ラムザイヤー、ローゼンブルース『日本政治と合理的選択』読了

 サマソニのタイムテーブルが発表されたけど、やっぱMUSEDJ Shadowはかぶってる…。まあ、MUSEに全力投球でこんどこそ巨大風船を触ってくるとするかな。

 マーク ラムザイヤー、フランシス・マコール ローゼンブルース『日本政治と合理的選択』を読了。副題に「寡頭政治の制度的ダイナミクス 1868ー1932」とあるように、明治から昭和にかけての日本政治について合理的選択論の視点から分析した本。
 著者らによると、この時期の日本政治に関しては

1、19世紀終盤に政府の支配的地位にあった寡頭指導者が、国家利益の向上に多くを捧げてきた
2、日本の官僚および判事が、自立した存在として行動した
3、寡頭指導者や官僚が、経済成長を効果的に促進する政策を導入した

 という3つの仮説が有力だが、実はそういった事実はなく、その多くは政権にあったものの合理的選択の結果でしかなかったという。
 その議論については、大学で日本の近現代史を学んだ立場からすると、1に関しては著者は半分くらいその論証に成功していて、2はかなり成功、3もそれなりに成功しているという感じです。
 1については、議会の開設、そして権力の所在がある意味曖昧な明治憲法の制定といった部分に関して寡頭指導者同士の争いの妥協の産物であるという点は同意しますが、条約改正の圧力をほぼ無視している点とか、寡頭指導者が単独の独裁者であれば天皇は必要なかった。というような議論はやや疑問が残るかな。
 2はいわゆる「戦前からの官僚神話」を否定するもので、実際にデータを示しながら大正期から昭和初期の政党内閣によって官僚の人事が大幅に行われ、官僚たちがそれぞれ政友会と憲政会(のちに民政党)よりにたって政策を行っていったことがわかります。判事に関してはそれほど明らかではなく、議論の説得力も落ちますが、官僚に関しては今までのイメージを覆すものだと言えます。
 3については、寡頭指導者たちの政策はともかくとして、官僚の政策に関しては上記の通り政友会と憲政会(民政党)の影響が大きいことがわかります。鉄道については有名かもしれませんが、織布カルテルの分析などはカルテルの理論を踏まえた上で鋭い分析がしてあります。
 
 少し堅い本かもしれませんが、今まで「歴史学」的に近現代史を学んできた人にとって新たな視点を提供してくれる本です。

日本政治と合理的選択―寡頭政治の制度的ダイナミクス1868‐1932
マーク ラムザイヤー フランシス・マコール ローゼンブルース J.Mark Ramseyer
4326301627


晩ご飯は餃子とトマト