く、政策形成において官僚が一定の役割を果たすべきだと考えていることがわかります。

 

 省の政策決定に影響を持つアクターとしては、先程も述べたように与党と財務省の値が高いです。一方で財務省は政策形成において調整が困難なアクターとして認識されており、毎年の予算編成において苦労している様子が伺えます。

 また、首相の影響力については高く評価していますが、接触頻度は低く、官邸主導の政治に対応しきれていない様子も伺えます。その代りに与党議員との接触頻度は高めとなっています。

 

 ただし、これらの結果は、文部科学省の特徴ではなく、例えば、過去のサーベイ対象との世代的な違い、キャリアとノンキャリアの比率の違い、官僚個人の出身地の違いなどが影響しているのかもしれません。

 この本の後半ではこうした可能性を考慮に入れた分析がなされています。今回の文部科学省サーベイは面白い結果を示していますが、それがすなわち文部科学省の特殊性を表しているというわけではないのです。

 

  第3章は文部科学省サーベイを通じて文部科学省格差是正志向と地方自治体に関する認識が分析されています。教育行政では地方自治体との協働が求められます。一方、文部科学省サーベイからは、文部科学省の幹部職員が教育を経済や雇用との関わりというよりも機会平等を達成する手段として捉える傾向が強いです。この2つの関係を明らかにしようとしたのがこの章です。

 

 まず、格差の是正を図ろうとする場合、地方政府に対しては次の4つのアプローチがあるといいます。中央政府による租税や材の移転を通じて直接個人間の格差是正を図ろうとする「集権的アプローチ」、地域間の格差是正を重視するために地方政府への財源保障を重視する「分権主義アプローチ」、地域間格差も個人格差も是正しようとする「介入主義アプローチ」、政府による介入ではなく市場に委ねる「放任主義アプローチ」の4つです。

 

 サーベイの結果、対象となった75人の中で最も多かったのは「介入主義アプローチ」(34名)、ついで「放任主義アプローチ」(20名)、「分権主義アプローチ」(18名)、「集権主義アプローチ」(3名)となります(60p表3−1)。

 2001年の村松サーベイと比較すると、その分布は旧農林水産省と旧厚生省に似ています(61p図3−1)。

 また、これらの傾向は出身地などとは特に関係なく、入省庁との関係でいうと、文部系で介入主義が多く、科学技術系で放任主義の割合がやや高くなっています(64p表3−3)。

 

 一方地方との関係ですが、地方財源に関しては、文部科学省全体が国庫補助負担金を重視している一方で、分権主義が地方交付税地方税などの自主財源を重視していないという謎の関係があります。

 さらに地方自治体の仕事ぶりに関しても、介入主義がやや地方自治体への評価が高いのに対して、分権主義と放任主義ではやや評価が低くなっています。また、今後の関係についても介入主義は前向きですが、放任主義はやや後ろ向きです。市場重視の放任主義がやや後ろ向きなのは当然かも知れませんが、注目すべきは分権主義においてもそれほど前向きではない点です。

 さらに地方自治体関係者との接触放任主義が最も高く、接触が高いながらも評価は低いという結果になっています。一方で介入主義は接触も高く、評価も高いです。

  

 こうした結果からは、全体的に地方自治体への評価はあまり高くなく、その関係にも積極的ではない文部科学省の姿が見えてきます。文科省では政治家の介入に対する警戒が強かったといいますが、それには地方自治体も含まれているとも推測されるのです。

  著者は結論の部分で「概していえば、文科省の幹部職員たちは、格差是正という政策目標を達成する手段として地方自治体を活用することにそれほど熱心ではなく、政策実現のパートナーとしてではなく、あくまで規制対象としか考えていないのではないかと思われる」(71p)と述べています。

 

 第4章には「「三流官庁」論・再考」という副題がついています。

 文科省は2000年代以降、教育振興基本計画の策定過程で財務省に敗北し、もんじゅ廃炉をめぐって経産省に敗北しました。確かに政策面からいうと「三流官庁」と言えるかもしれません。

 しかし、人事交流の面を見れば、他府省への出向率は高く、「三流官庁」とは違う姿が見えてきます。文部系は内閣官房内閣府に、科技系は内閣府原子力規制委員会に多くの職員を出向させており、他組織からの出向受け入れ率の高い「植民地型」官庁というよりは、他組織への出向率が高い「宗主国型」官庁なのです。

 また、ここでは文科省に出向している民間人の出身企業も表で紹介されているのですが(93p表4−6)、スポーツ庁に、JTBコミュニケーションデザインアサツーディ・ケイ、ミズノ、綜合警備保障大塚製薬などいかにもな会社に混じってサニーサイドアップの名前があるのが興味を引きますね。

 

  第5章は官邸との関係について。90年代以降の政治・行政改革の結果として官邸の権力は強まっています。文科省においてもそのことについての意識はいるようなのですが、第1章でも紹介したように官邸との接触頻度は低いです。この理由を考えていくのが本章になります。

 

 現在、内閣官房は官邸主導の政策形成に大きな役割を果たしており、各省はエース級の人材を送り込んでいます。文科省も例外ではありません。しかし、首相、首相秘書官、官房長官といったアクターへの接触率は低く(109p図5−3参照)、協調できる相手は相変わらず与党議員という状況になっています(111p図5−4参照)。

 この理由として、本章では文教族議員の世代交代のタイミングをあげています。小泉政権期、族議員はその発言力を低下させ、世代交代が進みましたが、文教族は今まで票や政治資金の面で恵まれていなかったとうこともあって、この時期には世代交代が行われませんでした(森喜朗などがこの時期も影響力を持っていたことなどを想起するとよい)。

 官邸主導の政策決定に移行しつつある中でも、文部行政に関しては相変わらず与党議員が幅を効かせていたのです(一方、農水省小泉政権期にすでに農業政策共同体の内部変化が生じていた)。いわば、権力構造の変化に対する適応に文科省は乗り遅れたと言えるかもしれません。

 

 第6章は本書において最もマニアックな章であり、この本の読みどころと言えるかもしれません。

 文部科学省は文部省と科学技術庁が統合した省であり、統合当初は庁舎も別々でした。 2004年からは文部省の仮移転に伴い同一庁舎となり、2008年の霞が関コモンゲート完成以降はそこに入居しています。

 こうした中で文部省と科学技術庁の統合がどの程度進んだかを探ろうとしたものです。

 

 ジャーナリストであれば官僚や元官僚に取材をして、その雰囲気などを記事にまとめるのでしょうが、この章の執筆者である手塚洋輔は、官僚が執務するフロアの配置図と机の配席図を、さらには電話番号(内線番号)を手がかりにしてそれを探ります(電話番号は混乱を避けるために追加が基本で、割当をやり直すことはほぼなく、その職が鋳つ追加されたかがわかり、さらに職名が変わった場合でも同一番号であれば継続性が高いと判断できる)。

 これらの情報に関しては『霞が関官庁フロア&ダイヤルガイド』、『文部科学省ひとりあるき』といった本が存在し、そこからわかるそうです(もちろん民間が発行しているもので必ずしも正確とは限らないそうですが)。

 

 詳しくは本書を見てほしいのですが、例えば人事課の配席図をみると(148−153p)、文部系と科技系できれいに分かれており、執務する空間自体が隔たっています。これは会計課の配席図(156−160p)を見ても同じです。

 このように、配席図からは文部系と科技系が十分に統合されていないことがうかがえます。

 

 第7章は省庁統合後の旧科学技術庁の変化を追っています。

 科学技術庁原子力基本法とともに成立した省庁で、原子力政策を中心に科学政策を所管してきました。ところが、90年代んになると、もんじゅの事故や東海村での臨界事故などに不祥事が相次ぎ、2011年の福島第一原発事故を機に、原子力政策を所管する官庁としての権限を失っていきます。また、宇宙政策に関しても主導権を内閣官房内閣府に明け渡します。これらからは科学技術庁の地位が「低下」したことがうかがえます。

 

 しかし、一方で文科省サーベイをみると、科技系の官僚のほうが文部系の官僚よりも内閣府や他省庁官僚との接触頻度は高く(169p表7−2、170p表7−4参照)、一定の存在感を持っていることもうかがえます。

 科技庁の科学技術会議は省庁統合後に総合科学技術会議(CSTP)になりましたが、2000年代後半以降、その「司令塔」機能は強化されています。2013年の『日本再興戦略:JAPAN is BACK』には「CSTPの司令塔機能を強化し、省庁縦割りを廃し、戦略分野に政策資源を集中投入する」との文言があり(196p)ます。ただし、この司令塔機能は科技庁が独占しているわけではなく、第二次以降の安倍政権のもとでの経産省の影響力の増大とともに、科技庁の発言力は弱まっているともいえます。

 

 第8章は文部科学省の幹部人事と地方出向について。

 2001〜16年にかけての文科省の幹部職員とその職員が文部系か科技系か(あるいは他象徴出身か)を一覧にした表8−1(218−219p)はなかなか壮観ですが、ここから見えてくるのは科技系の高いプレゼンスです。枢要ポストは完全な「たすき掛け」人事となっており、高等教育の官房審議官ポストにも進出しています。

 地方出向に関しては文部系がポストを守っていますが、これは出向先の多くが教育委員会が多くを占めるからです。科技系の地方出向は少ないですが、つくば市東海村に出向している点が注目すべきところでしょうか(228p)。

 

 このように、この本は徹頭徹尾行政学の本です。

 ですから、ある程度読者を選ぶ本ということになるでしょう。ただし、組織や人事に興味がある人には面白く読めると思いますし、また、省庁再編後の省庁の変化や、官僚(文科省の官僚に限りますが)の行動や意識というものも垣間見えて、興味深いです。サーベイからは、文科省の官僚はやや省庁再編後の流れについていけていない感じがしますね。

 あと、ジャーナリストとは違う研究所のアプローチがはっきりとわかるという点で面白い本だと思います。

 

 

  

デボラ・フォーゲル『アカシアは花咲く―モンタージュ』

 松籟社〈東欧の想像力〉シリーズの1冊で、ポーランド(当時はオーストリア領)の同化ユダヤ人の家に生まれた女性作家デボラ・フォーゲルの中短編集。

 〈東欧の想像力〉シリーズの前回配本はイヴォ・アンドリッチの『宰相の象の物語』というノーベル賞作家のものでしたが、今回のフォーゲルについては知っている人はあまりいないでしょう。僕も初耳でした。

 解説によると、ブルーノ・シュルツと交流があり、シュルツの『肉桂色の店』の原型はこのフォーゲルとの文通から生まれたそうです。さらに近年、アメリカのイディッシュ語雑誌に寄稿していたことも明らかになり、注目を集めているとのことです。

 

 この本には代表作の「アカシアは花咲く」をはじめとしていくつかの作品が収録されていますが、その実験的な文体は共通しています。

 例えば、「アカシアは花咲く」の冒頭はこんな感じです。

 始まりはこうだった。突然、何の前触れもなく、恋しさというバネで震えるマネキン人形のメカニズムが暴き出された。このバネこそが、安っぽくて粗悪な出来事(「人生」・・・・・・)を甘い運命のように、そして平凡な出会いを彩り豊かでかけがえのない冒険であるかのように見せていた。(73-74p)

 

 これを読んで、シュルレアリスムを思い浮かべた人もいるかも知れませんが、この本の収められている公開書簡の中で、フォーゲルは自分の作品がシュルレアリスムであることを否定しています。

 確かにシュルレアリスムのようなフロイト的な無意識の重視はなく、既存の言葉に似つかわしくないような形容詞を付けたり、あまり関連性のないような言葉を組み合わせながら、詩と散文の間のような文章が続いています。

 著者はこれを「モンタージュ」の技法だとしています。それは、さまざまな異なる要素を組み合わせることで新しい意味を作り出そうとするものです。

 

 正直、自分にはこの技法がどの程度成功しているのかはわからないのですが、時々混じってくるプロレタリア文学っぽいところと、時代の不穏な空気には惹かれるものがあります(『アカシアは花咲く』がポーランド語で刊行されたのは1936年)。

 ちなみにフォーゲルは1942年8月のゲットー内で行われたユダヤ人一掃作戦により家族とともに射殺されたそうです。

 

 

Nilüfer Yanya/Miss Universe

 Nilüfer Yanya(読み方はニルファー・ヤンヤらしい)はUKで活動する23歳のソウルシンガー。ただし、このデビューアルバムの実質的なオープニング曲"In Your Head"はロックナンバーで、これが良い。

 ソウルというジャンルはものによってはやや単調に聞こえがちですが、このアルバムは最初にガツンときます。

 このあともトラックに遊び心やおしゃれ感があるのがこのアルバムの特徴ではないかと思います。歌も上手いのですが、その歌の上手さを全面に押し出すのではなく、バックお音楽を聴かせることにも気を配っています。特に前半のトラックはギターが効いています。

 後半になると、10曲目の"Melt"の最後のサックスの入れ方とかもおしゃれだと思いますし、最後の"Heavyweight Champion Of The Year"のトラックもアクセントが効いていると思います。

 Jorja Smithとかもそうでしたが、最近のUKの女性シンガーはバックのトラックが非常におしゃれで凝ってますね。

 


Nilüfer Yanya - Heavyweight Champion Of The Year (Official Video)

 

 

 

ローレンス・サマーズ、ベン・バーナンキ、ポール・クルーグマン、アルヴィン・ハンセン著/山形浩生編訳『景気の回復が感じられないのはなぜか』

 サマーズが口火を切り、バーナンキクルーグマンとの間で2013〜15年にかけて行われた長期停滞論争を山形浩生が訳しまとめたもの。アルヴィン・ハンセンは1930年代に長期停滞という概念を提唱した経済学者で、この本にはその演説「経済の発展と人口増加の鈍化」の抄訳も収録されています。

 

 目次は以下の通り。

はじめに――長期停滞論争(山形浩生)
1 アメリカ経済は長期停滞か?(ローレンス・サマーズ)
2 遊休労働者+低金利=インフラ再建だ! ――再建するならいまでしょう! (ローレンス・サマーズ)
3 財政政策と完全雇用(ローレンス・サマーズ)
4 なぜ金利はこんなに低いのか(ベン・バーナンキ)
5 なぜ金利はこんなに低いのか 第2部――長期停滞論(ベン・バーナンキ)
6 なぜ金利はこんなに低いのか 第3部――世界的な貯蓄過剰(ベン・バーナンキ)
7 バーナンキによる長期停滞論批判に答える(ローレンス・サマーズ)
8 一国と世界で見た流動性の罠(ちょっと専門的)(ポール・クルーグマン)
9 なんで経済学者は人口増加を気にかけるの?(ポール・クルーグマン)
10 日本の金融政策に関する考察(ベン・バーナンキ)
11 経済の発展と人口増加の鈍化(抄訳)(アルヴィン・ハンセン)
解説――長期停滞論争とその意味合い(山形浩生)

 

 ここに並んでいる論考はいずれも講演、一般紙の論説記事、ブロクなどの形で世に送り出されたものであり、いずれも平易に書かれています。さらに山形浩生が丁寧な解説を付けており、非常にわかりやすいものとなっています。

 ケインズは経済学者の仕事は経済問題を扱ったパンフレットを書くことだということを言っていますが、まさにパンフレット的な本だと思います。

 では、本屋でちょこっと立ち読みすればそれで済むかというと、そんなことはないです。何回か見返したくなるような重要な知見を含んでおり、世界経済と日本経済を考えていく上でぜひとも頭に入れておきたい内容を含んでいます。特に日本経済を考える上でバーナンキの日銀で行われた講演「日本の金融政策に関する考察」は重要でしょう。

 

 おおまかな内容については山形浩生の書いた「はじめに」と「解説」を読めば十分なのですが、一応、ここでもおおまかな内容を紹介していきます。

 

 口火を切ったのはサマーズです。サマーズはリーマンショックのダメージは大規模な金融緩和などである程度食い止めることができいて、株価なども戻ってきているけど、経済成長率は十分には戻っておらず、金融バブルが起こってもおかしくないほどの金利水準なのに投資が戻っていないのはなぜなのか? これは長期停滞の時代に入ったということではないのか? と主張します。

 そして、そうであるならばインフラ投資などの財政政策によってこの需要不足を埋めるべきではないかというのです。

  現在の先進国は需要制約の状況にあり、この需要を公共投資によって埋めることが経済成長につながり、長期的には財政の好転にもつながるだろうというのがサマーズの主張です。

 

 これに対して、バーナンキアメリカ経済が長期停滞に直面しているという考えに疑義を呈し、サマーズは国際的な要因に目を向けていないといいます。金利水準が低いのは世界的な貯蓄過剰(中国を含む新興アジア諸国産油国、そしてヨーロッパなどの経常黒字)がもたらしたものだというのです。

 そして、中国の経常黒字が減っているように、現在は調整局面にあり、やがてこの貯蓄過剰はある程度解消されていくのではないだろうかというのがバーナンキの見立てになります。

 

 この論争に割って入ったのがクルーグマンで、バーナンキが「サマーズは国際要因を考慮していない」と批判したのは正しいとしながらも、長期停滞の懸念はあるといいます。

 ここで持ち出されるのが日本なのですが、日本は長年需要不足に苦しんでおり、まさに長期停滞と言っていい状況です。

 ところが、日本の資金は高金利を求めて海外に殺到したりはしませんでした。国内の低金利を甘んじて受け入れています。これは日本のデフレを考えると日本の実質金利はそれほど悪くなかったからです。

 そして、クルーグマンは現在のユーロ圏がこのような運命をたどる可能性があるといます。ドイツの金利はすでに大きく低下しており、コアインフレ率も低迷しています。ユーロ圏は経常黒字を貯め込みつつ、ユーロ自体の価値は低迷しているのです。

 このユーロ圏の資本輸出はそう簡単に終わるとは思えず、長期停滞が輸出される可能性は十分にあるというのがクルーグマンの見立てです。

 

 そして、このあとにバーナンキの日銀講演が置かれています。

 ここでバーナンキは過去に日本の金融政策を批判していたが、自らはFRBの議長になってからは非伝統的な金融政策の扱いづらさや財政政策との連携の必要性も理解するようになったと述べています。

 それでも金融緩和策は正しく、中央銀行インフレ目標を追求し続けるべきだとしています。そして、黒田日銀の政策も評価しているのですが、ところが日銀が思い切った政策をしてもインフレ率は上がってきません。

 ここで持ち出されるのが世界的な貯蓄過剰説と長期停滞論です。アメリカにおけるサマーズの長期停滞論を否定したバーナンキでしたが、ここ日本では長期停滞論を否定していません。そして、インフレ目標を達成する手段として財政政策との連携を提案しています。

 日銀は目標値を0.7ポイント超えるインフレ率を三年間か、0.4ポイントを超えるインフレ率を五年間続けることで、GDPの2%分の財政プログラムに結果として資金を供給できます。(中略)

 ここでは、この仮想的な財政プログラムの中身には立ち入りません。ただ、このプログラムをアベノミクスの三本目の矢である構造改革の推進に使うと有益ではないかと指摘していおきます。そして、構造改革は長期的な成長率の引き上げに欠かせないものです。たとえば、再訓練プログラムや所得補助は非効率部門を改革する際の抵抗を和らげられるし、的を絞った社会福祉は女性や高齢者の労働参加を増やすのに貢献します。(94p)

  そして、デフレ脱却のための最も有望な政策として、この金融政策と財政政策の連携をあげています。バーナンキも日本に関してはサマーズと同じ処方箋を示しているのです。

 

 最後のハンセンの講演は、山形浩生が解説でも述べている通り、外れた議論なのですが、今の日本経済に対する悲観論と同じようなことを言っているのがポイントで、今でも読んでおく価値はあります(ただ、マーク・マゾワー『暗黒の大陸』でも述べられていたように、20世紀前半の少子化のトレンドは第二次世界大戦を境に反転するんですよね。日本にそのような反転の機会はあるのか?)。

 

 最初に述べたようにパンフレットのような本ですし、充実した解説もあって簡単に読めると思いますが、なかなか重要なポイントを教えてくれる本です。

 

 

田所昌幸『越境の国際政治』

 副題は「国境を越える人々と国家間関係」。移民をはじめとする国境を越える人間の移動について国際政治学の立場から論じた本になります。

 移民に関しては、移民がもたらす社会の変化を記述したもの、移民のおかれた劣悪な状況を告発するもの、あるいはボージャス『移民の政治経済学』のように移民がもたらす経済的なインパクトを明らかにしたものなどがありますが、国家が国境を越える人々をどう扱ってきたかということを論じた本は少ないと思います。

 

 それこそアウト・オブ・アフリカの大昔から人間は移動してきたわけで、それに比べれば主権国家の歴史というのは短いです。それにもかかわらず主権国家は国境を管理し、受け入れる人と受け入れない人を選別し、場合によっては自らの支配領域にいる人々を追放したりします。国家は人々の移動に大きな影響を与えているわけです。

 ただし、国家が人々の移動を自由にコントロールできるかというとそうではありません。すべての国境を完璧に監視することはできませんし、観光や一時的な労働の目的で入国してそのまま住み着いてしまう人もいます。

 こうした国家と移民(難民)をめぐるさまざまな事象を論じたのがこの本です。何か解決策を提言したり、理論を導き出すような本ではないのですが、著者の幅広い議論を追っていくことで、移民や人々の移動に関して複合的な視野が得られる本になっています。

 

 目次は以下の通り。

序章 移民と国際政治―問題意識と基礎的事実
第1章 人口移動政策と対外関係
第2章 政策の限界―非正規的な人口移動
第3章 国家とそのメンバーシップ
第4章 メンバーの包摂と再生産
第5章 在外の同胞と国家
終章 日本にとっての国際人口移動

 

 世界にはどれくらいの数の移民がいるのか? これはなかなか難しい問題で、国連は2億4400万人(世界の総人口の3.4%)という数字を出していますが、これは1年以上他国に移動して居住する人を計算しており、1年以上いる留学生なども入ってきます。一方、この定義では日本に生まれた韓国・朝鮮籍の人は入ってきません。移民の定義というのはなかなか難しいのです。

 移民の流れに注目すると最大の受入国はアメリカ、以下離されてサウジアラビア、ドイツ、ロシア、UAEとつづきます。送り出し国は1位がインド、さらにメキシコ、ロシア、中国、バングラデシュとつづきます(10−11p図序−2、序−3)。

 移民の経路としてはメキシコ-アメリカが1位で、基本的には近接した国同士の移動が多いですが、中国-アメリカ、インド-UAEといったルートもあります(12p図序-4)。

 さらに移民からの海外送金の総額はODAの総額を超えており、インドは722億ドル、中国は639億ドル、GDPが約2800ドルのフィリピンには297億ドルの送金が流れ込んでいます(13p図序-5、このためフィリピンは「フィリピン海外雇用庁、国際労働問題局などを設置して自国民を積極的に海外に送っている(66-68p)。経済における移民の存在感は大きくなっているのです。

 

 こうした移民をめぐる状況をざっと見た上で、第1章では各国のとる政策と移民の関係が分析されています。

 ヨーロッパでは出国の権利が広く認められるようになったのはフランス革命以降であり、基本的に人々の移動は制限されていました。人口は国力の一つでしたし、ロシアの農奴などのように国内における移動すら制限されている国もありました。

 もちろん、20世紀になってもすべての人が自由に移動できたわけではありません。第二次世界大戦後、東西に分断されたドイツでは東ドイツから西ドイツへの移動がつづきました。その数は1949年〜61年までで累計250万人を超え、東ドイツの人口の約13%に相当するものでした。当初は、「階級の敵」を追放する安全弁として捉えていた東ドイツ政府も、若い世代や技術者などの出国がつづくと、体制存続の危機と捉えられるようになりベルリンの壁が作られます。東ドイツは人々の移動を壁の建設によって阻止したのです。

 しかし、それでも西ドイツに脱出する人はゼロにはならず、1989年に社会主義の支配体制が緩むと、再び出国者が激増し、ついにはベルリンの壁は崩壊します。

 一方、同じ分断国家の韓国と北朝鮮の間でも北から南へと亡命しようとする脱北者が話題になりますが、まだ無秩序な流出は起こっていません。

 

 さらにこの章では、冷戦下におけるソ連国内のユダヤ人の出国問題もとり上げられています。イスラエルユダヤ人の出国を求め、ユダヤロビー団体アメリカとソ連の通商交渉にこの問題を絡めることに成功しますが、かえってそれはソ連の反発を呼び、ユダヤ人の出国は進みませんでした。ユダヤ人のイスラエルへの出国が進むのは冷戦終結後のことになります。

 

 近年、先進国は移民を選別する姿勢を強めており、ポイント制などによって高度人材であれば積極的に受け入れるというスタンスの国も増えています。

 しかし、これは送り出す側からすると「頭脳流出」ということになります。2010年にはギアナで生まれた高度技術を持ち人材の90%がOECD諸国に居住しているそうですし(45p)、アフリカや中南米の国にとってこの「頭脳流出」は頭の痛い問題です。また、シンガポールでさえも「海外に留学したシンガポールの学生のうち、最も優秀な人材が帰国しない」(46p)とのことであり、難しい問題となっています。

 もっとも、インドや台湾などでは流出した頭脳が母国に帰ってきてIT関連のビジネスを立ち上げることも多く、彼らのつくるネットワークが送り出し国の利益になることもあります。ただし、やはり一定以上の数の流出はやはりその国にマイナスの影響を与えるようです。

 

 一方、自国民を「戦略的に棄民する」という通常では考えにくい行動をとる国家もあります。

 ピッグス湾事件やキューバ危機の後の1965年、キューバは突然、アメリカに親類のいるキューバ人は自由に船で出国して良いと発表しました。当初はカストロの虚仮威しかと思われましたが、キューバの対岸のフロリダでは不安が高まり、ジョンソン政権は秘密裏にキューバ政府と交渉を開始します。この交渉によってカストロは出国ルートを閉じましたが、この後もキューバアメリカを交渉のテーブルに引き出すためにしばしばこの手を使いました。特に1980年には4月から9月にかけて実際に12万5000人がフロリダに到着しました。当時のカーター政権は当初はこれらの難民を歓迎しましたが、結局は海上でこれを取り締まることになります。

 

 現在、大きな問題となっているのがメキシコからアメリカに入ってくる不法移民ですが、1942〜60年代前半にかけて両国の間ではブラセロ・プログラムという枠組みがありました。

 不法移民といえば、メキシコ→アメリカですが、19世紀半ばまではメキシコ領だったテキサスにアメリカから不法入植者が入り込むという事態がつづきました。1846年の米墨戦争によって国境は現在の形に落ち着きますが、この頃は国境の管理も弱く、メキシコ人は旧メキシコ領との間を自由に往来していました。

 1920年代から農業恐慌が進行すると、アメリカの農場で働いていたメキシコ人労働者は邪魔者扱いされ、多くがメキシコに強制送還されましたが、第二次世界大戦が始まると一転して人手不足となり、アメリカはメキシコ人の労働力を必要とするようになります。

 そこで結ばれたのがブラセロ・プログラムです。メキシコ側に募集センターが設けられ、審査の上で雇用されることになったメキシコ人労働者はアメリカの農場に振り分けられる仕組みがつくられたのです。

 第二次世界大戦が終わった後もこのプログラムはつづけられましたが、1960年にCBSのドキュメンタリー「恥辱の収穫」が放送されると、移民労働者の厳しい実態に対する批判が強まり、結局、このプログラムは64年に終結します。ただし、このプログラムによってアメリカの雇用主とメキシコ人労働者の間には相互依存的なネットワークが形成されることになりました。これは後の非正規移民の増加にも影響を与えています。

 

 第2章で扱われているのは国家の意図せざる人の移動です。その代表例が非正規移民(不法移民)です。

 現在、アメリカには約1100万人の非正規移民がいるとされています。これは人口の約3.4%にあたり、それなりの規模です。アメリカでは1980年代以降、麻薬問題と絡んで非正規移民を取り締まる姿勢を示していますが、それでも非正規移民が減らないのは国境管理が難しいからです。

 1904年にわずか75人で発足したアメリカの国境警備隊は2012年には2万1000人の職員を抱えるまでになりました。それでも長大な国境のすべてを監視することは不可能ですし、密入国者を捕まえても強制退去にするだけであれば、彼らは再び国境を越えようと戻ってくるかもしれません。また、国境の警備を強化すれば一度入国に成功した人は帰りにくくなるでしょうし、そもそも観光や商用などの目的で合法的に入国し、そのままオーバーステイとなる非正規移民も多いのです。

 

 国境の管理には限界があるため、移民の送り出し国に協力を求めるケースも多いですが、限界もあります。例えば、スペインはアフリカにセウタ、メリリャという飛び地があり、ここを通して人や商品が非合法に越境してきました。

 スペインのEU加盟に伴ってここでの国境管理は格段に強化され、モロッコ政府にも協力が求められましたが、ここがスペインからモロッコへの密輸出の一大拠点になっていることは公然の秘密であり、完璧な国境管理がなされているわけではありません。

 また、国内の雇用主に圧力をかけるという方法や大々的な強制送還を行うという不法もありますが、人権に絡んでくる部分もあり、非正規移民を一掃する切り札とはなりえていません。

 そこで、非正規移民を合法化する措置もとられています。これによって雇用条件や教育水準が改善しするというプラス面はありますが、こうした措置はさらなる非正規移民を呼び寄せることにもなりかねません。

 

 国家の意図せざる人の移動の一例が難民です。かつてはオスマン帝国などの帝国の解体、インドとパキスタンの分離・独立などによって多くの人々が難民となりましたが、その概念は拡大しています。

 国内で移動を強いられている国内避難民も難民としてカウントされるようになっていますし、内戦の長期化とともに、難民キャンプで生まれ育つような人々も出てきています。

 2016年の時点で、世界中の強制的に移動させられた人々の総数は6560万人で、その内訳は認定された難民が2250万、国内避難民が約4000万、庇護申請者が280万人だといいます(110p)。

 送り出し国は、シリア、アフガニスタン南スーダンソマリアスーダンの上位5カ国で難民人口の55%を占めており、一方、受入国の上位はトルコ、パキスタンレバノン、イラン、ウガンダエチオピア、ヨルダンといった送り出し国の隣国が多く、先進国の受入人数は多くはありません(110-112p)。

 

 難民申請者のすべてが難民として認められるわけではありません。中には逃亡中の犯罪者、経済移民にすぎない者も混じっており、難民として認められない者もいます。

 ただし、彼らを強制送還するのは人権や人道の立場、そしてコスト面からも難しいです。またヨーロッパではある国で不認定となっても、別の国に移動して再び難民申請するケースもあり、不認定となりながら滞在する者も多いです。

 そこで、難民を移動中の洋上で捕捉したり、第三国の協力を得るケースもあります。イタリアは地中海を越えてくる難民を減らすためにリビアカダフィ大佐に協力を求めましたし、EUも急増する難民に対処するためにトルコに協力を求めました。

 

 結果として、多くの難民が途上国に滞留するようになっています。

 世界最大の難民キャンプと言われるケニアのダダーブでは2016年時点で約50万人のソマリア人が暮らしているといいます。この規模はナイロビ、モンバサにつぐケニア第三の都市と言っていいものであり、自治も行われていますが、ケニア政府はキャンプの住民が外に出て居住したり働くことを認めておらず、一種の閉鎖空間を形成しています。

 キャンプの中には映画館やサッカーリーグも存在し、ここ以外の場所に行ったことがないままに25年以上暮らしている世代も生まれています。キャンプに暮らす人々の中にはキャンプよりも劣悪な環境であるソマリアへの帰還を嫌がる人も多く8割が帰国を望んでいないといいます。また、このキャンプがイスラーム過激派組織の温床となっているという指摘もあります。

 ケニア政府はたびたび閉鎖を求めていますが、この規模まで来ると問題を先送りするしかないのが現状でしょう。

 

 第3章は「国家とそのメンバーシップ」と題され、国民の枠組みをめぐる問題が考察されています。 

 国民国家ができる以前、人々は地域共同体や宗教共同体に属していました。パスポートは携帯者の身分を証明するためにギルドや大学や軍司令官などが発行するもので、国家が携帯者の国籍を証明するという考えは希薄でした。

 ところが、アメリカの独立革命フランス革命後に国民国家が成立すると、国家と国民の結びつきは大きく変化します。移動の自由が市民的権利として保障されるようになり、それとともに誰が国家のメンバーなのかということをはっきりと確定させる必要が出てきたのです。

 

 移民国家のアメリカでは当然のように「誰がアメリカ人なのか?」という問題が持ち上がりましたし、フランスでもナポレオン法典の制定時に出生地主義血統主義かという問題が起こりました(徴兵可能な人数を増やしたいナポレオンは出生地主義を主張したが、結局はトロンシュの推した血統主義が通った)。

 さらにアメリカではアイルランド移民をめぐる米英の対立も起きます。1840年代の飢饉によって多くのアイルランド人が米国に渡ると、アメリカはアイルランド独立運動の一大拠点となります。しかし、当時のイギリスの国籍法では、アメリカに帰化してもアイルランド人はイギリスの臣民であり、その管轄権が問題となったのです。 

 1866〜71年までの間には、3度にわたってアメリカのアイルランド系の民兵組織が当時イギリス領だったカナダに越境攻撃をしかけたフェニアン事件も起こっています(ちなみにこの事件がカナダでのアメリカへの併合主義運動の影響力を削いだとのこと)。

 

 国民国家の成立と発展は、「国民」と「民族(人種)」の関係をより緊密なものとしました。アメリカではアジア系の移民を排斥する動きが起こりますし、ドイツでもドイツ統一後にエスニックなナショナリズムを重視する動きが起こり、ロシアやオーストリア国籍を持つポーランド人を追放する動きが起こっています。 

 ドイツは1913年の国籍法の制定で、さらに血統主義を強化し、「「異常なまでに厳密で一貫した血縁共同体」への道を歩んだ」(166p)とも評されています。

 

  第4章は移民コミュニティの受け入れをめぐる問題がとり上げられています。

 第二次世界大戦後の西欧先進国では、労働者不足を補うために一定期間を経て帰国することを前提として、いわゆるゲストワーカーが受け入れられましたが、彼らは帰国せずに、移民コミュニティは拡大再生産されました。

 各国は帰国奨励策などを取りましたが十分には機能せず、彼らをどのように統合するかが問題となってきます。

 

 そこで合法的な永住制度であるデニズンと呼ばれる制度が整備されてくることになります。

 定住外国人とデニズンの間の違いは永住権と労働市場、公的社会保障制度へのアクセスなどです。そして、デニズンと国民の相違の中心は参政権になります。

 近年、日本でも永住者への地方参政権を認めるべきだという議論があります。EUではマーストリヒト条約によってこの地方参政権が制度化されましたが、一方、デニズンに無差別の国政参加を認めているのはニュージーランドアイルランドウルグアイ、チリ、エクアドルの5カ国にとどまっています(181p)。

 ニュージーランドアイルランドについては安全保障環境に恵まれていることが一つの背景にあると考えられ、また、チリに関してはピノチェトが自らの政策を支持させるためにヨーロッパ系移民に投票権を与えたと考えられます。ウルグアイの要件は非常に厳しく、エクアドルは移民の送り出し国家であることが背景にあると考えられます。

 

 デニズンの先にあるのが帰化です。西欧諸国などを見ると血統主義から出生地主義へという流れがありますが、そう簡単には行かない地域もありました。例えば、バルト三国ではロシア系の人々の扱いが問題となりました。

 ロシア系の人々が少なかったリトアニアでは比較的簡単に国籍を取得することができましたが、ロシア系の住民が多かったラトヴィアやエストニアでは言語の能力などを国籍の取得要件に課しました。EU加盟に伴い、これらの厳しい要件は撤廃されていますが、言語の習得などの一定の条件を課す国は他にもみられ、190・191pの図4-2と図4-3を見るとテストを課す国が増えていることがわかります。

 また、重国籍も容認される流れとなっていますが、上記のバルト三国はロシアとの関係もあって重国籍に対して一様に慎重です。

 

 帰化をしたとしても文化的・社会的な統合が自然に起こるわけではありません。一時はそれぞれの文化を尊重し合う多文化主義が中心となりましたが、21世紀になると多文化主義に対する失望が大きくなっています。例えば、多文化主義の国として知られているカナダでも、旧ユーゴの内戦時にはカナダのクロアチア系住民とセルビア系住民がそれぞれラジオを通じて非難合戦を繰り広げましたし、長年、カナダに居住していたクロアチアの国防大臣シュシャクは、カナダにおけるクロアチア民族主義運動を組織し、資金を集めた人物でもありました。また、旧ユーゴに派遣されたカナダの部隊はクロアチア軍の攻勢にさらされています。

 こうした中で多文化主義ではなく「統合」を目指す動きが目立ってきていますが、例えば、比較的移民の統合が進んでいたと思われていたフランスでもテロ事件が起こっており、その前途は多難です。

 

 第5章で扱われているのは移民と送り出し国の関係です。

 ユダヤ人を念頭に母国から離散した悲劇の民という意味合いで使われてきた「ディアスポラ」という言葉は、その意味を拡張し、現在では「出身国に対する強い親近感をもった移民集団一般」(213p)を意味する用語として使われています。

 例えば、アフリカやカリブ海地域へと渡ったインド人の年季労働者は労働ディアスポラとして把握されていますし、ある帝国の本国から帝国内の植民地に移住した人々を帝国ディアスポラと呼ぶこともあります。さらに東南アジアに存在する華人コミュニティなどを交易ディアスポラと捉えることもあります。

 

 こうしたディアスポラに対して出身国はさまざまな理由から関与を続けることがあります。前述のフィリピンをはじめインドなども移民やディアスポラとの関係を取り持つ省庁レベルの部局を持っていますし、ドミニカ、あるいはイスラエルなどはアメリカにいるディアスポラに「ロビイスト」としての役割を期待しています。また、こうしたことを行うために重国籍やさまざまな特権を認める国も増えています。

 

 こうしたディアスポラが民族の解放運動や独立運動を支えることもあります。インドの独立運動を支えたのはアフリカ在住のインド人コミュニティでしたし、中国の革命には日本に来た留学生たちが関わっています。

 一方で、本国の分裂や対立がディアスポラのコミュニティに影響を与えることもあります。日本における在日韓国・朝鮮人などはまさしくそうです。

 逆にディアスポラが本国に大きな影響を与える可能性もあり、中国は天安門事件の際、在米の中国人学生のうち、「愛国的」な学生には賄賂を提供し、反政府的傾向のある者は帰国させ、強硬な反体制派には奨学金の差し止めなどとともに親族の海外渡航を禁止したそうです(239-240p)。

 こうした国家とそのメンバーの関係について、本書では現居住国の関与の強弱と出身国による関与の強弱によって4つの類型に分けています(244p図5-3)。

 

 終章では日本が直面する問題がとり上げられています。

 戦前の日本は多民族を抱える帝国でしたが、朝鮮や台湾への日本本土からの移民は比較的少数にとどまりました。一方、アメリカやブラジルなどに移民が送り出され、特に南米への移民は戦後になっても続きました。ところが、高度成長とともにその数は急速に縮小し、1974年に日本人移民を支援してきた海外移住事業団は、対外援助を担う国際協力事業団(JICA)へと再編成されています。

 

 そして、最近に日本では移民の受け入れが大きな問題となっています。安倍政権は「移民」という言葉は使っていませんが、事実上、すでに日本はかなりの規模の「移民」を受け入れているとも言えます(このあたりの問題について望月優大『ふたつの日本』講談社現代新書)を参照)。

 また、北朝鮮からの難民の流出の可能性も捨てきれいないですし、越境する人々をどう扱っていくかということは今後の日本にとって避けて通れない問題です。

 こうしたことに触れ、著者は最後に次のように述べています。

 ここで強調したいのは、人のアイデンティティは、エスニックな起源によって固定されているものではなく、さまざまな条件によって不断に再生産されるものだということであり、このことは当然移民にも当てはまる。(中略)したがって、ある移民コミュニティが、敵対的な出身国の支持者になるのか、それとも最悪の場合には、敵対的な外部勢力の側に追いやるかは、日本という国全体の器量が問われる問題である。言い換えれば、新たな日本の住民を、先住の日本人と、利益、苦節、そして未来も分かち合う日本のメンバーにできるかどうかは、弱者の人権の保護という理想の問題にとどまらず、日本の国力の行方を左右する問題でもある。(294p)

 

 ずいぶんと長いまとめとなってしまいましたが、これは本書が明確な主張や処方箋をもったものではなく、現実の問題を記述することに重点を置いた本だからです。

 国境を超える人々に対して、国民国家や民族といった枠組みを対置することもできますし、多文化主義や人権保障の理想を掲げることも可能です。もしくは経済面や世界システムのような理論から語ることも可能でしょう。

 しかし、どんな理論的な枠組みで語ってもそこからこぼれ落ちていく現象や人々があるということをこの本は教えてくれます。

 読んでスッキリする本ではないですが、多くのことを教えてくれる本です。

 

 

 

『ROMA/ローマ』

 『セロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロン監督作品にして、Netflix製作ながら、アカデミー賞の監督賞を受賞した映画。アップリンクの渋谷でやっていると知り、ようやく見てきました。

 まず冒頭から特筆すべきなのは撮影の上手さ。『ゼロ・グラビティ』のときは撮影監督のエマニュエル・ルベツキで「さすがルベツキ」と思いましたが、キュアロン自らが撮影監督を努めている本作でも空間を非常にうまく使った画作りがなされています。モノクロの映画なのですが、とりあえずはこの画作りうまさだけでも見る価値はあります。

 

 ストーリーは1970年代のメキシコシティを舞台に、中流家庭の白人一家に雇われている家政婦を主人公として、その日常と家族のドラマが描かれています。

 最初は年代を明示するような描写はないですし、物語がどのように展開するかもよくわかりません。主人公の働く家のガレージに残された犬のうんちと、主人公の恋人がフルチンで行う武術(カンフー?)が印象に残って、「これは妙な笑いを見せる映画なのか?」とも思いましたけど、後半になると一気に物語が展開します。

 

 主人公の働く家の愛すべき4人の子どもたち(男の子3人と女の子1人)、その家庭の妻の苦悩、70年代初頭の舞台設定といったものが一気に意味を持ってきてドラマを作り上げていきます。

 また、冒頭からどこかしら不穏な空気が漂っているのですが、その不穏な空気も後半になると「こういうことだったのか」とわかります。このあたりは脚本もうまいですね。

 ちなみに主人公の恋人の謎の武術は、日本の侍とカンフーの混合のような形で「イチ、ニ、サン」と掛け声をかけつつ、なぜか「ジュウハチ、ジュウキュウ、サンジュウ」と20の位が無視されてしまうのですが、この謎の武道の意味も最後の方になって明らかになります。

 

 なかなか言葉で簡潔に魅力を伝えるのは難しい映画なのですが、非常に良くできた映画で、アカデミー賞の監督賞を獲るのも納得の出来ですね。