2010年代、社会科学の10冊

 2010年代になって自分の読書傾向は、完全に哲学・思想、心理、社会、歴史といった人文科学から政治、経済などの社会科学に移りました。その中でいろいろな面白い本に出会うことができたわけですが、基本的に社会科学の本、特に専門書はあまり知られていないと思います。

 人文科学の本は紀伊國屋じんぶん大賞など、いろいろと注目される機会はあるのに対して、社会科学の本はそういったものがないのを残念に思っていました。もちろん、いい本は専門家の間で評価されているわけですが、サントリー学芸賞などのいくつかの賞を除けば、そういった評価が一般の人に知られる機会はあまりないのではないかと思います。

 

 そこで社会科学の本の面白さを広めようとして書き始めたこのエントリーですが、最初にいくつか言い訳をします。

  まず、「社会科学の本」と大きく出たものの、法学や経営学の本はほぼ読んでいませんし、以下にあげた本を見てもわかるように社会学の本も経済学の本も不十分で、政治学の本が中心となっています。ですから、「2010年代、政治学の10冊」というまとめを書くべきだったのかもしれません。

 

 けれども、「2010年代、政治学の10冊」というエントリーだと、何か2010年代の政治学を総括するような内容を期待されそうですし、そんな能力はありません。

 もっと素人の目から特に確固たる視点もなく今読んでも面白い本を紹介したかったので、「2010年代、社会科学の10冊」という大それたタイトルにしました。さすがに2010年代の社会科学を総括できる人なんていないと思うので(いたらすみません)、このほうが読み手の期待値を下げられるという予測です。

 

 選んだ基準としては、(1)2010年代に刊行された日本人の著者による社会科学の本、(2)面白い、(3)今なおタイムリーな問題を扱っている、(4)15年以上くらいは本としての寿命がありそう、(5)難しすぎず、専門的教育を受けてなくても理解できる、(6)紀伊國屋じんぶん大賞とかでランクインしていなさそう、(7)新書は除く、の6点です。

 ちなみに(6)の基準に引っかかりそうな1冊を最後に番外として紹介しています。(7)に関しては、最初は新書も含めて選ぼうかと思いましたが、新書なら改めて紹介するまでもなく読まれるべき本はそれなりに読まれているのではないかと考えて除外しました(もし需要と時間があれば新書ブログのほうで「2010年代の新書」をやるかもしれません)。

 

 

手塚洋輔『戦後行政の構造とディレンマ』(2010)

 

 

 

 2010年代、ネットで根強く問題にあり続けていたのが子宮頸がんワクチンをはじめとするワクチンの問題だと思います。風疹が流行し妊婦にも影響を与えているというニュースを聞いたときに「なんで接種を義務化しておかなかったんだ?」と思った人もいると思います。

 根強い「反ワクチン」の思想がどこから来ているのか? ということも興味深いことではありますが、同時に厚生労働省がなぜこんなに及び腰なのか? と疑問に思う人もいると思います。

 その後者の疑問に答えるのがこの本です。本書は何かをして失敗した「作為過誤」と、何かをしないことによって失敗した「不作為過誤」という概念を使って予防接種の歴史をたどっていきます。予防接種には副作用がつきものであり、強制すれば副作用という「作為過誤」が発生し、予防接種をしなければ感染症の流行という「不作為過誤」が発生します。このディレンマに官僚たちがどう対処したのかということを本書は明らかにしています。

 ワクチン接種の推進には「作為過誤」によって起こった問題の責任をどう考えるかという視点も必要なのです。

 

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小宮友根『実践の中のジェンダー』(2011)

 

 

 

 

 社会学に関しては以前よりもめっきり読まなくなってしまったのですが、10年代にも面白い本はいろいろとあったのでしょう。外野から見ていた感じでは岸政彦と筒井淳也の活躍が目立ったような気がしますし、実際に岸政彦『同化と他者化」も筒井淳也『仕事と家族』が面白かったと思います。

 ただ、個人的に一番面白いと感じたのがこの本。タイトルに「ジェンダー」という言葉が入っているので、「そういう話はノーサンキュー」という人もいるとは思いますが、本書の魅力は、副題が「法システムの社会学的記述」となっていることからもうかがえるように、第一部はルーマンなどをとり上げた理論社会学の話になります。

 ルーマンの他にも、ジュディス・バトラー、オースティン、デリダウィトゲンシュタインについて触れ、エスノメソドロジーに至る内容は非常の濃密で、特にルーマンの社会秩序についての以下のまとめはわかりやすくかったです。

・可能なふるまいの限定(構造)が、あるふるまい(作動)を それとして理解可能にしていること
・あるふるまい(作動)が、可能なふるまいの限定(構造)をそれとして理解可能にしていること(75p)

 さらに第2部ではそうした社会の構造のもとで問題となるジェンダーの問題を、「強姦罪」、「ポルノグラフィ」に対する法のあり方から読み解いていきます。殺人などでは加害者の意志やパーソナリティが問われるのに、強姦罪では被害者の意志やパーソナリティが問われてしまう問題などが分析されています。

 ただし、自分はこの本の議論にすべて賛成するわけではありません。第7章でとり上げられているマッキノンのポルノグラフィ規制の議論についても、理屈はわかっても賛成はしません。(必ずしもこの本が「個人的なことは政治的なことである」と主張しているわけではありませんが、)アーレントトクヴィルから政治学に入った者としては公私二元論は政治権力を抑制するものとしてもやはり捨てがたいです。

 

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水島治郎『反転する福祉国家』(2012)

 

 

 

 今から20年前、欧米先進国においてここまで排外主義が大手を振っていることを想像した人は少なかったと思います。もちろん、フランスの国民戦線(現在は国民連合)でのような昔からの極右勢力はいましたが、2002年の大統領選の決選投票で大敗したように、やはり「キワモノ」感は拭えなかったと思います。

 しかし同じ頃、オランダではピム・フォルタインによってより洗練された排外主義が登場していました。フォルタインは同性愛者の権利や妊娠中絶などの女性の権利、安楽死や麻薬も認めるリバタリアンと言ってもいい人物で、その立ち位置から女性の権利や同性愛に不寛容なイスラム教を攻撃しました。

 当時のオランダはワークシェアリングの成功などによって失業率は低下しており、決して経済的な苦境が排外主義を呼び込んだわけではありません。また、大麻安楽死が合法化されているようにオランダは基本的に「リベラル」な国です。

 本書では、オランダが「リベラル」な福祉国家だからこそ、排外主義が生まれたという理論を展開しています。その議論は説得的ですし、近年になってデンマークなどでも高福祉+排外主義の組み合わせが観察されるようになっており、本書の議論に説得力を与えています。アメリカやイギリスを見ていると、白人労働者に十分な福祉なり仕事なりを提供すれば排外主義は収まるようにも思えますが、事態はそう単純でもないのです。

 同じ著者の『ポピュリズムとは何か』(中公新書)もその後のポピュリズムや排外主義の展開を考える上で非常に面白い本だと思います。

 なお、本書は岩波現代文庫に入っており、今なら1500円以下で読めるのもうれしいところです。

 

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遠藤乾『統合の終焉』(2013)

 

 

 

 2010年代、さまざまな危機を抱え続けていたのがヨーロッパであり、EUでした。そうした危機を扱った本としては同じ著者による『欧州複合危機』(中公新書)があり、10年代にヨーロッパを襲い、一部は現在も続いている危機について知りたい人はそちらを読めば十分かと思います。

 しかし、本書の「まえがき」に書かれている「大文字の「統合(Integration)」は終わった。けれども、どっこいEU欧州連合)は生きている」との言葉は、現在のEUを表すのに今なお最適な言葉のような気がしますし、EUが何を成し遂げ、何を成し遂げられなかったことがわかります。

 また、本書はEUという超国家的なプロジェクトを通じて、国民国家のしぶとさを再認識させられる本でもあります。そして、国家を越えた共同体の可能性や限界を教えてくれるだけはなく、それを分析する政治や法の枠組みの可能性や限界も教えてくれる本です。

 個人的にEUについてはユーロこそが厄介さの大きな源だと思っているのですが、そのあたりについては竹森俊平『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』(日経プレミア)を読むと良いと思います。 

 

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久米郁男『原因を推論する』(2013)

 

 

 

 10年代は因果推論について解説した入門書がいろいろと出版されました。この本もそうした1冊と言えるのですが、因果推論について解説した本としてはひと世代前のものかもしれません。RCT(ランダム化比較試験)の話もルービンの因果モデルの話とかも出てこないので、より進化した因果推論について勉強したいのであれば、中室牧子・津川友介『「原因と結果」の経済学』か伊藤公一朗『データ分析の力』(光文社新書)を読むといいでしょう。

 それでもこの本をあげたのは、社会科学全般の入門書として、あるいは政治学のブックガイドとして面白く読めると思ったからです。

 やはり、いまだに日本で一番有名な政治学者は丸山眞男で、政治学者というと「あるべき政治の姿を語る人」というイメージが有るのではないかと思います。もちろん、そうした規範的な研究も重要なのですが、それとともに重要なのでが「なぜそのような政治になっているのか?」という解いとその答えです。

 本書はその答えの出し方について、データを使ったものから、比較事例研究、単一事例研究、とさまざまなスタイル別に検討していきます。比較事例研究や単一事例研究についても扱っているので、例えば歴史に興味がある人にも得るところがあると思います。

 また、政治学のブックガイドとしても利用できる面があり、自分はこの本を読んで、レイプハルト『民主主義対民主主義』バリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』、マイケル・L・ロス『石油の呪い』といった本を読みましたが、いずれも面白かったです。

 

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佐藤滋・古市将人『租税抵抗の財政学』(2014)

 

 

 

 10年代にアグレッシブな活動を行った財政学者に井手英策がいます。彼の主張は『幸福の増税論』岩波新書)にも見られるように、普遍的福祉+消費税増税なわけですが、個人的には現在のようなデフレ的な状況では消費税増税による福祉財源の確保は難しいのではないかと思っています。

 そこで、推したいのがこの本。日本は世界でも税負担が少ない国であるはずなのに、国民の痛税感、「租税抵抗」は非常に大きい。これはなぜなのか?ということを探りつつ、所得税の立て直しを訴えています。

 格差を解消するには、貧しい人たちだけを取り出して重点的に福祉を給付すれば良いように思えますが、実は「人々に対する政府の移転給付を選別的にすればするほど、経済全体の格差は広がる」という「再分配のパラドックス」と呼ばれるものがあります。貧しい人たちだけを選別するやり方は、福祉全体に対する反対を強め、福祉の受給者にスティグマを与えるのです。

 本書は、そうした状況から抜け出すために普遍主義的福祉(所得に関わらず誰でも受けられる)を訴え、その財源として累進性が弱まったしまった所得税の立て直しを主張しています。

 

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神取道宏『ミクロ経済学の力』(2015)

 

 

 

 経済学に関しては、ここ10年ほどで大きな変化があったと思います。行動経済学の台頭やオークションやマッチング理論の普及など、いろいろな変化がありましたが、2008年のリーマン・ショック以降、経済学の考え方そのものにも変化が出てきたように思えます。

 以前は、「とりあえず『マンキュー経済学』を読め」という感じで、とりあえず『マンキュー経済学』の冒頭に書いてある「経済学の十大原理』に基づいて考えていけばいいようなイメージもありましたが、リーマン・ショック以降、「その原理は本当なのか? 実証すべきでないのか?」という風潮が強くなってきたように思えます。

 そうした時代のテキストとしてふさわしいのが本書です。東京大学経済学部のミクロ経済学の講義をもとにしたものですが、ミクロ経済学の理論を示すだけではなく、現実のデータとリンクさせながらそれを実感させてくれます。特に平均費用や限界費用の曲線を東北電力の費用曲線を例にして示してくれた部分は「おおっ」と思いました。

 ゲーム理論に関しても詳しく説明してくれていますし、実証が再び重視されるようになった時代にふさわしいテキストだと思います。

 ただ、もちろん経済学の素養がまったくない人には難しいかもしれないので、そういう人は坂井豊貴『ミクロ経済学入門の入門』(岩波新書)でを読んで、ミクロ経済学でふどんなことができそうなのか? というイメージを掴んでみてから読むかどうか決めてもいいかもしれません。

 

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前田健太郎『市民を雇わない国家』(2015)

 

 

 

 5800円+税ということで、簡単には手が出せない本ではあるのですが、書かれていることは非常に重要で、まさにすべての有権者に知ってもらいたいことです。

 この本に書かれている重要なこととは、「日本の公務員の数や労働人口に占める公務員の割合は他国に比べて圧倒的に少ない」ということです。福祉国家の発展したヨーロッパに比べて少ないのは当然かも知れませんが、実はアメリカよりも労働人口に占める公務員の割合は少ないです。独立行政法人公益法人を入れてもやっぱり少ないのです。

 本書は、「どうして日本の公務員が少なくなったのか?」という謎の歴史的な背景を明らかにしながら、公務員の少なさが何をもたらしたのかを次のように指摘しています。

 最も大きな不利益を被ったと考えられるのは、他の国であれば公務員になれたにもかかわらず、日本では公務員になることができなかった社会集団、すなわち女性である。(260p)

 また、この公務員を増やせないという状況は非正規公務員を生み、公務員間の大きな格差を生み出しました。このあたりの状況に関しては上林陽治『非正規公務員』がお薦めです。

 なお、著者は去年、『女性のいない民主主義』という新書も出しています。タイトルを聞いた時は、日本の公務員数の少なさが女性の政治や社会への進出を阻んでいるということを述べる本なのかと思いましたが、読んでみたら今まで政治学ジェンダーの視点からひっくり返すという思い切った本でした。こちらも面白いです。

 

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 神林龍『正規の世界・非正規の世界』(2017)

 

 

 

 経済学者の主戦場は完全に単著から論文へと移っている感じですが、なぜか骨太の専門書が出てくるのが労働経済学の分野で、この本もそうした中の1冊です。

 正規雇用と非正規雇用の格差の問題は00年代の半ばから常に話題となり続けてきました。「派遣労働に対する規制緩和が行われたことで正規雇用が減って、派遣のような非正規が増えた」、このような主張はいろいろなところで目にしたことがあると思います。

 ところが、本書によれば、派遣労働者は派遣法が最も緩和されていた2007年10月1日の時点で約160万人、有業人口に対する比率は2.4%ほどに過ぎない存在ですし、正規雇用はたいして減っているわけではありません。

 では、増えている非正規はどこから来ているのかというと、同時期に減少しているのは自営とその家族従業者などです。つまり、自営業者が減って非正規が増えているのです。これは街から個人商店が消えてチェーン店が増えていったことを考えるとわかりやすいと思います。

 本書はこのことだけではなく、雇用と労働に関するさまざまな知見を明らかにしています。読み応えのある本ですが、グラフなども工夫されており面白く読めるはずです。

 他にも非正規雇用に関する本としては、隣国である韓国との比較を通じて日本の非正規雇用の捉えられ方や待遇について分析した有田伸『就業機会と報酬格差の社会学』も面白かったですね。

 

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待鳥聡史『民主主義にとって政党とは何か』(2018)

 

 

 10年代に最も活躍した政治学者というと、個人的には著者だったのではないかと思っています。単著だけ見ても、2012年の『首相政治の制度分析』サントリー学芸賞を獲って、中公新書から『代議制民主主義』を出して、『政党システムと政党組織』を出して、『アメリカ大統領制の現在』を出して、さらに本書を出しています。

 そんな数ある本の中で、著者の考えのエッセンスがわかりやすくまとまっているのと思われるのがこの本。セミナーでの話が元になっているのでわかりやすいですし、基本的には政党の話ではありますが、民主政治の理論の位置づけから現在の政治情勢への分析までが披露されており、「待鳥政治学」の入門書としてぴったりな本です。

 日本の政治を三権分立の三角形で説明する図式(中学や高校の教科書によく載っているやつ)は間違っているというズバリな指摘もありますし、現在の政治学が分析するより深い政党と政治の姿を教えてくれる内容になっています。

 10年代は著者の他にも関西の大学で教鞭をとる研究者の好著が相次いだために、「関西政治学」なる言葉もできましたが、本書以外にも砂原庸介『分裂と統合の日本政治』と曽我謙悟『現代日本の官僚制』は最後までこのリストに入れようか迷った1冊です。前者は自民・民主の二大政党制がなぜ根付かなかったということを国政と地方レベルの選挙制度のズレに求めた本で、後者は日本の官僚制について各国に当てはまるはずのモデルを考えてそのモデルとモデルからのズレを説明しようとした本です。

 

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善教将大『維新支持の分析』(2018)

 

 

 

 10年代、大阪の政治は大阪維新の会とともにあったと言ってもいいでしょう。橋下徹に率いられた維新は、数々の選挙に勝ち、大阪の政治風景を一変させました。そして、この躍進の説明としてポピュリズムという概念、あるいは稀代のポピュリストとしての橋下徹という存在がクローズアップされました。

 ところが、この説明では、橋下徹引退後も続く維新の強さ、大阪以外での維新の弱さ、2015年の大阪都構想をめぐる住民投票での敗北をうまく説明できません。もし、大阪市民が橋下徹の扇動に乗っただけなのであれば、橋下徹の引退後に維新は失速したはずですし、大阪以外の地域でももっと勝てたはずですし、橋下徹が自らの地位を賭けた住民投票に勝利したはずです。

 本書が解いていくのはこの謎です。著者はさまざまな分析を駆使しながら、有権者橋下徹に踊らされる「大衆」ではなく、批判的志向性を持った「市民」だったということ示していきます。

 ちなみに、この本に関しては、ひょっとしたら最初にあげた条件の「(4)15年以上くらいは本としての寿命がありそう」に一部引っかかうところが出てくるかもしれません。本書が分析の対象とするおおさか維新の会が15年後に今のような勢力を誇っているかどうかはわからないからです(大阪都構想に「成功」して、勢いと自らに有利な選挙制度を失って低迷する可能性はあると思う)。

 それでも本書をここにあげたのは、まず面白いからですし、そしてこの本で使われているサーベイ実験の手法(さまざまな質問についてその一部をランダムに入れ替えたりしながら有権者の判断基準や思考法を読み取ろうとするもの)が、近年さかんになってきており、この本以外にも河野勝『政治を科学することは可能か』、遠藤晶久/ウィリー・ジョウ『イデオロギーと日本政治』といった興味深い本が出てきているからです。方法論的にもためになる本だと思います。

 

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・ 番外

梶谷懐『「壁と卵」の現代中国論』(2011)

 

 

 

 タイトルからすると評論家の書いた中国論みたいですし、内容的にも村上春樹に触れているなど(タイトルは村上春樹のスピーチから)、人文書といっていいような側面もあります。ただし、著者は中国のマクロ経済を専門とする経済学者で、間違いなく経済学の本でもあります。

 2011年発売の本であり、中国の経済と社会に関してはそのときから大きく変化した部分もあります。そのため中国経済については同じ著者の『中国経済講義』(中公新書)、中国社会については高口康太との共著『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)を読んだほうがいいかもしれませんが、中国の経済と社会を見る視点や、著者の問題意識の面白さに関しては、本書が一番良く味わえるのではないかと思います。

 

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 以上になりますが、ちなみに上から読んでいこうとすると、冒頭の2冊はやや硬い本なので難しく感じるかもしれません。読みやすいのは『反転する福祉国家』、『原因を推論する』、『租税抵抗の財政学』、『民主主義にとって政党とは何か』、『「壁と卵」の現代中国論』といったところです。

 

 このようなリストを目にすると、頭に浮かぶ感想は「この本がない、あの本がない」ということだと思います。最初にも書いたようにそれは当然だと思うので、「この本がない、あの本がない」と思った人は、ぜひブログかTwitterかなんかで「2010年代、社会科学の10冊」のリストをつくってほしいと思います。

 

 

『ラストレター』

 岩井俊二監督作品。とりあえず、映画.COMに載っているあらすじは次のようなもの。

姉・未咲の葬儀に参列した裕里は、未咲の娘・鮎美から、未咲宛ての同窓会の案内状と未咲が鮎美に遺した手紙の存在を告げられる。未咲の死を知らせるため同窓会へ行く裕里だったが、学校の人気者だった姉と勘違いされてしまう。そこで初恋の相手・鏡史郎と再会した彼女は、未咲のふりをしたまま彼と文通することに。やがて、その手紙が鮎美のもとへ届いてしまったことで、鮎美は鏡史郎と未咲、そして裕里の学生時代の淡い初恋の思い出をたどりはじめる。主人公・裕里を松たか子、未咲の娘・鮎美と高校生時代の未咲を広瀬すず、鏡史郎を福山雅治、高校生時代の鏡史郎を神木隆之介がそれぞれ演じる。

 

 いろいろな語り方ができる作品だと思いますが、まず特筆すべきは松たか子のコメディエンヌとしての才能と森七菜のかわいさ。広瀬すずと森七菜を並べて森七菜のほうをかわいく撮れるのは岩井俊二ならではですね。『Love Letter』の酒井美紀もそうでしたけど、岩井俊二はちょっと薄めの顔の女優を非常にかわいく撮りますね。

 

 映画は未咲の葬儀の場から始まりますが、前半は松たか子の明るさもあって主婦のちょっとした冒険のような形で物語が進みます。裕里(松たか子)を庵野秀明が演じているのですが、庵野秀明がちょっと変な人物を素なんだか演技なんだかわからない感じで演じていて面白いですし、やはり松たか子が楽しいです。

 前半は手紙をめぐって繰り広げられている錯綜した関係がどのような出来事をきっかけとして1つにまとまるのかな? と思いながら見ていました。

 

 ところが、裕里が鏡史郎(福山雅治)に対して過去の出来事を打ち明けるシーンから、主人公は裕里から鏡史郎へとスイッチし、物語のトーンはやや暗くなります。

 とにかくこの鏡史郎は過去の初恋に縛られている男で、いろいろあっても日常を軽やかにこなしている裕里は対照的です。ネットでも指摘されていましたが、この鏡史郎のあり方はすごく『秒速5センチメートル』っぽいです。

 中山美穂豊川悦司の『Love Letter』コンビも、『Love Letter』からは想定しがたい形で登場しますし、重い話になっていきます。

 

 ただ、それでも鮎美(広瀬すず)と裕里の娘の颯香(森七菜)の2人は美しく、観客は鏡史郎を通じて、人生の輝きとままならなさを感じていくことになります。このあたりのバランスは非常に上手いと思いました。

 ちなみに福山雅治の若い頃を演じる神木隆之介も達者です。

 とは言っても、やはりこの映画の肝は松たか子で、松たか子の「確かさ」のようなものが映画に安定感を与えているのだと思います。

 

Hello Saferide / The Fox, the Hunter and Hello Saferide

 00年代最高のポップソング"2006"を世に送り出したHello Saferideの3rdアルバム。ただし、このアルバムは2014年、今から6年前にリリースされています。

 大好きだったのになんで気づかなかったというと、2ndから6年空いたのと、Amazonで取り扱っていなかったから。もう出ないのかなぁ? と思いつつも、思い出したときにAmazonでチェックしていたのですが、それではダメだったという…。

 みなさんもAmazonにすべてがあるとは思わないようにしましょう。

 

 アルバムの中身はというと、特に何か目新しいことをやるアーティストではないので、1stと2ndの延長線上という印象ですが、やはりよいと思います。

 今回のアルバムの目玉は10曲目の"Rocky"、Hello SaferideことAnnika Norlinのボーカルのエモさとかわいさが炸裂した曲で、サビの♪I love you more♪の部分とかは最高です。Annika Norlinは1977年生まれなので、このときに37歳くらいだったと思うのだけど、素晴らしくかわいらしい歌いっぷりとなっている。

 

 3曲めの"I Was Jesus"の早口で歌うところもいいです、6曲目の"Rasberry Lips"もゆったりとしていてAnnika Norlinのボーカルが映えるきれいな曲です。その他の曲もメロディもいいですし、ファンだった人はぜひ。iTunesストアで買えます。

 


Hello Saferide - Rocky

 

岡奈津子『〈賄賂〉のある暮らし』

 副題は「市場経済化後のカザフスタン」。中央アジアカザフスタンを舞台に人々の生活の間に賄賂がどのように根を下ろしているのか、人びとはそれをどう感じているのかということを探った本になります。

 途上国において、賄賂がものを言うと話はよく聞きますし、賄賂を始めとした腐敗や不正が経済成長を阻んでいるという話も聞きます。

 では、実際に賄賂がさかんに使われている国における生活はどのようなものでしょうか? 本書では、多くの人々へのインタビューを通じてカザフスタンにおける驚くべき実態を明らかにするとともに、賄賂が組み込まれた社会の仕組みを明らかにしています。

 

 目次は以下の通り。

第1章 中央アジア新興国カザフスタン

第2章 市場経済化がもたらしたもの

第3章 治安組織と司法の腐敗

第4章 商売と〈袖の下〉
第5章 入学も成績もカネしだい

第6章 ヒポクラテスが泣いている

 

 カザフスタンと聞いてもあまりピンとこない人も多いかもしれませんが、世界第9位の広さをほこる中央アジアの国です。

 政治に興味がある人ならソ連時代の末期に大統領となり30年近い独裁政権を築いたヌルスルタン・ナザルバエフ大統領のことや、そのナザルバエフが去年(2019年)についにその座を退いたことを知っているかもしれませんし、フィギュアスケートが好きであればソチオリンピックの男子で銅メダルを獲得し、その後、暴漢に刺されて亡くなるという悲劇に襲われたデニス・デン選手のことを知っているかもしれません。

 

 ナザルバエフもデニス・デン選手も知らないという人もいるでしょうが、本書の第1章では、その国土や政治情勢、民族や言語、人びとの暮らしといったことを丁寧に紹介しているので、これを読めばカザフスタンがどのような国であるかはわかると思います。

 カザフスタンは、ナザルバエフが党首を務めるヌル・オタン党が国会の議席をほぼ独占する権威主義国家で、大統領の血族や姻族が政治や経済分野において重要なポジションについています。

 民族的にカザフ人が中心ですが、ソ連時代はカザフ遊牧民を襲った大飢饉とロシア人などの入植の影響で、1959年にはカザフ人の割合は3割ほどに落ち込みましたが、ソ連崩壊後にロシア人などが去ったことやカザフ人呼び寄せ政策の影響もあり、現在はカザフ人が68%を占めています(38-39p表1-1参照)。

 言語はカザフ語とロシア語が使われていますが、2025年までにカザフ語をキリル文字ではなくラテン文字表記にする予定になっています。

 経済に関しては、石油・ガス産業が主要な産業で、00年代に入ってエネルギー価格の高騰とともに1人あたりの国民所得も上昇し10年代初頭に1万ドルを突破しました。ODAも受ける側から行う側に移行しつつあります。労働者1人あたりの平均名目賃金は2018年で月額16万3000テンゲ(470ドル)となっていますが、輸出部門の鉱業では高く、教育や医療は平均を下回っているそうです(46p)。

 

 このカザフスタンでは、警察、医療、教育、税関、土地登録など、さまざまな場面で賄賂が横行しています。第2章以降では、その賄賂の実態をさまざまな人へのインタビューを通じて明らかにしています。

 

 多くの人は旧ソ連時代に比べて賄賂が横行していことを嘆いていますが、ソ連が公正な国家だったわけではありません。

 ソ連時代にものを言ったのはコネでした。「100ルーブルより100人の友を持て」という言葉は、美しい言葉にも見えますが、カネがあっても店にものがなく、コネを使わないと欲しい物が手に入らないソ連の実態を表した言葉でもありました。

 こうしたコネはさまざまな貸し借りを生みましたが、市場経済が導入されると、これがカネ、いわゆる賄賂に置き換わっていったのです。

 

 人びとは物事を「早める」ために賄賂を使っています。公立病院の順番待ち、保育園の入園待ち、土地の登録などさまざまなことを「早めて」もらうために人びとはカネを払います。交通警察に賄賂を渡すのも正規の手続きが時間がかかるからでもあります。

 また、カネには煩わしい人間関係のコストを軽減する効果もあります、ソ連時代、コネを使って頼み事をすれば相手に貸しができますが、カネの場合はそういった貸し借りができません。

 

 ではコネには意味がなくなったのかというと、そうではありません。

 誰にカネを払うのか、そして権限を持つ者にアクセスするためにはコネが重要になります。コネがなければカネを払っても相手は持ち逃げしてしまうかもしれません。さらに、コネがあれば相場より安いカネで事が済むこともあるそうです。この賄賂の価格は、コネの強さ(権限を持つ者にどれくらい近いかなど)によっても変化します。

 カザフ人は親族のつながりが強いですが、この親族のつながりは有力なコネです。ただし、親族に貸し借りをつくりたくないのでカネを使う場合もあるそうです。

 

 さらにカザフスタンでは役人や警察官、裁判官、教職のポストなどの公職が、しばしば売買されています。役人になりたい人はカネを払って公職を買います。そして、その支払ったカネ(多くは借金)を取り戻すためにせっせと収賄に励むのです。しかし、上司が変わると、その職が失う可能性もあります。ですから、この投資の回収は時間との勝負でもあります。

 

 カザフスタンにおいて、賄賂を取る代表的な存在が警察です。特に交通違反を取り締まる交通警察はしばしば賄賂を取ります。払う方としても正式な罰金のほうが高いケースがほとんどなので、仕方がないと思って払うのです。

 中には「学割」を適用してくれる警官や、「お金がこれしかない」と言ったら「お釣り」をくれた警官もいるとのことで、賄賂の額に関しては警官との交渉が重要になります。

 こうした賄賂に関しては途上国ではよくあることかもしれませんが、カザフスタンでは運転免許の取得にも賄賂が使われており、文字通り「免許を買う」ケースもあるそうです。

 さらに2011年に最高裁判所の裁判官6名が収賄を理由に更迭されるなど、司法の場でも賄賂は横行しています。起訴されるか、されないか、刑の重さはどうなるか、ここにもカネが関わってくるのです。「控えめに言っても、全体の九割の裁判官の目的はカネ儲けです」(99p)との証言もあります。

 

 徴兵に関しても賄賂が使われますが、面白いのが徴兵逃れだけではなく、兵役につかせるために賄賂を使うこともあるそうです。これはカザフスタンで公務員になるには兵役を終えるともらえる「軍人手帳」が必須だからで、兵役で不合格になった場合、この軍人手帳に診断結果が記載され、公的機関への就職は制限されます。

 ですから、カザフ人の多くは兵役につくことを望みます。一方、ロシア人などの非カザフ人は公職がカザフ人優遇だと信じられていることもあり、いじめなどを恐れて兵役を逃れるために賄賂を使うことも多いとのことです。

 

 元内務省職員の男性によると、カザフでは、内務省、国家保安委員会、財務警察、検察、税関などに就職するには2000〜3000ドルのお金が必要で、しかもこの地位は上司(パトロン)に依存しています。部下は上司に受け取った賄賂の一部を上納するという「ピラミッド」と呼ばれる構造があり、これが「システム」という言葉で認識されているといいます(112−113p)。現場の職員はこの上納金のため、あるいは自分の使用する備品などを買うためにせっせと賄賂を集めるのです。

 冒頭でとり上げたデニス・デン選手の殺害事件でも、その犯人は1週間前に窃盗罪で逮捕されていた人物でした。しかし、すぐに釈放され悲劇は起こってしまったのです。賄賂の有無まではわかりませんが、腐敗した警察が生んだ悲劇だとも言えます。

 

 賄賂はビジネスの場でも使われています。カザフスタンでは「自分でビジネスをやっている」という人が多いですが、これは雑貨の輸入や小さな店舗の経営、路上販売、民泊など個人規模の小さな事業であることが多いです。当然、正式な許可をとっていないケースも多く、取締りの対象にもなります。

 この取締りを逃れるために賄賂が使われます。また正規の事業者であっても税関をスムーズに通るためには賄賂が必要だったりします。さらに賄賂によって納税額を抑えることもできたりするようです。

 

 住宅の取得でも賄賂が使われます。ソ連時代、都市部の住宅の多くは国家の所有する集合住宅で、住宅を手に入れたい人は何年も待つ必要がありました。市場経済化後、住宅は個人所有となりましたが、住宅の供給は増えず、2004年から公的機関で働く人など一定の条件を満たした人に市場価格の半額程度で住宅を供給するプログラムが始まりました。

 しかし、市場価格の半額程度ということで、当然ながら需要と供給のバランスは取れていません。このときに人びとは書類の準備や待機リストの順番を早めてもらうために賄賂を使います。

 

 このように書いていくとカネが万能な社会にも思えますが、ビジネスの世界ではコネもやはり重要で、「アガシュカ」と呼ばれる影響力のある人物とつながっていることが重要だと言います。カザフスタンでは、このアガシュカを中心とする表からは見えないネットワークが強い影響力を持っているのです。

 

 賄賂は教育の分野でもはびこっています。例えば、学生へのアンケートによると、期末試験をパスするためには2万9000テンゲ(160ドル)、一科目なら5000テンゲ(28ドル)、完成した卒業論文は6万テンゲ(330ドル)といった相場があるそうです(156p)。

 カザフスタン西部のマングスタウ週90〜00年代に卒業証書を取得した教師200名のうち9割が実際には大卒資格を持っていなかった(卒業証書を買った)といいます(157p)。また、大学の授業では教授と「級長」の間で交渉が行われ、「5」(最高評価)は2000テンゲ、「4」は1500テンゲと決まったりしたこともあるそうです(163p)。

 さらには、博士号の取得の際にも、毎年一定数の論文をジャーナルに発表するという条件をクリアーするために論文1本を5000テンゲ(40ドル)で買った話なども紹介されています(166p)。

 学校の卒業試験と大学入学試験を兼ねた全国統一試験(ENT)でも、点数や回答、試験会場での便宜(何度もトイレに行くことを許す等)などが、しばしば公然とカネで取引されており、教育現場のいたる所が腐敗しています(ただし、旧ソ連時代からの教師は賄賂を取らない人が多い、外国人教師が多い東洋学専攻などは腐敗は少ないといったことがあるそうです(165−166p)。

 

 教育現場で腐敗が蔓延している原因としては、教師の給料が低い他に、区長−教育局長−校長−教師の腐敗のピラミッド構造ができており、下の者が取った賄賂の一部は上に上納されるという仕組みもあります(181p図5-1参照)。ここでも「システム」がつくられているのです。

 これらは人材育成の点から言っても、若者の道徳観といった点からも、後々深刻な影響を与えてくると考えられます。

 

 賄賂は医療現場にも蔓延しています。日本でも医師への付け届けの習慣はありましたが、カザフスタンでは救急搬送された患者や陣痛を訴えている妊婦に対して医師が金銭を要求することもあるそうです。

 ここでも背景には医師の給与の低さ(全産業の平均名目賃金が16万3000テンゲなのに対し医師および歯科医師は11万5000テンゲ(211p))と社会保障分野への公的支出の縮小があります。医師たちは自らの給与や足りない経費を補うために賄賂を取るのです。一方、市民も健康診断にかかる時間を節約するためにカネを払って診断書を買ったりしています。

 医師の養成課程でも賄賂は使われているようですが、さすがに賄賂だけで医師になるのは無理だろうと見られています。

 

 本書で書かれている内容は、ずいぶんとひどい話にも思えますが、タイトルにあるようにカザフスタンでは「〈賄賂〉のある暮らし」が根付いています。腐敗がはびこっているとはいえ、ある種の秩序は成り立っているのでしょう。

 ただし、この本を読んで、市場経済をきちんと動かすためには市場の外部が必要なのだということも改めて感じました。例えば、教育の現場で賄賂が横行し続ければ、特に高等教育は人的資本の育成機能も、シグナリングの機能も失い、無意味になっていくはずです。そして、このような教育環境のもとで天然資源に頼る以外の持続的な経済成長が起こるとは思えません(逆に言うとカザフスタンは資源国などでこれでもやっていける)。

 

 もっとも、このような国はカザフスタンだけではないと思います。官僚にしろ警察にしろ教師にしろ、公的な機関で働く人が賄賂を取らないだけの倫理観を持っているというのは実は珍しいことなのかもしれません。

 これは思いつきに過ぎませんが、守旧的で近代化の阻害要因と考えられることも多い儒教も、こういった倫理観をもたせることには大きな役割を果たしており、これが現在の東アジアの市場経済への適応につながっているのかもしれません。

 

 ここでは紹介しきれませんでしたが、本書にかかれているカザフスタンの人びとの生の声は興味深いですし、先ほど述べたようにさまざまなことを考えさせられる本になっています。

 

 

 

オルガ・トカルチュク『プラヴィエクとそのほかの時代』

 去年、ノーベル文学賞を受賞したポーランドの女性作家オルガ・トカルチュクの小説が松籟社の<東欧の想像力〉シリーズから刊行。訳者の解説によると解説を執筆中に受賞の報を聞いたということで、まさにタイムリーな刊行になります。

 トカルチュクの小説に関しては、白水社の<エクス・リブリス>シリーズから出た『昼の家、夜の家』『逃亡派』を読んでいますが、個人的にはこの『プラヴィエクとそのほかの時代』が一番面白く読めました。

 

 本書も『昼の家、夜の家』と『逃亡派』同じく、断片とも言える短い小説が集まってできた長編小説になります。ただし、本書は他の2作とは違って、一貫してプラヴィエクという村が舞台になっていて、なおかつ、登場人物が特定の人物とその子孫に固定されているという点が大きな違いです。

 プラヴィエク(太古という意味がある)に住む、ゲノヴェファとクウォスカという2人の女性とその子孫が織りなす物語で、1914年の第一次世界大戦の勃発から始まり、第2次世界大戦後の社会主義の時代まで続いていきます。

 

 こう紹介すると、多くの人はいわゆる「サーガ」(フォークナーの作品とかガルシア・マルケスの『百年の孤独』みたいなもの)を想像するかもしれません。

 けれども、サーガというには感じはあまりないです。ゲノヴェファの夫のミハウは第一次世界大戦に従軍しますし、第二次世界大戦ではプラヴィエクの村が戦場になります。また、社会主義は領主のポピェルスキの生活を変えます。それでも、そうした歴史的な出来事はあくまでも後景にあり、人びとの運命を翻弄する感はありません。

 もちろん、人びとの生活は社会の変化とともに変えられていくのですが、著者が描きたいのは、歴史に翻弄される人物ではなく、プラヴィエクに根付いた人びとであり、その死とプラヴィエクの風化のようなものに思えます。

 

 そして、『昼の家、夜の家』や『逃亡派』と共通するのが、キリスト教信仰と土俗的な信仰が入り混じったような、ちょっと異端っぽい宗教的な世界観。ご存知のようにポーランドカトリックの国ですが、著者はそこに土俗的な信仰を混ぜて独特な世界観をつくっていきます。

 このあたりは同じ<東欧の想像力〉シリーズから出ているボスニアの作家イヴォ・アンドリッチ『宰相の象の物語』の中の「アニカの時代」を思い出しました(ちなみに本書でもすべての断章に「〇〇の時代」というタイトルが付いている)。

 ただ、『逃亡派』が思弁的過ぎたのに対して、本書はあくまでも人間の生活を描くことに主眼が置かれていて、そこが良い点だと思いました。

 

 

『パラサイト』

 カンヌのパルムドールを獲った話題作ですが、評判通り面白かったです。

 近年、『万引き家族』にしろ『家族を想うとき』にしろ、あるいは『ジョーカー』にしろ、格差社会を正面から取り上げた映画が多いですが、その中でもこの『パラサイト』のパンチ力はすごいですね。さすがポン・ジュノです。

 ポン・ジュノ+主演のソン・ガンホというと『グエムル』が思い起こされますが、『グエムル』と同じく今作も家族が活躍する映画です。ただし、カオスさが目立っていた印象のある『グエムル』に比べると、この『パラサイト』は、富裕層=高いところ、貧困層=低いところ、といった具合に一定の様式に従って撮られています。

 全体的に撮影が非常によく、特に舞台となる金持ちの家の撮り方は上手いです(広角で撮る画面からはちょっとパク・チャヌクっぽさも感じました)。

 

 ストーリーとしてはうだつが上がらず半地下の部屋で暮らしているソン・ガンホの一家が、長男が友人の伝手で金持ちの家の娘の家庭教師になったことから、一家でその家に家庭教師や運転手、お手伝いとして入り込んでいくというものです。

 このあたりは基本的にはコメディっぽくもあり、楽しんでみることができます。ただし、途中でそこから一歩深みに入っていくのがこの映画の見所です。

 

 同じ格差社会を描き、家族が犯罪的行為に手を染める『万引き家族』と比較すると、富裕層がきちんと描かれている点と、家族の絆が揺らいでいないという点が大きな違いです。

 特に後車に関しては、すでに家族が崩壊した後に構成された疑似家族を主役に据えた『万引き家族』と、落ちぶれて危ない橋を渡っても家族の絆は壊れていない『パラサイト』の違いは面白いと思います。これが日韓の違いなのか、それともポン・ジュノの家族に対するこだわりや信頼のせいなのかはわかりませんが、映画として大きな違いを生む要素なのは間違いないでしょう。

 

 最初にも述べたように、様式的に獲ってある分、前半はやや抑制された感じですが、だからこそラストの爆発力は圧巻で、素晴らしいインパクトを残します。高評価も納得の映画でした。

 

小川有美(編)宮本太郎・水島治郎・網谷龍介・杉田敦(著)『社会のためのデモクラシー』

 副題は「ヨーロッパの社会民主主義福祉国家」。なかなか豪華な執筆陣が並んでいる本ですが、篠原一が中心メンバーとなって始めたかわさき市民アカデミーで2014年に行われた講義をまとめたものになります。

 かわさき市民アカデミーが発行者となっているからかもしれませんが、価格が1300円+税と非常にリーズナブルなのも本書の特徴で、ヨーロッパの社会民主主義福祉国家について知りたい人にとっては格好の入門書です。

 また、網谷龍介が担当しているドイツの部分に関しては、日本ではあまり知られていないことも多く、勉強になります。

 

 目次は以下の通り。

 

第1章 ヨーロッパの社会民主主義福祉国家の資産からグローバル・リスク社会の試練へ(小川有美)
第2章 スウェーデン福祉国家は日本のモデルか?―その歴史と現在(宮本太郎)
第3章 オランダの雇用・福祉改革―小国社会のイノベーション(水島治郎)
第4章 オランダ福祉国家の影―移民と福祉・労働(水島治郎)
第5章 ドイツの社会民主主義政党と労働組合―市場を飼い馴らす二つの道?(網谷龍介)
第6章 ドイツの戦後レジーム―何がどうかわってきたか(網谷龍介)
補論 篠原政治学の目指したもの(杉田敦

 

 第1章は、本書の序章的に位置づけで、ヨーロッパの社会民主主義福祉国家についての歴史を簡単に説明した上で、社会民主主義福祉国家が直面している困難について解説しています。

 

 第2章はスウェーデンについて。スウェーデンが高福祉と経済成長をうまく両立させている仕組みが解説されています。

 スウェーデンの雇用政策はレーン・メイドナーモデルと呼ばれるもので、「同一労働同一賃金」の原則がとられています。このときに問題になるのが、例えば同じ金属加工産業でも大企業と零細企業では生産性が違うために、同じ仕事でも同じ賃金を払うのは難しいということです。この問題に対して、日本だったら零細企業の保護の方法を考えるところですが、スウェーデンではこれを仕方ないと割り切ります。そして、職業訓練などによって生産性の低い職場から生産性の高い職場へと労働者を移動させようとするのです。

 これは大企業にとっても悪くない制度で、「同一労働同一賃金」の原則ため、生産性の高い大企業でも賃金水準を一定程度に抑えられます。これがスウェーデンの輸出産業を支えているポイントでもあるのです。

 

 女性の就業促進についてもスウェーデンは進んだ国ですが、それを支えるのが行きつ戻りつつできる学習社会の形成です。スウェーデンには25・4ルールという「25歳以上で4年以上の育児経験・勤労経験がある人は優先的に大学に入ってください」という制度があり(48p)、高校から直接進学してくる人はむしろ少数派です。

 このような仕組みがキャリアの中断をそれほど大きな問題としないつくり上げているのでしょう。

 ただし、生産性の高い企業はIT化で人を雇わなくなりつつあり、職業訓練などを受けていて働いていない「潜在的失業」状況の人が労働人口の2割近くに達しているという問題もあります。

 

 第3章と第4章ではオランダについて論じられています。水島治郎『反転する福祉国家』を読んだ人であればおなじみの内容かもしれませんが、読んでいない人にはそのエッセンスがまとまっていて面白く読めると思います。

 オランダといえば、ワークシェアリングが普及し労働者が自分の労働時間を比較的自由にコントロールできる国であり、大麻安楽死の合法化などある意味で「リベラル」な政策が取られている国でもあります。

 しかし、一方でイスラム系移民の排斥を訴えるポピュリズム政党が他の欧米諸国に先駆けて大きな勢力となった国でもあります。この一見すると矛盾して見える現象が実は表裏行ったなのだということが示されています。

 また、労働者が労働時間をコントロールできるようになっても、男性のフルタイム志向、女性のパートタイム志向は少なくともオランダでは変わっていないという点も興味深いと思います(78p表3−1、表3−2参照)。

 

 第5章と第6章はドイツについてです。ただし、ドイツにとどまらずヨーロッパの社会民主主義の根本的な考え方についても解説されています。

 第5章の最初の部分では「社会権」がとり上げられています。日本国憲法だとこの社会権の中心に第25条の「生存権」の規定があり、国家が人びとの最低限の生活を保障することがその中心と考えられています。 

 ところが、史上初めて社会権を規定したとされるワイマール憲法には生存権のような「国民の権利」は書き込まれておらず、国が経済的自由を制限できること、そして労働者の参加・関与が書き込まれています。

 

 ヨーロッパの社会民主主義にはさまざまな源流があり、1つの綱領のようなものがあるわけではありませんが、共通する特徴の1つとして著者は「政治の優位」をあげています。これは市場のロジック、資本主義のロジックというものを政治の力によってコントロールしようという考えです。

 そして、それを実現させるためには民主的な国家が経済を計画・統制する方法と、労働者による自己決定という2つの道がありました。後者はいわゆる「ネオ・コーポラティズム」として制度化されていった国もあります。

 

 著者は社会民主主義を考えるときににも後者の側面が重要で、特に労働組合と政党の関係を見ることが重要だと言います。ヨーロッパで社会民主主義の考えが広まったのは「政党と労働組合がセットになっていた」(129p)ことが大きいのです。

 イギリスやスウェーデン労働組合と政党が1対1のセットになっている国で、フランスやイタリアでは労働組合が党派によって分裂しています。ドイツはというとドイツではカトリックプロテスタントいう宗派による分裂が起きました。特にカトリックの労働者はカトリック系・キリスト教系の独自の労働組合をつくり、選挙ではカトリックの政党に投票することが多かったのです。

 

 戦後はキリスト教民主党プロテスタントカトリックの垣根を超えた支持を集め、アデナウアーが長期政権を築きましたが、連邦制の西ドイツでは社会民主党も州政府単位では与党となり、1969〜82年にかけては国政も社会民主党中心の政権によって運営されます。

 こうした中で西ドイツの労使関係は基本的に安定したものでした。西ドイツの賃金をリードしたのは輸出産業で、輸出競争力を削がない範囲での賃上げがなされたのです。

 

 ところが、70年代になり、環境、移民問題などが政策テーマに浮上し、さらに新興国の追い上げなどもあって失業率が上昇していくると、今までの仕組みを変える必要が出ていきます。

 この問題に対応したのがシュレーダーです。彼は「政策的な原則がない」(143p)政治家で、労組の支持だけでは勝てなくなってきたことがわかっていました。

 そこで彼は当初、オランダをモデルに政労使の三者の合意を通じて改革を行おうとしますが、賃金について政府の介入を嫌った労組の反発によってこの路線は失敗します。戦後のドイツでは産業レベルでの話し合いが中心で国家規模の交渉があまりなかったのも失敗の一員だと考えられます。

 

 その後、シュレーダーは「アジェンダ2010」という改革パッケージを提案し、臨時の審議会をつくって改革を行っていきます。これは一種の構造改革路線で、これによってドイツの失業率は低下しました。

 この点、シュレーダーは成功したといえますが、同時に社会民主党は労働者の支持の一部を失いました。社会民主党の一部は分裂して東ドイツの旧共産党と合流して左翼党を結成しました。この左翼党が10%程度の支持を集め続けていることで、社会民主党キリスト教民主党議席数で上回ることは難しくなっています。

 

 このように、本書はヨーロッパの社会民主主義福祉国家の動向がよく分かる内容となっています。講義をもとにしたもので読みやすいと思いますし、何よりもこのメンツで1300円+税という価格設定はありがたいです。

 さらに補論では、このかわさき市民アカデミーの開設にかかわった篠原一の政治学についての解説もあり、お得な1冊と言えると思います。