Oh Wonder / No One Else Can Wear Your Crown

 ロンドンを中心に活動する男女デュオ・Oh Wonderの3rdアルバム。前作の「Ultralife」から聞き始めましたが、男女のツインボーカルのエレポップということで、個人的には非常に好きなタイプのアーティストです。

 今作は前作に比べると少し落ち着いた感じで、前作にあったような躍動感はないのですが、そのぶん、いわゆるポップソングから少し離れた感じの曲が多いです。メロディーで聴かせるというよりは、曲の構成やアレンジで聴かせるような曲も多く、4曲目の"Hallelujah"なんかもメロディは比較的単調なんですけど、こったアレンジで聴かせます。8曲目の"Nothing But You"でも女性ボーカルのJosephine Vander Guchtのラップっぽいのもありますし、ちょっとヒッピホップっぽさもあります。

 9曲目の"I Wish I Never Met You"はHer Space Holidayを思わせる曲で、ストリングスのループをバックに使っていて、ヒップホップの影響を受けたエレクトロニカという感じです。10曲目の"Nebraska"もいいですし、前半はちょっと弱く感じますが、ラストの流れはいいですね。

 

 


Oh Wonder - I Wish I Never Met You (Official Video)

 

 

『1917 命をかけた伝令』

 サム・メンデス監督作品で、第一次世界大戦西部戦線を舞台に、前線の部隊に攻撃中止の命令を伝える伝令の体験を描いた映画。まるで、前編ワンカットで撮影したように構成されていて(途中で暗転するシーンもあるので相当な長回しをつないでいるのだと思いますが)、観客を没入させる形で戦場へと引きずり込みます。

 最初に味方の塹壕を歩き回るシーンでは。「一体どんなセットを組んでいるんだろう?」と思わず考えてしまいますが、だんだんとそういった考えが頭に浮かばなくなるほど緊迫感が増してきます。

 

 ただし、この映画には少し奇妙なところがあって、後半からはやや幻想的なシーンが多くなります。前半は徹底的にリアリズムで行くのかな? と思わせるのですが、後半はやや違うのです(考えられる理由については後述します)。

 この幻想的な感じが強くなることについては賛否もありそうですが、個人的にサム・メンデス湾岸戦争を描いた『ジャーヘッド』の後半にある戦場をさまようシーンを思い出しました。あの映画では油にまみれた馬などが妙に神秘的に描かれていたわけですが、今作にもそういったところがあります。

 ただ、そういった中でもラスト近くにある見方の突撃の中を横切って走るシーンは素晴らしい! 近年の映画の中でも屈指のシーンではないかと思います。

 

 実話ベース好きの最近のハリウッドの動向からすると、後半の幻想的な感じがアカデミー賞の主要部門を逃した原因ではないかとも思いますが、4DXのような周辺機器に頼るのではなく、あくまでも画面を通じて観客を映画の世界に引きつけるという点で、既存の大作映画から一歩踏み込んだ映画と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 以下ネタバレ含みます。

 

 

 この映画が後半幻想的になる要因ですが、おそらく、画面が暗転して夜になる場面でスコフィールドは死んでますよね。

 そうなると後半の妙に幻想的な様子も説明がつきます。例えば、スコフィールドが川に流されるシーンはまるでジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』です(シェイクスピアの『ハムレット』に出てくるオフィーリアは溺死する)。

 また、スコフィールドが赤ん坊を世話する女性にミルクを差し出すシーンも、ミルクを水筒に入れたりする寄り道がトムの死につながったことを考えると、そのミルクに意味をもたせるための想像とも考えられると思う。

 

『フォードvsフェラーリ』

 終わってしまうギリギリで見てきましたが、これはハリウッドの王道映画とも言える作品ですね。

 ル・マン24時間レースで優勝したものの心臓病でレーサーを引退したキャロル・シェルビー(マッド・デイモン)と、偏屈でありながら車の特徴を見抜く目とドライバーとしてのテクニックが抜群なケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)のコンビが、フォードの車でル・マンで当時無敵を誇っていたフェラーリに挑むという話。

 

 当然ながら、マッド・デイモンとクリスチャン・ベールの二人は良いです。特にクリスチャン・ベールは偏屈な人間を自然に演じてますし、マッド・デイモンにも説得力がありますね。他にもケン・マイルズの奥さんを演じたカトリーナ・バルフ、リー・アイアコッカを演じたジョン・バーンサルも良かったと思います。

 このアイアコッカを中心にフォードとフェラーリの因縁(フォードはフェラーリの買収を試みるがフィアットの噛ませ犬にされただけだった)を描いているところや、硬直化しつつある巨大企業フォードの問題点なども描いていて、たんなる男の友情物を超えた面白さがあります。

 

 そしてレースシーンも斬新さとかはないですが、細かいカットをつなぎながら迫力のあるレースシーンを再現してます。ル・マンに関しては、もう少しレース時間の長さを感じさせるような描写にしても良かった気もしますけど、やりすぎるとダレるでしょうし、このあたりは難しいですね。

 

 実話をもとにした王道的な話の進め方で、何か良い意味で期待を裏切る展開とかはないのですが、映画になりそうな話を、きちんと映画として仕上げてきたところにこの映画の良さがあるのだと思います。

 ただ、これが正月映画ではなくて冬休みが終わった後に公開されているところが、近年の日本における洋画の弱さを象徴しているような気がしますね。

 

エリック・A・ポズナー/E・グレン・ワイル『ラディカル・マーケット』

 「市場こそが社会を効率化するもので、できるだけ市場原理を導入すべきだ」という考えは、いわゆる新自由主義の潮流の中でたびたび主張されており、特に目新しい提案ではないです。

 では、この本は何が目新しいのか、何がラディカルなのかというと、私有財産を一種の独占とみなして、その市場における特権的な地位を再検討していることです。資本主義というと市場経済私有財産制がその柱となっていますので、資本主義自体を問い直そうとする思い切った試みになります。

 

 こちらのページの安田洋祐の解説によると、E・グレン・ワイルは学部生時代から大学院生たちを(ティーチング・アシスタントとして)教える、スーパーな学部生で、平均で5、6年はかかる経済学の博士号(Ph.D.)を、たった1年でゲットしてしまう天才的な人物だそうです。

 もう1人の著者はゲイリー・ベッカーと共著のある人かと思ったら、そちらはリチャード・アレン・ポズナーで、こちらはエリック・A・ポズナーでした。こちらはロースクールの教授になります。

 この本は各章ごとに1つの制度改革を訴えており、以下でもその中身を章ごとに簡単に見て、それぞれについての感想を書いていきます。

 

 目次は以下の通り。

序文 オークションが自由をもたらす
序 章 自由主義の秩序の危機
第1章 財産は独占である――所有権を部分共有して、競争的な使用の市場を創造する
第2章 ラディカル・デモクラシー――歩み寄りの精神を育む
第3章 移民労働力の市場を創造する――国際秩序の重心を労働に移す
第4章 機関投資家による支配を解く――企業支配のラディカル・マーケット
第5章 労働としてのデータ――デジタル経済への個人の貢献を評価する
結論 問題を根底まで突き詰める
エピローグ 市場はなくなるのか

 

  第1章は「財産は独占である」と題されており、私有財産制の不可侵性を一部解除するような提案がなされています。

 私有財産制こそ資本主義の根幹だと思われていますが、私有財産制は必ずしも効率的とは言えない部分もあります。例えば、鉄道や道路をつくろうとしたとき、土地の所有者の1人でも反対すれば、工期は長引き、ルートも最短距離から変更されたりするかもしれません。

 

 この問題を解決しようとしたのが19世紀の経済学者ヘンリー・ジョージです。ジョージは土地の地代に100%の課税をすることで土地の独占を解消しようとしました(地主は全く儲からなくなる)。

 このジョージの提案はいささか問題含みのものでしたが、1996年にノーベル経済学賞を受賞したウィリアム・S・ヴィックリーはオークション的な手法を導入することで、土地などの独占の問題を解決しようとしました。さまざまなものを共同所有という形にして、それを使う権利が絶えずオークションにかけられるような制度を構想したというのです(このあたりの書き方は微妙でヴィックリー自身がどこまで構想していたのかはよくわからない(95−96p))。

 

 本書ではこのアイディアをもとに土地に関する自己申告税制が提案されています。これは孫文も考えたことで、近年ではアーノルド・ハンバーガーが主張しています。

 まずは自分の持つ不動産の価値を自己申告させその価値に基づいて納税させます。当然、人びとは過少申告しそうですが、一方でその金額を払う者が現れたなら、必ずその金額で売ることを義務付けるのです。これによって土地の所有者は自らの正確な評価額を申告する必要が出てきます。そうしなければ他者に買われてしまうからです。

 

 本書ではこの税を富の「共同所有申告税(COST)」と名付けています。これによって土地の独占が排除されるとともに、財産から来る利益の一部が公共に移転されます。運用に関する細かい細部に関しては114〜117pに書かれていますが、著者らはこのCOSTによって資産が今以上に有効に活用されると考えています。また、資産価格は低下すると考えられます(将来払う税金を計算に入れなければならないので)。

  このCOSTは不動産以外にも例えば電波のような公共財にも適用できますし、COSTを年7%程度の税率にすれば他の非効率な税を廃止することでもできます。格差に関しても資産に課税が行われるので縮小すると考えられます。

 

 感想:なかなか面白いアイディアだと思いますが、人びとが経済的な合理性を重視して行動していくれないと困った面も起きてくるのではないかと思います。例えば、金持ちが気に入らない隣人を追放するためにその隣人の不動産を買い取るということも十分にありえるのではないかと。「独占の最大の利益は、静かな暮らしを送れることだ」(120p)というヒックスの言葉が紹介されていて、本書ではCOSTこそ怠惰を許さない効率的なしくみだとされているのです、むしろ最低限の「静かな暮らし」を保障する仕組みがないと個人的には困ると思いました。

 

 第2章は民主主義の新しいスタイルが検討されています。簡単に言えば「票を貯める」事ができるしくみです。

 民主主義では「1人1票」が基本ですが、けっこうな数の有権者が棄権しています。その理由はその人が政治の意義を理解してないことや、その人の怠惰に求まられたりもしますが、「投票する前から結果が明らかである」、「その選挙(イシュー)には興味がない」というケースも多いと思います。

 

 この後者のケースを解決できるのがボイスクレジットのしくみ(QV)です。有権者はボイスクレジットというものを貯めることができ、それは平方根関数に従う形で、1ボイスクレジット=1票、4ボイスクレジット=2票、9ボイスクレジット=3票という形で行使できるのです。

 つまり毎年一回、選挙や国民投票があるとして、毎回参加するなら1票を、4年に1回だけ参加するなら2票を、25年に1回参加するなら5票を投じられるわけです。

 これによって政治活動に熱心な人が政治を左右してしまう状況を変えることができますし、いわゆる「忘れられた人々」を生み出しにくくなります。今までは「どうせ選挙に行かないでしょ」と無視された人びとが多くの票を溜め込んでいて、彼らの行動こそが選挙結果を左右することになるかもしれないからです。

 

 一方でこれは少数者の利益を擁護することにもつながるかもしれません。例えば、今の日本で夫婦別姓に関する国民投票をやった場合、どちらが勝つかは微妙でしょう。けれども、このQVのしくみのもとで行えば、夫婦別姓に重要な利益を見出している女性たちが複数票を投じることで通る可能性は高まるのではないでしょうか。

 また、著者らはボイスクレジットという予算成約がつくことで分極化を抑える効果があるのではないかと期待しています。例えば、オバマケアへの賛否も一般的な調査では「強い賛成」と「強い反対」に分極化しますが、QVを使った調査だと他の項目でボイクレジットを使ってしまうこともあり、オバマケアへの賛否はより緩やかになります(179p図2.4参照)。

 さらに著者らは選挙において「不支持」の票を投じることができるようにすべきだとも提案しています(185−186p)。

 

 感想:これはこの本の中でももっとも面白い提案だと思います。上にも書いたように「忘れられた人々」の問題を解決するために大きな力を発揮しそうですし、有権者の自分の行動の有効性を高めそう。ただし、ずっと認知症で票が貯まっている人が狙われたりといった細かい問題は残るでしょう。また、こうなるとマスコミの事前報道が重要になりそう。例えば、5選くらいしている知事で選挙は毎回ワンサイドゲーム、多くの人はここ2,3回棄権に回っているというような状況があり、そこに有望そうな新人が出てきた場合、マスコミが事前報道でどのくらいの数字を示すかで選挙に行く人の数が大きく変わってきて結果も変わってくるでしょう。例えば、事前報道で現職70:新人30と現職65:新人35という数字があったとして、後者なら今までの棄権者が一気に動くというようなことが有り得そうです。ちなみに「結論」ではボイスクレジットを金銭に置き換える提案もされているけど、それは良くない。

 

 第3章は途上国の移民を先進国に住む個人が引き受けるというアイディア。

 一般的な経済学の観点からは国境が開放されて途上国から先進国へ労働者が移住すれば生産性が上がり、世界全体が豊かになると言われています。一方、途上国から多くの低技能労働者が先進国にやってくれば打撃を受けるのが先進国の低技能労働者です。

 そこで提案されるのが個人間ビザ制度(VIP)です。これは一般市民が誰でも移住労働者の身元引受人になれる制度で、一般市民は1人の移民を引き受けることができます。移住労働者は福祉給付は承けられず、引き受けた市民がある程度世話をする必要があります。その代わりに引き受けた市民は移住労働者から給与の一定の割合を受け取ります。移住労働者は母国よりも高い賃金を手にし、引き受けた市民はその一部を受け取ることができるというわけです。

 著者らはこれによって双方が経済的利益を受けるだけでなく、双方の理解が進み、反移民の感情なども緩和されるのではないかと見ています。

 

 感想:これは本書の中で一番筋が悪い提案のように思えます。先進国の市民が途上国の若者を性的に搾取する目的で引き受けるということが十分にありすですし、そもそも個人が赤の他人についての責任を引き受けるというのは難しいのではないかと思います。いくらテレビ電話でマッチングをしたとしても手に負えないような人物がやってきてしまう可能性はありますし、労災にあってしまったときの対応など、なかなか難しいものがあるでしょう。

 

 第4章は「機関投資家による支配を解く」と題されています。これはさまざまな企業の株式を保有する機関投資家の存在が健全の競争を阻害しているのではないか? という疑問に答えるものです。

 機関投資家アメリカの株式市場の時価総額の1/5以上を支配しており、分散投資とパッシブ運用(長期保有)がスタンダードな戦略となっています。これによって一種の独占が生じているというのが著者らの主張です。

 

 例えば、アメリカの6代銀行の株主を見ると、ブラックロック、フィデリティ、バンガード、ステート・ストリートといった機関投資家が上位にいます(265p表4.1参照)。こうした状況は価格競争を阻害する恐れがあります(銀行だと想像しにくいけど、この機関投資家による支配は他の産業でも起きている)。A社の株のみを持っている株主であればライバルのB社に勝ってシェアを伸ばすことを望むでしょうが、A社とB社の株を持つ機関投資家が望むことは両社が利益を分け合うことでしょう。 実際、航空業界では機関投資家が株式を保有している航空会社が競合しているときのほうが、そうでないときよりも運賃が高くなる傾向があるそうです(273−274p)。

 このような機関投資家はライバルに勝つことよりも人員削減を行うことによって株主の利益を増やすことを望むかもしれません。

 

 そこで著者らは「寡占状態で1社以上の実質支配企業の株式を所有し、コーポレートガバナンスにかかわっている投資家は、市場の1%以上を所有することはできない」(277p)というルールを主張しています。インデックスファンドに関しては、企業とやり取りをしない、他の投資家と同じ割合で投票する「ミラー投票」を行うなどの条件をつければ認めてもいいと考えています。

 著者らはこの章の終わりで労働市場における買い手独占についても批判しています。企業が結託して労働者を安く買い叩くような行為を政府は規制すべきだというのです。こうした分野を含めて反トラスト法をもっと幅広く適用すべきだというのが著者らの考えになります。

 

 感想:テクニカルな部分についてはわかりませんが、この機関投資家の規制というのはありではないかと思います。企業同士のカルテルを規制しても、機関投資が多くの企業の大株主となればカルテルを結んでいるのと同じであり、一定の規制は正当化できるのではないでしょうか。四半期ごとの決算ばかりにこだわる株主が大半になれば、企業の長期的な成長も疎外される気がしますし。

 

 第5章はデジタル経済におけるデータの問題について。GoogleFacebookといった企業は利用者のデータを解析してそこから巨額の収益をあげています。一方で、そのデータを提供した個人には報酬が支払われるわけではありません(さまざまなサービスを無料で使えるというメリットはありますが)。

 そこで本章では「データ労働」という考えを提唱しています。現在の機械学習においてはデータはあればあれほどよい状況であり、追加的なデータにも価値があります。しかし、現実の世界ではデータに関しては書いて独占が起きており(GoogleFacebookといった一部のプラットフォームが圧倒的に強い)、これをなんとかしたいというのが著者らの考えです。

 方向性としてはユーザーが労働組合的なものをつくって対価を要求する、タグ付けなどに対価を払うなどが提起されていますが、具体的な方策に関してはやや曖昧です。

 

 感想:方向性としてはありだとしても、実効性や具体的な方策としてはやや弱く感じました。巨大プラットフォームの個人データ収集に関しては一定の歯止めなりルールが必要だとは思うのですが、この章を読んでも答えを得たような気にはなりませんね。

 

 全体の感想:タイトルに「ラディカル」とついているだけあって、まさにラディカルなアイディアが示されていて面白いと思います。今まで「市場を重視」というとリバタリアニズム自由至上主義)が思い浮かびましたが、本書で主張される立場は私有財産制を大きく揺るがすものでリバタリアニズムとはそこが大きく違っています。「市場至上主義」とも言うべき立場で面白いと思います。

 ただし、全体的にあまりにも人間が経済的な動機と行動するものだと想定していると思いました。途中でヒックスの「独占の最大の利益は、静かな暮らしを送れることだ」という言葉を紹介しましたが、独占は別にしても、効率的なしくみだけではなく「静かな暮らし」を保障するようなしくみも必要ではないかと思いました。

 

 

パク・ミンギュ『短篇集ダブル サイドA』

 『ピンポン』『三美スーパースターズ』という2冊の長編が非常に面白かったパク・ミンギュの短編集。この短編集は2枚組のアルバムを意識しており、『サイドA』と『サイドB』が同時に発売されていますが、とりあえず『サイドA』から読んでみました。

 収録されている作品は、現代韓国を舞台にしたものとSFの2種類があり、SF作品は奇想系の作品に近いテイストです。

 

 とりあえず前半に収録されている「近所」、「黄色い河に一そうの舟」、「グッバイ、ツェッペリン」の三作は現代の韓国を舞台にした作品で、いずれも非常に上手いと思います。

 「近所」はガンになって仕事を辞めた男が主人公、「黄色い河に一そうの舟」は退職して認知症の妻を抱える男が主人公。いずれも競争社会をドロップアウトしてしまった人物を中心にして、軽快なタッチで、しかも深く、人生のままならなさを描いています。

 「グッバイ、ツェッペリン」は小さな広告会社に務める主人公と先輩が、広告のために空に浮かべたもののロープが切れて飛んでいってしまった飛行船を追いかけるというもの。こちらもまさにままならない状況を描いているわけですが、そのままならなさのおかしみと、先輩との関係の変化といったものが面白いです。ちなみに、いきなり仮面ライダー555が出てきます。

 

 また、なんといっても気持ちがいいのがそのスピード感のある文体。基本的に小さなブロックごとに文章を作っていくようなスタイルなのですが、そこに短文を差し挟むことで加速するような文体をつくり上げています。例えば、こんな感じ。

 

 人間は結局、めいめいの死を待つために耐えに耐えている存在じゃなかったか。その部屋で荷物をほどいて、僕は掃除を始めた。あのときの水気がまだ手に残っているような感じだ。悲しげな月が

 

 わが身を削っているような、深夜だ。

 

 『天路歴程』の第一部を読み終えるころ、ホギから電話がかかってきた。(「近所」25p)

 

 SF系の作品に関しては、ディテールというよりはアイディア勝負の作品が多く、不条理系とも言えるような作品もあります。

 そんな中で面白く感じたのが、「グッドモーニング、ジョン・ウェイン」と「〈自伝小説〉サッカーも得意です」。

 「グッドモーニング、ジョン・ウェイン」は人体の冷凍技術が発達し、不治の病になった人びとが将来の治療のために自らの身体を冷凍するようになった未来が舞台の作品で、ジョン・ウェインが核実験場で映画の撮影をしたために死んだという都市伝説や、全斗煥大統領らしき人物を登場させ、最後にオチを決めます。SF系の作品の中ではもっとも完成度が高いでしょうか。 

 一方、「〈自伝小説〉サッカーも得意です」は自分の前世はマリリン・モンローだったという突拍子もない話から、いかに自分が文学者になったかということを宇宙人なども登場させて描きます。もちろん、無茶苦茶な話ですが、パク・ミンギュの無茶苦茶な話は面白いです。

 

 やはり力のある書き手であることは間違いなく、これは『サイドB』も読まなければなりませんね。

 

 

『リチャード・ジュエル』

 一言で言えば非常に「反時代的」な映画。基本的には、イーストウッドがここ最近好んで取り上げる、「無名の人の行った英雄的行為」を描いたもの。アトランタオリンピックの開催中に起きた爆弾テロ事件において、爆弾をいち早く発見し、被害の拡大を防いだリチャード・ジュエルが主人公です。

 ただし、この話のポイントは、リチャード・ジュエルがヒーローから一夜にして容疑者扱いされるようになったことにあります。英雄になるために自ら爆弾を仕掛けてそれを発見するというのは過去に見られた手口でもあり、リチャードもそういった人物ではないかと疑われたのです。

 しかも、それがFBIからマスコミにリークされたことから、リチャードはマスコミに追い回され、彼と母親は生き地獄を経験することになります。このリチャードを以前からの知り合いであった弁護士のワトソン・ブライアントが救うというのが映画の筋書きです。

 

 このように書くと、いかにも映画になりそうな話ではあるのですが、この映画に関しては主人公のリチャード・ジュエルが、母親と同居するややマザコン気味の貧乏な白人男性で、デブで権威好きでガンマニアで同性愛嫌悪でと、およそ現代のハリウッド映画で主人公になれないような属性をもつ人間なのです。

 普通の映画監督であれば少し人物像の修正を行いたいところですが、イーストウッドはこのようなやや問題含みの人物をそのままに描き出し、彼を通じて「普通の人々のプライド」を描き出します。

 一方、リチャード・ジュエルを最初に容疑者扱いする記事を書いた女性記者の扱いはひどいです。最後に改心して涙を流すシーンもありますが、それすらも「薄っぺらい人間は最後まで薄っぺらいものだ」ということを描こうとしたのではないかという穿った見方をしてしまいます。

 

 太宰治が敗戦後に真の自由主義者が今叫ぶべき言葉は「天皇陛下万歳!」だということを短編の「パンドラの匣」で言っていますが、この映画はポリティカル・コレクトネス全盛の時代に「天皇陛下万歳!」と叫んでいるような映画だと思いました。

 

2010年代、社会科学の10冊

 2010年代になって自分の読書傾向は、完全に哲学・思想、心理、社会、歴史といった人文科学から政治、経済などの社会科学に移りました。その中でいろいろな面白い本に出会うことができたわけですが、基本的に社会科学の本、特に専門書はあまり知られていないと思います。

 人文科学の本は紀伊國屋じんぶん大賞など、いろいろと注目される機会はあるのに対して、社会科学の本はそういったものがないのを残念に思っていました。もちろん、いい本は専門家の間で評価されているわけですが、サントリー学芸賞などのいくつかの賞を除けば、そういった評価が一般の人に知られる機会はあまりないのではないかと思います。

 

 そこで社会科学の本の面白さを広めようとして書き始めたこのエントリーですが、最初にいくつか言い訳をします。

  まず、「社会科学の本」と大きく出たものの、法学や経営学の本はほぼ読んでいませんし、以下にあげた本を見てもわかるように社会学の本も経済学の本も不十分で、政治学の本が中心となっています。ですから、「2010年代、政治学の10冊」というまとめを書くべきだったのかもしれません。

 

 けれども、「2010年代、政治学の10冊」というエントリーだと、何か2010年代の政治学を総括するような内容を期待されそうですし、そんな能力はありません。

 もっと素人の目から特に確固たる視点もなく今読んでも面白い本を紹介したかったので、「2010年代、社会科学の10冊」という大それたタイトルにしました。さすがに2010年代の社会科学を総括できる人なんていないと思うので(いたらすみません)、このほうが読み手の期待値を下げられるという予測です。

 

 選んだ基準としては、(1)2010年代に刊行された日本人の著者による社会科学の本、(2)面白い、(3)今なおタイムリーな問題を扱っている、(4)15年以上くらいは本としての寿命がありそう、(5)難しすぎず、専門的教育を受けてなくても理解できる、(6)紀伊國屋じんぶん大賞とかでランクインしていなさそう、(7)新書は除く、の6点です。

 ちなみに(6)の基準に引っかかりそうな1冊を最後に番外として紹介しています。(7)に関しては、最初は新書も含めて選ぼうかと思いましたが、新書なら改めて紹介するまでもなく読まれるべき本はそれなりに読まれているのではないかと考えて除外しました(もし需要と時間があれば新書ブログのほうで「2010年代の新書」をやるかもしれません)。

 

 

手塚洋輔『戦後行政の構造とディレンマ』(2010)

 

 

 

 2010年代、ネットで根強く問題にあり続けていたのが子宮頸がんワクチンをはじめとするワクチンの問題だと思います。風疹が流行し妊婦にも影響を与えているというニュースを聞いたときに「なんで接種を義務化しておかなかったんだ?」と思った人もいると思います。

 根強い「反ワクチン」の思想がどこから来ているのか? ということも興味深いことではありますが、同時に厚生労働省がなぜこんなに及び腰なのか? と疑問に思う人もいると思います。

 その後者の疑問に答えるのがこの本です。本書は何かをして失敗した「作為過誤」と、何かをしないことによって失敗した「不作為過誤」という概念を使って予防接種の歴史をたどっていきます。予防接種には副作用がつきものであり、強制すれば副作用という「作為過誤」が発生し、予防接種をしなければ感染症の流行という「不作為過誤」が発生します。このディレンマに官僚たちがどう対処したのかということを本書は明らかにしています。

 ワクチン接種の推進には「作為過誤」によって起こった問題の責任をどう考えるかという視点も必要なのです。

 

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小宮友根『実践の中のジェンダー』(2011)

 

 

 

 

 社会学に関しては以前よりもめっきり読まなくなってしまったのですが、10年代にも面白い本はいろいろとあったのでしょう。外野から見ていた感じでは岸政彦と筒井淳也の活躍が目立ったような気がしますし、実際に岸政彦『同化と他者化」も筒井淳也『仕事と家族』が面白かったと思います。

 ただ、個人的に一番面白いと感じたのがこの本。タイトルに「ジェンダー」という言葉が入っているので、「そういう話はノーサンキュー」という人もいるとは思いますが、本書の魅力は、副題が「法システムの社会学的記述」となっていることからもうかがえるように、第一部はルーマンなどをとり上げた理論社会学の話になります。

 ルーマンの他にも、ジュディス・バトラー、オースティン、デリダウィトゲンシュタインについて触れ、エスノメソドロジーに至る内容は非常の濃密で、特にルーマンの社会秩序についての以下のまとめはわかりやすくかったです。

・可能なふるまいの限定(構造)が、あるふるまい(作動)を それとして理解可能にしていること
・あるふるまい(作動)が、可能なふるまいの限定(構造)をそれとして理解可能にしていること(75p)

 さらに第2部ではそうした社会の構造のもとで問題となるジェンダーの問題を、「強姦罪」、「ポルノグラフィ」に対する法のあり方から読み解いていきます。殺人などでは加害者の意志やパーソナリティが問われるのに、強姦罪では被害者の意志やパーソナリティが問われてしまう問題などが分析されています。

 ただし、自分はこの本の議論にすべて賛成するわけではありません。第7章でとり上げられているマッキノンのポルノグラフィ規制の議論についても、理屈はわかっても賛成はしません。(必ずしもこの本が「個人的なことは政治的なことである」と主張しているわけではありませんが、)アーレントトクヴィルから政治学に入った者としては公私二元論は政治権力を抑制するものとしてもやはり捨てがたいです。

 

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水島治郎『反転する福祉国家』(2012)

 

 

 

 今から20年前、欧米先進国においてここまで排外主義が大手を振っていることを想像した人は少なかったと思います。もちろん、フランスの国民戦線(現在は国民連合)でのような昔からの極右勢力はいましたが、2002年の大統領選の決選投票で大敗したように、やはり「キワモノ」感は拭えなかったと思います。

 しかし同じ頃、オランダではピム・フォルタインによってより洗練された排外主義が登場していました。フォルタインは同性愛者の権利や妊娠中絶などの女性の権利、安楽死や麻薬も認めるリバタリアンと言ってもいい人物で、その立ち位置から女性の権利や同性愛に不寛容なイスラム教を攻撃しました。

 当時のオランダはワークシェアリングの成功などによって失業率は低下しており、決して経済的な苦境が排外主義を呼び込んだわけではありません。また、大麻安楽死が合法化されているようにオランダは基本的に「リベラル」な国です。

 本書では、オランダが「リベラル」な福祉国家だからこそ、排外主義が生まれたという理論を展開しています。その議論は説得的ですし、近年になってデンマークなどでも高福祉+排外主義の組み合わせが観察されるようになっており、本書の議論に説得力を与えています。アメリカやイギリスを見ていると、白人労働者に十分な福祉なり仕事なりを提供すれば排外主義は収まるようにも思えますが、事態はそう単純でもないのです。

 同じ著者の『ポピュリズムとは何か』(中公新書)もその後のポピュリズムや排外主義の展開を考える上で非常に面白い本だと思います。

 なお、本書は岩波現代文庫に入っており、今なら1500円以下で読めるのもうれしいところです。

 

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遠藤乾『統合の終焉』(2013)

 

 

 

 2010年代、さまざまな危機を抱え続けていたのがヨーロッパであり、EUでした。そうした危機を扱った本としては同じ著者による『欧州複合危機』(中公新書)があり、10年代にヨーロッパを襲い、一部は現在も続いている危機について知りたい人はそちらを読めば十分かと思います。

 しかし、本書の「まえがき」に書かれている「大文字の「統合(Integration)」は終わった。けれども、どっこいEU欧州連合)は生きている」との言葉は、現在のEUを表すのに今なお最適な言葉のような気がしますし、EUが何を成し遂げ、何を成し遂げられなかったことがわかります。

 また、本書はEUという超国家的なプロジェクトを通じて、国民国家のしぶとさを再認識させられる本でもあります。そして、国家を越えた共同体の可能性や限界を教えてくれるだけはなく、それを分析する政治や法の枠組みの可能性や限界も教えてくれる本です。

 個人的にEUについてはユーロこそが厄介さの大きな源だと思っているのですが、そのあたりについては竹森俊平『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』(日経プレミア)を読むと良いと思います。 

 

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久米郁男『原因を推論する』(2013)

 

 

 

 10年代は因果推論について解説した入門書がいろいろと出版されました。この本もそうした1冊と言えるのですが、因果推論について解説した本としてはひと世代前のものかもしれません。RCT(ランダム化比較試験)の話もルービンの因果モデルの話とかも出てこないので、より進化した因果推論について勉強したいのであれば、中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』か伊藤公一朗『データ分析の力』(光文社新書)を読むといいでしょう。

 それでもこの本をあげたのは、社会科学全般の入門書として、あるいは政治学のブックガイドとして面白く読めると思ったからです。

 やはり、いまだに日本で一番有名な政治学者は丸山眞男で、政治学者というと「あるべき政治の姿を語る人」というイメージが有るのではないかと思います。もちろん、そうした規範的な研究も重要なのですが、それとともに重要なのでが「なぜそのような政治になっているのか?」という解いとその答えです。

 本書はその答えの出し方について、データを使ったものから、比較事例研究、単一事例研究、とさまざまなスタイル別に検討していきます。比較事例研究や単一事例研究についても扱っているので、例えば歴史に興味がある人にも得るところがあると思います。

 また、政治学のブックガイドとしても利用できる面があり、自分はこの本を読んで、レイプハルト『民主主義対民主主義』バリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』、マイケル・L・ロス『石油の呪い』といった本を読みましたが、いずれも面白かったです。

 

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佐藤滋・古市将人『租税抵抗の財政学』(2014)

 

 

 

 10年代にアグレッシブな活動を行った財政学者に井手英策がいます。彼の主張は『幸福の増税論』岩波新書)にも見られるように、普遍的福祉+消費税増税なわけですが、個人的には現在のようなデフレ的な状況では消費税増税による福祉財源の確保は難しいのではないかと思っています。

 そこで、推したいのがこの本。日本は世界でも税負担が少ない国であるはずなのに、国民の痛税感、「租税抵抗」は非常に大きい。これはなぜなのか?ということを探りつつ、所得税の立て直しを訴えています。

 格差を解消するには、貧しい人たちだけを取り出して重点的に福祉を給付すれば良いように思えますが、実は「人々に対する政府の移転給付を選別的にすればするほど、経済全体の格差は広がる」という「再分配のパラドックス」と呼ばれるものがあります。貧しい人たちだけを選別するやり方は、福祉全体に対する反対を強め、福祉の受給者にスティグマを与えるのです。

 本書は、そうした状況から抜け出すために普遍主義的福祉(所得に関わらず誰でも受けられる)を訴え、その財源として累進性が弱まったしまった所得税の立て直しを主張しています。

 

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神取道宏『ミクロ経済学の力』(2015)

 

 

 

 経済学に関しては、ここ10年ほどで大きな変化があったと思います。行動経済学の台頭やオークションやマッチング理論の普及など、いろいろな変化がありましたが、2008年のリーマン・ショック以降、経済学の考え方そのものにも変化が出てきたように思えます。

 以前は、「とりあえず『マンキュー経済学』を読め」という感じで、とりあえず『マンキュー経済学』の冒頭に書いてある「経済学の十大原理』に基づいて考えていけばいいようなイメージもありましたが、リーマン・ショック以降、「その原理は本当なのか? 実証すべきでないのか?」という風潮が強くなってきたように思えます。

 そうした時代のテキストとしてふさわしいのが本書です。東京大学経済学部のミクロ経済学の講義をもとにしたものですが、ミクロ経済学の理論を示すだけではなく、現実のデータとリンクさせながらそれを実感させてくれます。特に平均費用や限界費用の曲線を東北電力の費用曲線を例にして示してくれた部分は「おおっ」と思いました。

 ゲーム理論に関しても詳しく説明してくれていますし、実証が再び重視されるようになった時代にふさわしいテキストだと思います。

 ただ、もちろん経済学の素養がまったくない人には難しいかもしれないので、そういう人は坂井豊貴『ミクロ経済学入門の入門』(岩波新書)でを読んで、ミクロ経済学でふどんなことができそうなのか? というイメージを掴んでみてから読むかどうか決めてもいいかもしれません。

 

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前田健太郎『市民を雇わない国家』(2015)

 

 

 

 5800円+税ということで、簡単には手が出せない本ではあるのですが、書かれていることは非常に重要で、まさにすべての有権者に知ってもらいたいことです。

 この本に書かれている重要なこととは、「日本の公務員の数や労働人口に占める公務員の割合は他国に比べて圧倒的に少ない」ということです。福祉国家の発展したヨーロッパに比べて少ないのは当然かも知れませんが、実はアメリカよりも労働人口に占める公務員の割合は少ないです。独立行政法人公益法人を入れてもやっぱり少ないのです。

 本書は、「どうして日本の公務員が少なくなったのか?」という謎の歴史的な背景を明らかにしながら、公務員の少なさが何をもたらしたのかを次のように指摘しています。

 最も大きな不利益を被ったと考えられるのは、他の国であれば公務員になれたにもかかわらず、日本では公務員になることができなかった社会集団、すなわち女性である。(260p)

 また、この公務員を増やせないという状況は非正規公務員を生み、公務員間の大きな格差を生み出しました。このあたりの状況に関しては上林陽治『非正規公務員』がお薦めです。

 なお、著者は去年、『女性のいない民主主義』という新書も出しています。タイトルを聞いた時は、日本の公務員数の少なさが女性の政治や社会への進出を阻んでいるということを述べる本なのかと思いましたが、読んでみたら今まで政治学ジェンダーの視点からひっくり返すという思い切った本でした。こちらも面白いです。

 

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 神林龍『正規の世界・非正規の世界』(2017)

 

 

 

 経済学者の主戦場は完全に単著から論文へと移っている感じですが、なぜか骨太の専門書が出てくるのが労働経済学の分野で、この本もそうした中の1冊です。

 正規雇用と非正規雇用の格差の問題は00年代の半ばから常に話題となり続けてきました。「派遣労働に対する規制緩和が行われたことで正規雇用が減って、派遣のような非正規が増えた」、このような主張はいろいろなところで目にしたことがあると思います。

 ところが、本書によれば、派遣労働者は派遣法が最も緩和されていた2007年10月1日の時点で約160万人、有業人口に対する比率は2.4%ほどに過ぎない存在ですし、正規雇用はたいして減っているわけではありません。

 では、増えている非正規はどこから来ているのかというと、同時期に減少しているのは自営とその家族従業者などです。つまり、自営業者が減って非正規が増えているのです。これは街から個人商店が消えてチェーン店が増えていったことを考えるとわかりやすいと思います。

 本書はこのことだけではなく、雇用と労働に関するさまざまな知見を明らかにしています。読み応えのある本ですが、グラフなども工夫されており面白く読めるはずです。

 他にも非正規雇用に関する本としては、隣国である韓国との比較を通じて日本の非正規雇用の捉えられ方や待遇について分析した有田伸『就業機会と報酬格差の社会学』も面白かったですね。

 

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待鳥聡史『民主主義にとって政党とは何か』(2018)

 

 

 10年代に最も活躍した政治学者というと、個人的には著者だったのではないかと思っています。単著だけ見ても、2012年の『首相政治の制度分析』サントリー学芸賞を獲って、中公新書から『代議制民主主義』を出して、『政党システムと政党組織』を出して、『アメリカ大統領制の現在』を出して、さらに本書を出しています。

 そんな数ある本の中で、著者の考えのエッセンスがわかりやすくまとまっているのと思われるのがこの本。セミナーでの話が元になっているのでわかりやすいですし、基本的には政党の話ではありますが、民主政治の理論の位置づけから現在の政治情勢への分析までが披露されており、「待鳥政治学」の入門書としてぴったりな本です。

 日本の政治を三権分立の三角形で説明する図式(中学や高校の教科書によく載っているやつ)は間違っているというズバリな指摘もありますし、現在の政治学が分析するより深い政党と政治の姿を教えてくれる内容になっています。

 10年代は著者の他にも関西の大学で教鞭をとる研究者の好著が相次いだために、「関西政治学」なる言葉もできましたが、本書以外にも砂原庸介『分裂と統合の日本政治』と曽我謙悟『現代日本の官僚制』は最後までこのリストに入れようか迷った1冊です。前者は自民・民主の二大政党制がなぜ根付かなかったということを国政と地方レベルの選挙制度のズレに求めた本で、後者は日本の官僚制について各国に当てはまるはずのモデルを考えてそのモデルとモデルからのズレを説明しようとした本です。

 

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善教将大『維新支持の分析』(2018)

 

 

 

 10年代、大阪の政治は大阪維新の会とともにあったと言ってもいいでしょう。橋下徹に率いられた維新は、数々の選挙に勝ち、大阪の政治風景を一変させました。そして、この躍進の説明としてポピュリズムという概念、あるいは稀代のポピュリストとしての橋下徹という存在がクローズアップされました。

 ところが、この説明では、橋下徹引退後も続く維新の強さ、大阪以外での維新の弱さ、2015年の大阪都構想をめぐる住民投票での敗北をうまく説明できません。もし、大阪市民が橋下徹の扇動に乗っただけなのであれば、橋下徹の引退後に維新は失速したはずですし、大阪以外の地域でももっと勝てたはずですし、橋下徹が自らの地位を賭けた住民投票に勝利したはずです。

 本書が解いていくのはこの謎です。著者はさまざまな分析を駆使しながら、有権者橋下徹に踊らされる「大衆」ではなく、批判的志向性を持った「市民」だったということ示していきます。

 ちなみに、この本に関しては、ひょっとしたら最初にあげた条件の「(4)15年以上くらいは本としての寿命がありそう」に一部引っかかうところが出てくるかもしれません。本書が分析の対象とするおおさか維新の会が15年後に今のような勢力を誇っているかどうかはわからないからです(大阪都構想に「成功」して、勢いと自らに有利な選挙制度を失って低迷する可能性はあると思う)。

 それでも本書をここにあげたのは、まず面白いからですし、そしてこの本で使われているサーベイ実験の手法(さまざまな質問についてその一部をランダムに入れ替えたりしながら有権者の判断基準や思考法を読み取ろうとするもの)が、近年さかんになってきており、この本以外にも河野勝『政治を科学することは可能か』、遠藤晶久/ウィリー・ジョウ『イデオロギーと日本政治』といった興味深い本が出てきているからです。方法論的にもためになる本だと思います。

 

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・ 番外

梶谷懐『「壁と卵」の現代中国論』(2011)

 

 

 

 タイトルからすると評論家の書いた中国論みたいですし、内容的にも村上春樹に触れているなど(タイトルは村上春樹のスピーチから)、人文書といっていいような側面もあります。ただし、著者は中国のマクロ経済を専門とする経済学者で、間違いなく経済学の本でもあります。

 2011年発売の本であり、中国の経済と社会に関してはそのときから大きく変化した部分もあります。そのため中国経済については同じ著者の『中国経済講義』(中公新書)、中国社会については高口康太との共著『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)を読んだほうがいいかもしれませんが、中国の経済と社会を見る視点や、著者の問題意識の面白さに関しては、本書が一番良く味わえるのではないかと思います。

 

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 以上になりますが、ちなみに上から読んでいこうとすると、冒頭の2冊はやや硬い本なので難しく感じるかもしれません。読みやすいのは『反転する福祉国家』、『原因を推論する』、『租税抵抗の財政学』、『民主主義にとって政党とは何か』、『「壁と卵」の現代中国論』といったところです。

 

 このようなリストを目にすると、頭に浮かぶ感想は「この本がない、あの本がない」ということだと思います。最初にも書いたようにそれは当然だと思うので、「この本がない、あの本がない」と思った人は、ぜひブログかTwitterかなんかで「2010年代、社会科学の10冊」のリストをつくってほしいと思います。